終末神話

@Tyler_Thompson

第1話 The end

 謁見の間は、静謐だった。


 磨き上げられた床には傷一つなく、柱も、壁画も、玉座も、すべてが王国の威厳を保ったままそこに存在している。血の匂いも、戦の痕跡もない。破壊と死は、この部屋へ至るまでの廊下に置き去りにされていた。


 マックス、アリシア、グースの三人は、無人の玉座の前まで歩み出た。


 マックスは剣を下げたまま、玉座を見上げる。


 そこに座るべき王の姿は、どこにもない。


「……あの野郎」


 グースが、吐き捨てるように呟いた。


「全てほっぽり出して、逃げやがったか……」


 マックスはそっと無人の玉座に触れる。それは何万の民を従える男の椅子だ、何か感じる物もあるのだろうとも考えていたが、所詮それは椅子に過ぎない。

 その瞬間だった。


「動くな!」


 鋭い声が、柱の影から響いた。


 反射的に振り向いたマックスの視界に、金髪碧眼の青年が現れる。細身の身体、この国の王家の紋章の刻まれた王冠。この男こそルシアン・ソラリス。このアウレリア王国6代目国王だ。そして、その腕にはアリシアが抱え込まれ、剣を向けられている。

 

 ルシアンは、背後から彼女を掴み、剣を向けている。


「アリシア!」


 マックスが叫ぶ。


 アリシアの身体が強張る。だが、その瞳は確かにマックスを捉えていた。


 マックスは剣を下ろしたまま、一歩踏み出す。


「アリシアを放せ」

「彼女を解放して、降伏しろ」

「降伏するなら君に手出しはしない」

「生きて、退位して然るべき裁きを受けろ」


 ルシアンの口元が歪む。


「……降伏? 退位?」


 乾いた笑いが喉から漏れた。


「ふざけるな!」

「殺しに来たんだろ!」

「廊下にいた護衛たちはどうした?」

「全員、僕の盾だった人間だぞ!」


 マックスは、無意識に剣を見た。


 刃には血が残っている。乾ききらない赤。ここへ来るまでに斬った兵士たちの命が、無言で突きつけてくる色だった。


「……ほらな、この蛮族どもが!」

「退位したとして、最早僕には何もない!」

「王でなくなった瞬間、僕は――」


 言葉が途切れる。


 ルシアンの手が震え、剣先がアリシアの胸元へと僅かに沈む。


「どうせ殺されるんだ」

「この場でお前らに殺されか、退位して下賎な平民共に裁かれて殺されるか!」

「結局は変わらないじゃないか!」


 マックスは答えなかった。


 答えれば嘘になると、分かっていたからだ。


 その時だった。


――逃げよう。


 ルシアンの脳内に、声が響く。

 ルシアンの視線が虚空を彷徨う。

――その人質を使って、この場を離れるんだ。

――こんな所で、君を失いたくない。

――君は王だ。まだ終わりじゃない。

――僕達なら、やり直せる。


 ルシアンの呼吸が乱れる。


「……逃げても」

「逃げたところで、いつか捕まるんじゃないのか……」

「一生、怯えて生きることになる……」


――それでもいい。

――君が生きていれば、それでいい。

――君は、僕のものだ。


「違う!」

「僕は僕の物だ!」

「父さんのでも、お前のでも、誰の操り人形でもない。」


 ルシアンは脳内の声に激昂した。


 異変に気づいたマックスが、思わず口にする。


「……大丈夫か?」


 返事はなかった。


 ルシアンは、そこにいない存在と必死に会話をしていた。


 次の瞬間、彼はアリシアを強く引き寄せた。


「僕の人生は僕が決めるんだ。誰には裁かせなんてしない!!」


 剣が、彼女の胸を貫いた。


「アリシア!!」


 刃は止まらない。


 ルシアンは彼女を掴んだまま剣を押し込み、そのまま自らの身体をも貫いた。二人は絡み合うように崩れ、床に血が広がる。


 マックスとグースが駆け寄る。


 アリシアは浅く息をしていた。胸の中央に深い傷。血が止まらない。


 マックスは膝をつき、彼女の手を掴む。


「大丈夫だ」

「きっと助かる……アリシア、聞こえるか」


 彼女の指が、わずかに動いた。


 その背後で、声がした。


「……どうしてだ」


 倒れていたルシアンが、天井を見上げていた。涙が頬を伝っている。


「どうして……こんな、バカなことをした」


 それは、確かにルシアンの口から漏れた声だった。しかし勇者は違和感を感じた。まるで彼の中の他者が彼の体で話しているような。


 その違和感はすぐに確実なものとなる。


「奪われた……」

「お前達は私から最愛を奪った……」

「最早この世界に私の欲しい物はない」


 その言葉が終わった瞬間、変化が始まった。


 ルシアンの身体が唸り声を上げる。内側から熱が込み上げ、皮膚の下を白い光が走る。目が光り、口の中が光り、血管が白色の眩い輝きを帯びて浮かび上がる。


 ルシアンは、もう話さなかった。


 言葉は尽き、意思も失われた。


 アリシアは悟った。


 これは、もう止まらない。


 彼女はマックスを見た。恐怖ではなく、確信の目で。


 涙を浮かべ、声にならない声で呪文を呟く。


「何をした?」


 マックスが問いた瞬間にその答えは出た。彼の周囲に、球状のバリアが展開する。人一人でいっぱいになる、透明な膜。シャボン玉のように歪み、外界を隔てる。


「出せ!」

「アリシア! やめろ!」


 マックスは膜を内側から拳で叩く。何度も何度も叩き続ける、だが、膜は揺れるだけで破れない。


 次の瞬間、太陽が、ルシアンの身体から生まれた。


 光が意味を失わせ、熱が概念を焼き、世界は白に沈んだ。


 その日、世界に終末は訪れた。

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