銭湯余話
紀 聡似(きの そうい)
銭湯余話
生まれてから十歳までの間、我が家は風呂無しアパートに住んでいたために銭湯通いだった。
今さらながら銭湯通いは面倒だっただろうなと思えてしまうが、生まれてこのかたそれが当たり前だったので、当時の私は何とも思っていなかったはずである。
ふと今となって思い返してみれば、銭湯という場所も、これまた実に良き思い出の宝庫であったことに気付かされる。
先の文面に「銭湯通いは面倒だっただろうな」と記したが、面倒だったこととは行き帰りの道すがらのことである。
私の記憶が確かならば、自転車であれば五分程度の場所だった気がするが、徒歩で行けば、なお且つ子供の足に併せれば、二十分弱は掛かる道のりだったはずだ。
雨の日も風の日もあったろうし、暑い日も寒い日だってある。風邪気味や体調不良のときもあったはずだ。ところが私ときたら、銭湯への行き帰りの記憶というものが、ほとんどないのである。
母の話では、夏場は毎日、冬場は二日に一度が通いの頻度だったそうだ。平日は父の帰りが遅いため、母と姉と私の三人で夜前に通うのが決まりだったらしい。
それにしても、私は行き帰りが自転車だったのか徒歩だったのかさえ記憶にない。
結局、面倒で苦労したのは引率していた母だけの話かも知れないが、当人に当時の話を聞いても「それが当たり前だったからイチイチ気にしてなんかないわよ。私だって二十代で若かったんだし」と、あっさりしたものであった。
一番近所にあった銭湯は「ひばり湯」という名だった。ひばり湯は私が通っていた幼稚園の目と鼻の先にあったので、未だに経路までも覚えている。
建物は、いわゆる古くから知られる「ザ・銭湯」という構えであり、大きな煙突に縦でひばり湯と書かれていた。
自転車置き場のようなスペースに、炭酸栄養ドリンクのホーロー看板がひとつぶら下がっていた。あの有名なメガネの人のアレである。
余談になるが、ひばり湯が定休日の日は少し離れた場所の「すがの湯」に行った。茶色の薬湯だったり、大人でも立って入れる立ち湯(子供は沈む)と言ってよいのか、当時としてはちょっと風変わりな銭湯であった。
ひばり湯の番頭は夫婦がこなしていた。
男湯と女湯を分断している壁の入り口側をまたがるような格好で番頭台が据えられていた。番頭台は子供目線では見上げるような高さにあったために、そこからは男湯も女湯を展望でき、かつ料金精算も双方どちらからでも対応できる作りで、まさに「ザ・銭湯」だった。
子供心に興味があったのは番頭さんの頭上あったテレビである。テレビの内容に興味があった訳ではない。テレビはお風呂に向かって掲げられているため、我々お客さん側に画面が向けてある格好だ。
番頭さんの目の前には、顔くらいの大きさの鏡が斜め上に向けて置いてあるからして、彼らは鏡越しでテレビが視聴できたのである。
画像が反対になるのによく見ていられるな、などと幼い私は思ったりもした。
番頭は中年の夫婦がこなしていた訳だが、断然に旦那さんの方が愛想が良かった。
まず釣り銭のやり取りにしても親しみやすさがあった。いつも穏やかな笑顔を含ませながら、鏡越しでテレビを見ているといった印象が強い。
旦那さんの印象はそんなもんであった。
が、しかしいい歳になった私が思うに、実はこの旦那さんはスケベな横目で女湯を見ていたのではないかと思えてきた。
穏やかな笑顔の理由の裏面には、実はムムムである。
女湯が展望できるなど、これも今ではとても考えられない配置であって、やはり時代だったのだろう。
当時、テレビドラマの「時間ですよ」(再放送や続編)が流行っていたが、毎回登場する女湯のシーンがあった。胸やおしりをあらわにした女性のヌードが拝めた訳だが、私からすれば普段から見慣れている風景だったのもあるし、まだ性的な目覚めもなかったので、そんなシーンを見ても何とも思わなかったが、今振り返るとムムムである。
それはさておき、問題は番頭の旦那さんの疑惑ではなく、おかみさんの方である。
ムムムな旦那さんとは対照的に、いつもムッとしていた印象しかない。釣り銭のやり取りでも常に無愛想であった。
バラエティー番組が流れている時間帯では、子供の私は服を脱ぐのも忘れて見入ってしまうことがあった。テレビで面白い場面があり私はクスクスと笑ってしまったが、そのおかみさんときたら鏡越しで、私と同じテレビを見ていただろうにピクリとも笑っていない。憮然としたままであった。
何なら私に対して「テレビなんか見て笑っていないで、さっさと服を脱いで風呂に入ってこい」と怒られているようで怖かったくらいである。
だが、実際にそう思って私を睨んでいたのは、裸で待っている後ろの母だった訳なのだが。
テレビを見ているようで実は目に入っていない。そんな経験は誰にでもあると思う。うわの空というやつである。
あと、真っ直ぐ前を見ているようで、実は横を意識している。こんな経験も誰でもあるだろう。いわゆる周辺視野を広げている状態であるが、例えば気になる人が電車内にいたり、周りにいた状況で使う場面がある。おかみさんはまさにそんな風であった。心ここにあらず風な感じで番頭台に座っている。が、実際はどこに神経を尖らせているのか判らない。そんな不気味な印象があった。
と、なるとムムムが湧いてくる。
もしや、おかみさんの方も横目で男湯の男性のブツを品定め・・・などと思い返してしまう。
にしても私は本当に不純になってしまったものだ。この夫婦は二人で力を合わせて、すったもんだしながら銭湯を切り盛りしていたはずである。ここにも良き昭和があったのだ。という話でここは片付けておこう。
ひばり湯の湯船は大きなものと、やや深めで温度が高めの小さなものの二種類だった。
温度が高めの湯船には、いかにも頑固ジジイ、オヤジ的なジャンルが数人、我慢比べのようにしてよく入っていた。先に出たら負けだと言わんばかりに、みんな顔を真っ赤にさせて、梅干しが湯に浮かんでいるようになっていた。汗ばんでいるので梅干しのはちみつ漬けのようだった。私はその梅干し風呂に入った記憶はない。
そして後ろには、「ザ・銭湯」の典型である大きな富士山の絵が描かれていた。
なんの偶然か、その富士山の麓には赤や白の梅畑が広がっていて、手前の梅干しのはちみつ漬けどもを今思い返してみると、なかなかオツなビジュアルであったに違いない。
富士山の壁画の下に、広告看板のようなものが何個か掛けられていた。
中でもよく覚えているのは、黄色一色の下地に「車でローン」と黒で書かれているものだった。車の窓から身を乗り出して、男の人が笑顔で人差し指と親指で丸を作っているものである。ローンの意味を私は知らなかったので、何か楽し気に車で旅行を促す看板だと思っていた。
他には喫茶店であったり、スナックや自転車屋の看板があったと思う。それぞれの看板には電話番号と簡単な手書き風の地図が記されていた。店の現地を示す場所に矢印が引っ張ってあって、「ココ」と書いてある。漢字とか難しい字は目に留まらなかった当時の私は、店の名前が「ココ」なのかと勘違いして、どうして全部の店名が「ココ」なのだろう、と真剣に不思議がっていた。
喫茶店ココ、スナックココ、自転車屋ココの看板だと本気で思っていた。
銭湯という場所も一種の独特な香りがする空間である。
脱衣場にしても、床板から上がってくる香りは、石けんやシャンプーの香りだけでなく、湯上りで火照った人の身体から出る豆類を蒸したときのような匂いも混ざっていた。
特にその匂いを強く覚えているのは夏場でのことである。
あれは父と一緒だったので、たぶんお盆休みだったのだろう。その日の銭湯は昼間だったので、父と一緒だとすると、お正月かお盆くらいしか思い当たらない。
父と一緒の銭湯は少し緊張した。
本当は母と姉と一緒が良かったが、そんなわがままは言えるはずもなく、父がいる場合には父と男湯だった。
緊張したと言っても嫌な思い出なんかなく、むしろ懐かしむべきことの方が多い。
菖蒲湯の日は菖蒲の束から一本の葉を取って頭に巻いてくれたし、ゆず湯のときは実を何個か沈めて私の顔の下で浮上させ、ボコボコとアゴに当てたり、湯を乱したりさせて喜ばされた。
「数はいくつまで言えるんだ?」と父。私が「五十」と答えたら、「じゃあ五十数えてから上がってこい」と言われ、のぼせそうになりながら五十を数えた。
普段はどれだけ母におねだりをしても、湯上りには牛乳瓶しか買ってもらえなかった。だが父の場合は、コーヒー牛乳瓶だったり、リンゴジュース瓶を買ってもらえた。
ときには例の、あのホーロー看板の炭酸栄養ドリンクを買ってもらえたのだ。
幼少期の我が家では、誕生日とクリスマス以外の炭酸飲料は禁止されていた。
当時はキャップ式だったので、もったいぶってキャップをおちょこ代わりにしてちびちび飲んだものである。
表に出てからそれを姉に自慢でもしようものなら、直ぐに姉はひがんで外の自販機で父に同じものを買ってもらい、「あんたはさっき飲んだんだから一口もあげないからね」とか得意げに私に見せびらかしながら飲んでいた。私はさっき飲んだばかりなのに、後に飲んでいる姉を見ると妙に悔しい気分になった。
夏場で昼間となると湯上りの身体は火照った。
脱衣場から表に出られる扉があり、その先は縁側になっていて、ちょっとした庭も作られており、そこで涼んだ。普段の夜には出ない場所なので、瞼の裏にも新鮮に記憶している。
粗熱がとれて縁側から脱衣場に戻ると、あの独特な香りが待っていたのだ。
冒頭に、我が家は風呂無しアパートだったと紹介したが、思い出したらこんなことがあった。
何かの拍子で銭湯に行かなかった、もしくは行けなかった日があったようで、家で入浴した記憶があるのだ。
湯船は確かにキッチンの流し場であった。何かで栓をしてガス湯沸かし器でお湯を溜め、姉、私の順番で母に入れてもらった記憶がある。
安アパートの流しで狭かったはずだから、私が幼稚園児かそれよりも前の記憶かも知れない。どこか特別感を味わった記憶があり、自分だけのお風呂なんだという、今では当たり前の優越感に浸ったのを覚えている。
最後に、父と銭湯に入って怒られたことを思い出した一節。
私が背中や腕に紋々を彫り込んだお兄さんを指差して「お父さんこれって凄い絵だね、何の絵?」と聞いたとき、「人を指差してそんなこと言うんじゃない!」と頭を小突かれた。
父も実にヒヤヒヤしたに違いない。
おわり
銭湯余話 紀 聡似(きの そうい) @soui-kino
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