静かに揺れる炎
朝凪 渉(あさなぎ わたる)
第1話 偶然の焚き火 ― 出会う予定のなかった二人 ―
焚き火台が、ぐらりと傾いた。
「わっ——」
思わず声を上げた瞬間、別の手がすっと伸びてきて、金属の縁を支えた。
指先が触れ合うほどの距離で、二人は顔を見合わせる。
「大丈夫ですか?」
落ち着いた声だった。
高橋涼(たかはし りょう)は、キャンプ用品店の明るい照明の下で、見知らぬ女性と視線を交わしていた。
⸻
木の香りとスパイスのほのかな匂いが混ざる店内。
棚に並んだ焚き火台やランタンが、午後の光を受けて静かに輝いている。
涼はフリーランスのデザイナーで、休日は決まってソロキャンプに出かける。
誰にも気を遣わず、焚き火の炎を眺めながら過ごす時間が、何よりの贅沢だった。
「これ、一人で使うにはちょうどいいかな……」
独り言のつもりで呟いた声に、すぐ隣から返事が返ってくる。
「ええ。そのサイズなら扱いやすいですよ。私もソロでよく使います」
声の主は、先ほど焚き火台を支えてくれた女性だった。
キャンプ用品店の店員らしく、首から名札を下げている。
小川美咲(おがわ みさき)。
計画的で丁寧、道具の扱いにも無駄がない。
彼女にとってソロキャンプは、日常から少しだけ距離を取るための、大切な時間だった。
「そうなんですか?」
「はい。火力も安定しますし、収納もコンパクトです。ソロ派なら、たぶん重宝します」
涼は思わず微笑んだ。
店員の説明というより、同じ趣味を持つ誰かから助言をもらっている感覚に近い。
「なるほど……参考になります。あ、これ、倒れやすそうですね」
その瞬間、涼の手が別の商品に触れ、焚き火台が再びぐらりと揺れた。
「わっ」
「ふふ、倒す前に支えてあげますよ」
美咲はすっと手を伸ばし、焚き火台を支える。
指先に伝わる、ほんのわずかな力。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう……助かりました」
小さく笑い合った、その一瞬。
一人でいるのが好きなはずなのに、胸の奥に、説明のつかないざわめきが残った。
涼は焚き火台の脚を確認しながら、無意識に髪をかきあげる。
「ソロ派なのに、キャンプ仲間と話すのも悪くないですね」
美咲は口元を手で軽く覆い、少し照れたように答えた。
「確かに……でも、やっぱり一人の時間も大事ですけど」
「わかります。僕も、火を眺めながらぼーっとする時間は必要なんです」
少し間が空く。
美咲は棚に並ぶマグカップへ視線を移し、それから、また涼を見る。
「……ところで、星空の下でコーヒー、淹れそうですよね」
「え、なんでわかるんですか」
「雰囲気で、です」
涼は一瞬驚いた顔をしてから、困ったように笑った。
「よく言われます。焚き火見ながらだと、つい時間忘れちゃって」
二人の笑い声が、静かな店内に溶けていく。
涼は、美咲が道具を扱う指先の確かさに目を留めていた。
美咲は、涼の肩の力の抜けた佇まいに、不思議と安心感を覚えていた。
やがて、涼は買い物を済ませ、店の出口へ向かう。
「また、どこかで会うかもしれませんね」
美咲は店内から手を振り、微笑んだ。
「ええ。偶然も、悪くないかもしれません」
午後の光が棚に反射し、店内にやわらかな明るさを残す。
それは焚き火の炎のように——
静かで、あたたかく、揺れていた。
涼は店を出て、少しだけ歩調を落とす。
胸の奥に、小さな予感が残っていた。
また、どこかで。
静かに揺れる炎 朝凪 渉(あさなぎ わたる) @db230502
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