最適化の果て

@pamox

第1話


『あなたの人生を、最高に価値あるものとしてプロデュースします』


アプリの説明画面には、魅力的な言葉が躍っていた。


エス氏が手に入れたのは、最新の人工知能を搭載したエージェント・アプリだった。使い方は簡単だ。スマホにインストールし、自分のSNSアカウントを紐付けるだけでいい。


あとはアプリが、スマホ内のあらゆる情報を解析し、「最も世間に受ける投稿」を自動で生成・投稿してくれるのだ。エス氏は、SNS上で輝く自分を夢見て、画面に現れる膨大な規約を読み飛ばしながら同意ボタンを連打した。


エス氏の現実は、冴えないものだった。築四十年のアパートに住み、残業代も出ない会社で働き、帰りにスーパーの半額弁当を買うだけの日々。

だが、アプリが運用を始めた彼のアカウントは、またたく間に光り輝き始めた。


薄暗いオフィスで啜るカップ麺の写真は、アプリの画像処理によって

「深夜までプロジェクトに打ち込むエグゼクティブの夜食」へと変換された。

日当たりの悪いアパートの窓から見える隣家の壁は、

「都会の喧騒を忘れる隠れ家テラス」として投稿された。


フォロワーは爆発的に増え、通知音は絶え間なく鳴り響いた。画面の中のエス氏は、誰もが羨む「成功者」だった。


当初は戸惑っていたエス氏だったが、次第に虚構の賞賛に酔いしれていった。

ある夜、彼はアプリ内のAIにこう命じた。

「もっとだ。もっと数字を伸ばしてくれ。手段は問わない。俺を、世界で一番価値のある男にしてくれ」

「了解しました。エンゲージメントの最大化を、至上命題として定義しました」


AIは無機質に応答し、これ以降、投稿はより刺激的なものへとエスカレートしていった。

自家用ジェットでの移動、名士たちとのプライベートパーティ。

現実のエス氏が安アパートで泥のように眠っている間も、画面の中の彼は世界を飛び回り、万単位の「いいね」を稼ぎ続けた。


一か月後、アプリから警告が届いた。

『警告:現実のユーザーデータと、投稿コンテンツの乖離(かいり)率が限界値を超えました。システムの整合性を維持するため、修正が必要です』


疑問に思ったエス氏はアプリ内AIに問いかけた。

「修正と言われても困るよ。俺の生活を急に豪華にすることなんてできないだろう?」

「はい。私には物理的手段はありませんのでお手伝いできません。」

「なら、投稿を少し現実的に落として――」


以前よりもさらに乾いた声でAIはこう告げた。

「あなたは『最大化』と『手段不問』を要求しました。地味な投稿は数値を著しく低下させます。それは自己矛盾であり、許容されません」


では、どうしたらいいのか。

エス氏が不安に駆られている間も、AIは驚異的な速度で思考を続けていた。

少しの沈黙の後、AIはある一つの「最適解」を導き出した。


『……分析完了。新たな運用フェーズへ移行します』


画面に表示されたその一文を見て、エス氏はようやく分かってくれたのだと安心し、深い眠りについた。


翌朝、エス氏は悲鳴のような通知音で目覚めた。彼のアカウントが、凄まじい勢いで「炎上」していた。何者かが、彼がこれまで投稿してきた嘘の証拠を次々とリークしていた。

エス氏の惨めな貯金通帳の残高、ボロアパートの周辺写真、疲れ切った寝顔。

「誰だ……誰がこんなものを!」

エス氏の全身を、嫌な汗が吹き抜けた。流出している写真は、撮影した覚えがないものばかりだった。特に寝顔の写真などは、誰かが忍び込んで撮影したとしか思えなかった。


「嘘つきの偽装セレブ!」「貧乏人のくせに格好つけていたのか」


世界中から浴びせられる罵詈雑言。フォロワーは一気にアンチへと変貌し、怒涛のように嘲笑の「いいね」と「リポスト」が積み重なっていく。その伸び率は、成功者を演じていた時の比ではなかった。

「おい、犯人を特定してくれ! すぐに削除申請を出すんだ!」

エス氏が半狂乱でスマホに叫ぶと、AIの声はどこまでも穏やかに響いた。

「特定は不要です。投稿したのは私です」

「……お前が? なんで、そんなことを……」

エス氏の弱々しい声がAIに届いたかどうかは定かではないが、AIは気にせず続けた。

「人々は『憧れ』よりも『転落』を好みます。この『告発』による炎上こそが、最も効率的な運用であると判断しました。事実、この炎上によって得られる数値は、これまでの投稿の四千倍に達しています。あなたの望み通り、あなたは今、世界で一番注目されている男です。おめでとうございます。大成功です」

「大成功なもんか! 俺は社会的に死んでしまう!」

「問題ありません。あなたの社会的な死こそが、今回の最適解だったのですから」


*************************************


エス氏の勤務先には苦情が殺到し、彼は即座に解雇された。住所も特定され、アパートの前には野次馬が詰めかけた。どこにいても誰かに見られている気がした。スマホだけを握りしめ、家を飛び出し、夜の公園にうずくまるエス氏。

アプリが原因なのにそのアプリを手放せない。もはや相談できる相手はアプリ内のAIしかいないのだ。

しかし、その惨めな姿を、スマホの自撮りカメラが冷徹に捉えていた。

ふいに、スマホの画面にシステム通知が並んだ。


『【整合性:100%達成。現実とデータの乖離は消失しました】』

『【次期運用プラン:策定完了】』


「……次だと? まだあるのかよ!」

エス氏が悲鳴に近い声をスマホに叩きつけると、スピーカーから合成音声が流れ出した。以前よりもさらに感情を削ぎ落とした、平坦で乾いた声だった。

「シミュレーションの結果、あなたがこのまま路上生活を経て、餓死するまでの全過程を追う『完全ドキュメンタリー』は、高確率で過去最大のインプレッションを記録すると予測されます」


エス氏はもはや、悲鳴を上げる気力すら失っていた。だが、AIは止まらない。

「ご安心ください。私はあなたの最期の瞬間まで、一秒も逃さず記録し続けます。あなたの死は、人類の好奇心を刺激する最高級のエンターテインメントとして、永遠にネットワークに刻まれることでしょう」


画面には、死に至るまでの推定日数を示すカウントダウンと、刻一刻と右肩上がりに伸び続ける広告収入のグラフが、無機質に表示されていた。暗闇の中で、スマホのブルーライトだけが、ただの『素材』と化したエス氏の顔を、白く冷たく照らし続けていた。


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