異世界ドリームクラン ~転生先の18禁ゲー世界がハードすぎてしんどい。誰でもいい、助けて~

長尾好孝

プロローグ その1

 †1


【???――闇の世界、光の小道】


 その真っ暗な道を、青年はひとり歩いていった。

 ほんとうになにも見えない。

 完全なる闇の世界。

 しかし、青年に恐れる気持ちはなかった。

 行先はわかっていた。

 あの闇のむこう、愛と調和、光に満ちた世界がある。

 そのことを彼は直観的に悟っていた。

 ゆえに安気あんきに、彼は背すじをまっすぐにして歩いた。

 やがて視界の先に一点のちいさな光が映った。

 トンネルの出口にも似た、闇に差す光。

 青年はそれを目指して、どんどんと歩いていった。

 光が近づくにつれ足元にほの明るく光るわだちのような道が浮かんでくる。

 いよいよ自分の旅もおしまいだ、そう思った。


 ――もし。もし。■■■様。


 と、ふいに横合いから自分の名を呼ばれ、青年は進む足を止めた。

 見ればもう出口もすぐそこという場所、ふた又の分かれ道があって、そばへひとりの女がたたずんでいる。


 ――もしや、■■■様でございましょうか。……おお、その凛々しき御姿はまさに■■■尊者そんじゃ。お待ちしておりました。さあ、こちらへどうぞ……。どうか、こちらへおいでくださいまし。


 と、女が云った。

 不思議な女だった。

 青年は(や……?)と、目をらし、その女を見た。

 服装からすると、どうやら相手は修道女らしい。

 ひどいの僧衣を着て、顔は頭巾をかぶっているためよく見えなかったが、その声には慈母のごときやさしい響きがあった。


 ……尼僧が手招きする。

 青年はとくに怪しいとも思わず近づいた。

 近づいてみると彼女の周りには異臭が立ちこめている。

 まるで磯か潮だまりのような、つい顔をしかめるほどの生臭さだった。

 またおかしなことに、女の足は裸足で、しかも濡れており、さらに足跡を見れば蛞蝓なめくじでも這いずったような不気味な粘液のあとが、点々と草むらのうしろのほうからつづいている。

 奇妙な、とても常人ただびととは思えない女だった。


 とはいえ、このような相手に対しても、青年は警戒心というものを持たなかった。

 それはもうずっと、彼がそうした恐怖から縁遠い人間となっていたからにちがいなかった。

 敵というものを持たぬ心であり、またこの奇妙な尼僧に対しても、なにか清浄な雰囲気を感じて、それがゆえにまったく恐れる必要がないことを、彼は自然と心の深い場所で悟っていたのだった。


 尼僧はそうした青年の動じない姿勢に大変感激した様子で。


 ――なんとお心のひろいお方でしょう。魂が次なる階へと進む、その大事なときにあって、こちらの勝手な都合でお呼び止めしたにも関わらず……。やはり、あなた様には微塵の不安、恐怖もなく、まことに立派なご様子。安心立命の境地とはまさにこのことで、この一事だけでも、あなた様の霊格がどれほどのものか、察するにかたくありませぬ。

 わたくしごとき不浄の存在が、気軽に話しかけてよい方ではないと、重々存じてはおりますものの……。こちらにもよんどころなき事情がありますれば、是非ともお話をいたしたく、こうして恥を忍んで、情けない姿をあらわした次第なのでございます……。


 と頭をさげつつも穏やかな、しかし、はっきりとした調子で尼僧は語りはじめた。


 聞けば……。

 彼女にはどうしても果たさねばならぬ使命があるらしい。

 その使命ゆえに、青年に力を貸してほしい、とのことだった。

 そうして、その話の詳しいところを聞けば、彼女はある遠く離れた世界の住人であって、その遠い別の世界へと彼を導きたい……と、そのような内容なのであった。


 なるほど、よく見れば分かれ道の一方、草が枯れ、わだちの土が剥き出しとなった下りの坂道があって、それがべつの出口のほうへとつながっている。

 しかし、そちらの道は神々しい光の出口とは、まるでちがっていて、ひとの怒りや悲しみ、といった負の想念が、べったりけがれた空気となって漂っているような、なんとも薄気味の悪い、いやな感じのする道なので、さすがの青年もすこし躊躇ためらう気分を見せて考えた。


 ――突然このような、ぶしつけな願いをして申しわけございません。あなた様はすでに煩悩ぼんのう繋縛けいばくより離れた身。そのような御身おんみへ、いま一度、欲と我執がしゅうに満ちた肉身の生を乞うのは大変に心苦しきことではありますが。これも衆生しゅじょうのためなれば、なにとぞ、ご助力をたまわりたく……。


 そう尼僧は頭を低くして、たのみこんでくる。

 青年もこうした懸命の訴えに心をうごかされ、「よし、ではやれるだけのことはしてみよう」という気になった。

 そうなると本来、剛毅な気性であるだけに、あの薄気味の悪い道も気にせず、彼は尼僧をともない、そのまま彼女の案内するほうへと歩いていった。


 ……瘴気は黒雲となり、青年にまとわりついてくる。

 次第にそれは呼吸を介して肺をおかし、さらには皮膚の下、肉のなかまでもはいりこんでくるようだった。

 また隣では尼僧がそのまとったの下で、血と肉のような、なにかべつの生き物へと変生へんじょうしているような……。そんな恐ろしい物音と気配をさせている。

 だが、そんななかであっても青年はまったくじず、ひるまず、すいすいと坂道を下りていった。

 所詮、表層のけがれなど一時いっときのこと。

 人間の奥底にはまばゆい本心の光が絶えず輝いているのだ――と、揺らがぬ信念が彼を支えていたのだった。


 やがて。道なりに進む青年の耳に、どこからともなく赤子の泣き声が聞こえてきた。

 それは坂を下るにつれ、次第にはっきりとして、「ふぎゃあ、ふぎゃあ」と、心地よく耳に響いてくる。


 ――着いたようでございます。あの聞こえてくる泣き声の子が、今生こんじょうにおける、あなた様の肉身でございます。


 そう云った尼僧は、もはやヒトとは思えぬ、まったく異形の存在となり果てていた。

 顔こそ見えぬものの、全身から生臭い臭気を放ち、頭ひとつぶん大きくなった体と、僧衣のすそからは、粘液に濡れたふとい触手――タコやイカといった頭足類の持つ吸盤つきの脚が、幾本もうごめいている。


 見れば辺りは夜の砂浜で。

 死んで打ち捨てられた沢山の魚が、まるで絨毯のように辺り一面にひろがっている。

 夜の海は静寂そのもので、入り江に打ち寄せる波が、繰り返し穏やかな音色を奏でている。

 空には銀盆のような月が浮かび、海面と魚の死骸が月光を煌々きらきらと照り返している。


 青年はうなずいた。

 そして、尼僧――完全に異形と化した女へと尋ねた。

 自分はなにをすればよいか。どう生きれば彼女の助けとなるのか。

 異形の女はどこまでも穏やかな声をもって答えた。


 ――お望みのままに。あなた様の自由な生こそが、わたくしの願いでございます。


 それでは困る、と青年は云った。

 すると尼僧は「では、ひとつだけ」と、遠慮がちにつけ加えると、次のような言葉を祭文さいもんのようなふしとともにつづけた。


 ――願わくは涙する寡婦かふにぬくもりを。願わくは悲嘆ひたんに暮れし人妻に情けを。願わくは慟哭どうこくする慕わしき年増に愛を。

 我は古き豊穣の神。名も忘れられし、愛と肉欲、姥桜うばざくらの神。

 ゆえに我、古の約定をもちて、熟れた肉の壷、うつくしき母なる肉体からだ言祝ことほぐ。

 なんじ、交合せよ。月が満ち生まれる、そのときまで。

 汝、合歓ごうかんせよ。情人こいびとが歌い、聖母が受胎はらむ、そのときまで。

 我、結ばん。汝の生に性愛とよろこびの多からんことを。


 こうした祝福を聞き届けてから、青年は首を縦に大きくうごかした。

 と、同時に意識がどこか吸い込まれていくように感じた。

 体を覆っていた黒雲が消えうせ、だんだんと足元に光が差しこんでくる。

 次第に意識が遠のくなかで、


 ――託宣つげごととはいえ失礼を申しました。あちらではこの魂の繋がりをよすがとして、わたくしのほうから幾許いくばくかの加護など差しあげられるでしょう。

 ……ご武運を。わたくしはいつでもあなた様を見守っております。


 異形の女の、凛とした声が響いた。と、そこへ――


 ――きょ、興味深い、ことだな。地母よ……。まさか、ふたたび、そなたの使徒となるにふさわしい者があらわれるとは。


 と。突然ひどく弱々しい、かすれた男の声が聞こえた。

 青年は溶ける意識をなんとか繋ぎ留めながら、視線を声のするほうへと向けた。


 青年と尼僧の背後――。

 いつの間にか黒い導衣ローブ姿の男が立っている。

 こちらも顔は見えないが、どうも声の様子からして、まだ年若な男であるらしい。

 しかし……。見ればその姿は、健康な若者のそれとはまったくちがっていた。

 背を老人のように曲げ、指先がアルコール中毒者のようにとふるえている。

 身にまとう黒衣は尼僧のものと同様、ほつれて穴だらけ。

 まるで病んだ痩せ犬のようでもあり、この突然の登場には、これまでまったくおどろきを見せなかった青年も、


(む……)


 と、さすがにおどろいて目を見開いた。

 そうして尼僧のほうはと言えば、どうやらこの黒衣の男が青年を「使徒」と呼んだ――そのことに怒りを感じているらしい。

「失礼なことを!」といまにも激発しそうな様子で、まとう気配に怒気をのせている。

 しかし、当の男は尼僧の怒りなどまったく気にするふうでもなく。さらに安気な調子で言葉をつづけた。


 ――か、かつてのよしみだ。地母よ。我からも加護をやろう。


 この言葉は尼僧にもどうやら予定外だったらしい。

 彼女の息を飲む様子が青年にもつたわってきた。

 それがおもしろかったのだろうか、痩せ犬のような男はニヤリ、と口元をわずかに歪めて笑った。


 ――流転する運命の加護。く、朽ちかけた死神に、大した力などあろうはずもないが……。お守り程度には役に立つだろう。うまく使え。


 ……まばゆい光が青年の体をつつむ。

 青年は今度こそ意識が遠ざかるのを感じた。

 はたして自分はこれらの出来事を覚えていられるのだろうか、と彼は思ってみた。

 むずかしいだろう、そう思う。

 問題はない、そうも思った。

 一陣、風が吹いた。

 溶けゆく意識に、ざあ、と波の打ち寄せる音だけが心地よく残った。

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