第11話 雨が降る前に
数日後の午後。
「ここで良いわ」
と、彼女――水無瀬梨絵が俺に言った。
「そうか」
あたりの様子を窺いながら、俺は応えた。
左手に下げていたボストンバックを白いタイルが張られた床に降ろす。
そんな俺と彼女の横を、出張らしいサラリーマンが足速に通り過ぎて行く。
床と同じ色の天井、頭の上からは鋼の車輪が、レールの上を走っている轟音が耳に入って来た。
駅。
その改札口。
午前中一杯を使って、細々とした雑事を済ませた彼女を、ここまで乗せて来たのだった。
彼女は、この都市を離れる。
どこかの支所へ異動になった。辞令も前倒しで出ている筈だ。
体の良い厄介払いで、監視付きの飼い殺しだ。
有能な彼女を失うのは惜しいが、かといって仕事の『裏』を知った彼女を、
野放しには出来ないという事だろう。
「色々有難う、喬一」
と、白い色のスーツに、ブルーのインナーシャツとのコーデネイトといった
格好の梨絵が頭を下げた。
「何だ、改まって」
「私はあなたを騙した――」
「いいさ。それ以上は言うな」
彼女の台詞を遮った俺は小さく笑った。
「どうして?」
「この件で俺は、お咎め無しだ。全て無かったことにする。そういう方針
だからな」
あれ程の騒ぎを起こしたのに、俺は何の罪にも問われなかった。
但し、
『これから宜しく頼む』という条件が付いた。
どうやら「使える奴」だと目を付けられたらしい。
ゲームの駒の様に扱われるのは御免だったが、
大手の組織の連中を相手にやりあい、攫われていた女を奪い返した。
そこまでやったのに、報復を受けずに放免ということを考えれば、まあ悪くない取引かもしれない。
それに、
「依頼人の面倒を、最後まで見るのは当たり前だ」
「そう」
「そうさ」
と、短く応えた彼女と、やはり短く応えた俺の上に声が降ってきた。
駅のホームに列車が入って来るという、アナウンス。
別の都市に行く急行列車。
反射的に左手のクロノグラフに視線を落とした俺に、
「時間みたい」
「そうだな」
白い壁に掛けられている時計を見た梨絵がポツリと呟いた。
「ここでお別れね」
「また俺に用があったら呼んでくれ」
「ええ、そうするわ」
じゃあ。と、軽く頭を下げて床に置いたボストンバックを手にした梨絵だったが、
「ね。喬一」
「どうした?」
「良かったら、私と一緒に来ない?」
上目遣いに俺を見つめてきた。
彼女の、何か決意を持った色の瞳。
それは、かなり魅力的な提案だった。
もう一度、ここを出て彼女とやり直す。
出会った頃の、俺と彼女の様にというのは無理だが、それに近いことは出来るかも知れない。
瞬間、そう思えた。
だが。
「悪いな」
その一言だけが口を突いて出た。
すまない。という台詞を喉の奥で止めた俺に、
「言ってみただけだから、気にしないで」
「あ、ああ」
口ごもった俺に、
「昔のオトコを、惜しいなんて思ったのは初めてだわ」
「光栄だな」
肩をすくめて応えて見せた俺に、梨絵がもう一度別れの挨拶を呟いた。
「――」
俺に背を向けて歩き出す。
改札を抜けた彼女が足を止めた。
ホームに抜ける階段の手前で、俺に振り返る。
小さく微笑った。
俺には泣いている様に見えた彼女が、踵を返し階段を降りていく。
彼女は、もう振り返らなかった
○
駅の外に出た。
朝から変らない、どんよりとした灰色の雲は、いつ降り出してもおかしく
無かった。
「喬一」
名を呼ばれた。
歩道の脇に停めている、 ロングノーズ・ショートデッキの車体。
2シーター・ハッチバックのそれに近づいた俺は、足を止めた。
「よくここだと判ったな」
「まあね」
棒読みな口調の俺に、フェアレディZに凭れていた女、森脇悠美が怒った様に
応えた。
「あんたが何をするかなんて、お見通しよ」
「怖いな」
小さく笑った俺に、
「あの人と、水無瀬さんと一緒に行かないの?」
「聴いてたのか」
自分の首の後ろを撫でながら、ため息を吐いた俺に、
「聴かなくても判るわよ——こんなことは」
「そうか」
「それで?」
「それでとは?」
「……」
質問に質問で応えた俺を、悠美が無言で瞳に捉えた。
「……残念ながら」
「どうして?」
「えっ」
思いがけない事を訊かれて、ポカンとした俺を、
「あんたは……喬一は、まだ好きなんじゃないの? 」
「なぜそう思うんだ?」
「ただの依頼人に、普通はあそこまでしないわ」
「……」
俺は、少しだけ黙ってから、
「アフターサービスだな」
付け加えた。
「昔のよしみって奴だ」
「昔の」
それに、と俺は続ける。
「お前の、悠美の言ってるそれは、俺のする事じゃ無い」
「何よ、それ」
「適任者がいるのさ」
微かに両切りの煙草とオイルの焼ける匂いが漂っていた。
何処かにガンメタのスカイラインGTRも停まっているのだろうが、ここからは見えなかった。
「なに訳の分からないこと言ってんのよ」
悠美が俺を睨み付けて言った。
「まぁ、そういうことだ」
「そういう……って何やってるの」
「何でも無い」
後ろを振り向いて手を振った俺の顏に、ポツリと水滴が当たった。
雨。
「降ってきたわ」
俺と同じく、空を見上げた悠美が、
「行かないのなら、帰らない?」
「それは構わんが」
「だったら」
と、急かすように言った悠美に、俺はブルゾンのポケットから出した鍵を
放った。
「えっ」
肩までの髪を揺らして、イグニッション・キーを両手でキャッチした悠美に、
「だったら、運転宜しく」
「だったらって、何よ」
「たまには労わってくれ」
「馬鹿」
ため息を吐いた悠美だったが、「パワステじゃないから、腕が太くなるのに」
などと、ぶつぶつとぼやきながら、
フェアレディの運転席のドアを開いた。
セルモーターが回り、エンジンがかかる。
助手席側に廻った俺は、ドアのノブに手を掛け、
「――」
先程と同じ、別れの言葉を呟いた。
「喬一?」
「ああ」
車に乗り込んだ。
ドアを閉める。
ギアが入り、ゆっくりと速度を上げ始めたフェアレディZの窓の外で、あっと
いう間に本降りになった夏の雨が、街の風景を黒く濡らし始めた。
雨が降る前に @tutima
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