アイアン・ハート ―鋼の拳と黄金の聖女―

大気圏

第1話 無刀の少年、天を突く

空を覆う巨大な浮遊島から、一本の巨大な光の柱が降り注いでいる。その真下、聖都の「授かりの儀」が行われる大聖堂には、数千人の期待と緊張が渦巻いていた。


「次、ゼオン・ヴァルハイド!」


司祭の声が響くと、白銀の甲冑に身を包んだ少年が悠然と祭壇へ歩み出た。彼は石碑に右手を添える。刹那、空気が震えた。

ゴォォォ……という地鳴りとともに、大気中の魔力が一点に収束し、燃え盛る炎を象った巨大な大剣が顕現した。龍の顎(あぎと)を模した鍔が、意志を持つかのように赤く明滅する。


「……出た! ランクS、魔剣『レティウス』だ!」


大歓声の中、ゼオンは冷ややかな視線を列の後方に送る。


「おい、カイ。精々、お似合いの『錆びた包丁』でも授かって、俺の剣を磨く特権をやるよ」


赤髪の少年、カイは無言で拳を握りしめた。隣に立つ幼馴染、アリアが彼の震える指先にそっと触れる。


「大丈夫だよ……カイ君の努力、神様は絶対見てるから」


アリアの金の髪から、甘い花の香りがした。その優しさに頷き、カイは一歩を踏み出す。

だが、結果は非情だった。

カイが冷たい石碑に触れても、一筋の光さえ漏れはしない。沈黙。永遠にも思える数秒の後、司祭が吐き捨てるように告げた。


「……判定不能。『無刀(むとう)』だ。退きなさい」


嘲笑の嵐が降ってきた。


「無刀だと!?」

「生きてる価値ねーな」

「欠陥品だ!」


罵声が刃のように突き刺さる。カイは血が出るほど唇を噛み、折れそうな心を必死に支えながら、静かに壇上を降りた。


……

その夜、街の喧騒を離れた「裏山の滝」に、肉体を打ち付ける鈍い音が響いていた。

カイは上半身を晒し、凄まじい水圧の中で拳を突き出していた。

月光に照らされたその肉体は、十五歳の少年とは思えない「完成」を見せていた。

広背筋は翼のように広がり、腹筋は硬質な煉瓦のごとく六つに割れている。一突きごとに、大胸筋が波打ち、前腕の血管が太く浮き上がる。数百万回の反復が生んだ、鋼の彫刻。


「……っ、ふぅ、……っ、はぁ!」


吐息が白い蒸気となって闇に消える。そこへ、焦ったような声が届いた。


「カイ君! こんなところにいた!」


アリアだった。彼女は籠を抱え、急な斜面を駆け寄ってくる。だが、濡れた岩に足を滑らせた。


「きゃああっ!?」


「危ない!」


カイが瞬時に踏み込み、彼女の細い腰を抱き止める。

だが、その勢いのまま二人は柔らかな草むらへと転がった。


「……んっ」


アリアの吐息が耳元にかかる。カイの視界には、乱れた法衣の襟元から覗く、吸い込まれるような白い肌と、瑞々しい双丘の膨らみが飛び込んできた。


「……痛たた。ごめんね、カイ君」


アリアが起き上がろうとして、カイの胸板に手を置く。その瞬間、彼女の手が止まった。


「……すごい、熱いよ。岩みたいに硬いのに、生きてるみたいに鼓動が……」


至近距離で見つめ合う二人。アリアの瞳が潤み、熱を帯びる。


「……刀がないなら、自分を鍛えるしかなかったんだ。この拳が、俺の魂だから」


カイが気恥ずかしそうに顔を逸らした時、街の方角から、空を裂くような咆哮が届いた。


街は「地獄」と化していた。

広場の中央には、家屋ほどもある巨大な魔獣『獄炎狼(フェンリル)』が立ちふさがっている。その全身から発せられる魔圧は、一般の戦士を立ちすくませるほど重い。


「このっ、化け物がぁ!」


ゼオンが自慢の魔剣を振り下ろす。だが、魔獣が咆哮を上げた瞬間、衝撃波でSランクの剣身がパキン、と乾いた音を立てて砕け散った。


「嘘だ……俺のレティウスが……っ!?」


武器を失ったゼオンが腰を抜かす。魔獣の、溶岩のような唾液を垂らす牙が、彼と、背後にいたアリアに迫る。


「逃げろ、アリア!!」


ゼオンの絶叫。誰もが最悪の結末を確信した、その時ー


ドォォォォォン!!


空気を爆砕する音が響き、魔獣の巨大な頭部が横にのけぞった。


「……おせーんだよ、ゼオン」


砂塵の中から現れたのは、右拳を突き出したカイだった。

彼はボロボロになったシャツを脱ぎ捨てる。そこには、数多の修練の証である傷跡と、爆発的な力を秘めた「黄金比の筋肉」が躍動していた。


「カイ!? バカか、丸腰で何を――」


「丸腰? どこ見てんだよ」


カイが腰を落とし、独特の構えをとる。

全身の筋肉が螺旋を描くように収縮し、足元の石畳がその圧力で粉々に砕けた。


「俺の五尺の身体、そのすべてが、十五年かけて打ち直した『守護刀』だ」


魔獣が激昂し、光速の爪を振り下ろす。

カイは避けない。むしろ踏み込んだ。


「肉は鉄! 骨は芯(しん)! 血潮は神の炎(ともしび)!――『アイアン・ハート』!!」


カイの背筋が、一瞬だけ巨大な「翼」のように膨らんだ。

放たれた正拳は、もはや打撃ではなかった。超圧縮された衝撃波が真空の刃となり、魔獣の強靭な首を、バターでも削ぐように鮮やかに「斬断」したのだ。


ズゥゥゥゥン……。


巨大な肉塊が地に沈む。

静寂の中、カイは真っ赤に充血した自分の拳を見つめ、不敵に笑った。


「見たかよ神様。……俺の刀は、ここにある」


その背中は、どんな名剣よりも鋭く、そして大きく見えた。

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