神様は神託の鐘を鳴らさない ~答えを言わない食えない神官の騎士になりました~
雨色銀水
第一話「リンゴの罪に鐘は鳴らない」
神託が下されるとき、教会の鐘は鳴る。
しかしその日下された神託に、鐘は鳴らなかった。
鮮やかに色づいた木々の間を抜けると、眼下に小さな村が現れる。
目的地を前にして、教会騎士であるレヴィは静かに足を止めた。山間で身を寄せ合うように形作られた集落は、遠目から見ると小さな箱庭と見紛うばかりにささやかだ。聞くところによると、人口百五十人にも満たない本当に小さな村らしい。牧歌的な雰囲気、と言えば聞こえはいいが、少々廃れている感は否めなかった。
今日からここに、レヴィは教会付き騎士として赴任する。新任の騎士の赴任地としては明らかに僻地だが、文句も言ってられない。懐から推薦状を出して、場所に間違いがないか確認する。
山間の村――リュングアンバー。添付された地図に小さく記された場所は、確かにここのようだ。
再び村を見下ろすと、少し先の草原で羊たちが草を食んでいるのが見えた。下手をすると人間より、飼われている家畜の方が多いのではないだろうか――。そんなことを考えていると、少し離れた草を食んでいた羊が物珍しげに近づいてきた。来訪者が珍しいのか、つぶらな瞳は真っすぐこちらに向けられている。思わず見つめ返すと、羊はゆっくりと距離を詰めてきた。
ちょっとかわいいかもしれない。そう思っていられたのはつかの間のことだった。
羊が一匹、羊が二匹。羊が三匹、四匹、五匹、六匹……。
どんどん周りに集まってくる羊たちに、騎士は今日初めての戦慄を覚えた。この羊たちは、普通の羊とは何か違う。
明確な意思をもって、レヴィを取り囲もうとしている時点で何かがおかしい。そう思うが否や、レヴィは無言で地面を蹴った。そして脱兎のごとき速さで坂を駆け降りる。さすがに村まで追ってくるわけもなかろう。
そう、思っていたのだが。
「うそだろぉおおっ!?」
羊の群れが背後に迫る。鬼気迫るつぶらな瞳の集団に、騎士は立場も忘れて悲鳴を上げた。このままでは羊に押しつぶされる! 意外に思うかもしれないが、草食である羊たちも本気を出せば人間一人くらい吹っ飛ばせる。それが無数となれば言うまでなく。迫りくる羊の群れに、レヴィは顔を引きつらせながら剣の柄に手をかけた。
その時だった。顔のすぐ横を何かがかすめていく。甘く、わずかに酸味を含んだ香りが漂い、羊たちが唐突に足を止める。騎士と羊の間に落ちたもの。それは一個の小さなリンゴだった。
「……リンゴ? どこから……」
反射的に振り返ろうとしたが、その前にリンゴがころころと道を逸れて脇へと落ちていく。レヴィと羊たちは無言でその行方を見つめる。たかがリンゴ、されどリンゴ。騎士が瞬きした瞬間、羊たちは再び走り出した。
――道のわきに落ちていったリンゴを追って。
「…………」
もこもこのケモノたちが遠くに消えていくのを見送り、レヴィはため息をついた。握りしめていた剣の柄から手を放し、一度だけリンゴが飛んできた方向を振り返る。
そこには誰もいない。ただ、甘酸っぱい香りが残り香として漂っているだけだった。
「さて、今度こそ行くか……」
釈然としないものを感じながらもレヴィは前を向く。気づけば村の入り口はすぐそこだった。騎士は外套の乱れを直すと、表情を引き締めて村の門をくぐった。
※
「――だから! お前が盗んだんだろ!?」
村の広場について最初に聞こえたのは、そんな不穏な怒鳴り声だった。
声の出所をたどると、広場の中心にある大樹の傍らに人だかりができていた。周囲の村人たちは、不安げに騒ぎの中心を見つめている。
どうしたものか。一瞬悩んでいる間に、再度怒鳴り声が響く。来てすぐに首を突っ込むのもどうかと思うが、どうやら見逃せるほど安穏とした状況ではなさそうだ。人垣をかき分けると、レヴィは騒ぎの元凶である露店の前に歩み出た。
果たして露店の前で対峙していたのは、年配の店主らしき男性と年端も行かない少年だった。
「パン一個だって大事な商品なんだ! それを毎日のように盗られたんじゃこっちは大損だよ!」
「ぼ、ぼく盗ってない……! パンは鳥が持って行ったんだ……!」
「鳥が持ってっただって? そんな言い訳が通じると思ってんのか!?」
「ほんとうなんだよ……! し、しんじてよ……!」
涙を浮かべて懇願する少年に、店主は忌々しげに舌打ちした。一見すると、幼い子供が無実を訴える姿に嘘はないように思える。だが、店主としては盗られた確証があるのだろう。人のよさそうな顔に怒りを浮かべたまま、さらに追及の言葉を重ねる。
「信じろって? 馬鹿言っちゃいけない! お前がこの村に来てからだぞ? うちの商品がなくなるようになったのは……!」
「そ、そんなのわかんないじゃない……! おじさんの勘違いかもしれないのに!」
「勘違いでこんなに騒ぐわけないだろうが! 最近は細かく商品数を確認してたんだ! 毎日パンがなくなってるのは間違いないんだよ!」
「だとしても、ぼくじゃない……! ぼく盗ってない! うそつきはおじさんだよ!」
「なんだと!?」
店主の手が少年の肩を突き飛ばす。少年は短い悲鳴を上げ、地面にうずくまった。か細い泣き声がさらに店主の気を逆なでしたのだろう。店主の顔から理性のかけらが描き消えたのを、騎士は見た。
「……この、泥棒が! 噓つきはお前だろうが!」
店主が腕を振り上げる。少年の顔にはっきりと脅えが浮かび、周囲の村人たちが息を呑む。レヴィは思わずで人垣から一歩踏み出した。こんなのはいけない。何が事実にしろ、こんな風に断罪するのは間違っている――!
「やめてくださ」「おや、皆さんお揃いで。どうなさったんです?」
制止する騎士の言葉にかぶさって、場違いにのんきな声音が響いた。ぎょっとしてレヴィたちが声の方を見ると、小さなリンゴが乗ったかごを抱えた人物がゆったりと歩いてくるところだった。
「ラシュカ様……!」
誰かが呼びかけると、その人物は華奢な首をかしげて一同を見渡した。
一体この人物は何者なのか。様付けされているのだから、何らかの地位にある人物なのだろう。しかし簡素な外套に包まれた姿からそれ以上を推測することは難しい。色の薄い髪と中性的な整った容姿、そして何よりその顔に浮かぶある種の深い笑みは、その人物が只者ではないと証明しているようだった。
まじまじと観察していると、なぜか目が合った。特になんということもない表情と視線。けれど、心を見透かされているような落ち着かない気分になる。なぜなのだろう。
「それで? 何があったんです? 見たところあんまりよくない感じの雰囲気ですけど」
「ラシュカ様、聞いてください! このガキがうちの商品を盗んだんです! 今日だけじゃない、ここしばらくずっとです!」
「ほう、それはよくないですねえ。神も度重なる盗みはお許しにならないでしょう……」
ラシュカと呼ばれる人物は、憂いを含んだまなざしを少年に向けた。怒りではない感情を向けられたためだろうか。少年は先ほどとは別種の怯えを顔ににじませていた。
ラシュカは少年に対して何も言わなかった。彼に向けた視線はすぐに、周囲に集う村人たちへと移動する。
「さて、みなさん。唐突ですが本日の神託が下りました。……と、言っても、相変わらず教会の鐘はならないんですけどねぇ。落ち着かないのは重々承知ですけど、とりあえず先にこちらを聞いていただけますか?」
ラシュカはリンゴのかごを地面に置くと、外套の下から両手を広げた。外套の中に隠されていた衣装は、明らかに教会の神官のもの。そして首から下げられた青い石は――神託者の証である聖晶石だ。
「本日、聖晶の神は高みよりこう告げられました。――『争いの矛を収め、若木を見守れ』と」
しん、と、村の広場に静寂が広がった。信託は神聖なものという共通意識が教会の信徒にはある。レヴィも例外ではなく、厳かな気持ちで言葉の続きを待つ。
「……。まあ、なんとなく状況見ていたら解釈は言うまでもないとは思いますが。神はこうおっしゃっているのでしょう。『争いたくなる気持ちはわかります。しかし、子供に関しては長い目で見守りましょう』ということです」
「し、しかしラシュカ様……! こいつが盗んだのは間違いないんです! それでも何のおとがめなしっていうんですか!?」
「ですよね。納得いきませんよねぇ。神ももうちょっと具体性のある内容で示していただきたいのです。で、そこで提案なのですが、別の方法で損害を補填してみようかと」
神官にしては砕けた口調で話しながら、ラシュカはリンゴのかごを拾い上げると歩き出した。どこに向かっているのかと思いきや、明らかにこちらに歩んできている。なにゆえ。予想外の展開にレヴィは自分の顔が引きつるのを感じた。
けれど、相手はお構いなしに目の前に立つ。思わず一歩下がったレヴィの前で、神官ラシュカはにこやかに笑いながらリンゴのかごを差し出した。
「ね、きみ。借りは返すものでしょう?」
「な、何の話です……?」
「いえね、難しい話ではないですよ。ただ……」
にこやかな笑みが瞬時に変容する。リンゴの甘酸っぱい香りの向こうで、聖職者とは到底思えないような表情を浮かべたラシュカが笑う。
「きみ、リンゴ買ってくれません? 一個10ルビーでいいですから」
「普通に高いし意味わかんないですよ!?」
意図のつかめぬ食えない笑顔と意味不明な提案。
受難が今始まったことを、レヴィははっきりと感じていた。
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