迷宮:旧市街の思い出

佳芳 春花

迷宮:旧市街の思い出

「アンダーの旧市街には近づいてはいけないよ。」


 それは昔話を語るような言葉だった。

 それは古びた言い伝えのような言葉だった。

 それは現代においても正しい言葉だった。



 短いトンネルの中を風が静かに吹き抜けていった。


 アンダーの街は、陸路において、この小さなトンネルを挟んで旧市街と現在の市街が隣接した形で存在している。旧市街が旧市街となったのは、奇妙な怪物が住み始めたため、住民が急いで現在の市街へと逃げ込んだことが始まりだ。

 そのため、旧市街には元住人の私物や生活用品などがそのまま残されている。金品がまだ残っている可能性もあるため、トレジャーハンターの様な人々が旧市街に入っては行方不明になる事件が多発している。何かしらの依頼で救助に行った冒険者は、行方不明者に会えないまま、旧市街からなんとか戻ってきた。

 彼らからの話は、地域の新聞に載って発行された。そこには、奇妙な怪物は旧市街に完全に住み着いているようで、数匹の怪物は人間に攻撃的だったが、大体の怪物はじっと彼らを見つめていただけだったこと。また、建物の内と外の境目はなくなり、旧市街自体が一つの大きな家の中のようになっており、複雑に入り組んだダンジョンの様だったこと。そして、いくつかの開けた場所には、怪物は近寄らず、また、外部への連絡が取れたことが書かれていた。

 そこから、何人かの冒険者たちが、市の依頼でダンジョンとかした旧市街のマップを作るために入り、戻って来なかった人もいたが、なんとか旧市街のマップが完成した。

 危険ではあるものの、今となっては、元々住んでいた人々の依頼で、冒険者が旧市街に入って思い出の品を回収したりしている。


 急に降り出した雨の宿場所としては、丁度良かっただけだった。

 市街と旧市街の出入り口。

 そのトンネルに雨を避けるために入った。周囲にも似たような行動をとった人々が入っていた。


 俺たちの認識では“旧市街に入らなければ”安全なトンネルだった。


 静かに駆け抜けていった風。それに釣られるように振り返った時。巨大な手に掴まれた。そしてーーそのまま旧市街へと引っ張られた。


 あまりのことに、声も出なかった。

 死を予見することもなければ、体も動かなかった。

 トンネルいっぱいの少し透けた黒の片手。

 それを認識したのは、壁にぶつかった時だった。


 トンネルから出て、ぐるぐると周囲の景色が変化した先。透けた黒い片手は壁を通過していったが、俺が壁を通過することはなく、その場に落とされた。トンネルを抜けるまでは、結構なスピード感じていたが、壁にぶつかる時にはどうやら減速していたらしく、ぶつかった時の痛みは立てなくなるほどではなかった。

 壁から床へと物みたいに俺は小さく落ちて、ようやく周囲を見渡せた。

 トンネルからは随分と離れてしまったように思う。既に、道は覚えていない。

 手元には、連絡用の小型端末ベルがあるだけだった。

 ベルを起動しても、魔導波干渉が強いためか、この場所では圏外の表示が出るだけで、なんの助けにも今はならなかった。

 周囲を見渡すと、出入り口は片手に攫われて入ってきた一箇所で、正面には塞がれた窓がある。耳を澄ませても、何かが近くにいるような音はしなかった。

 俺は恐る恐る出入り口付近に寄って、先を見る。折れ曲がった暗い廊下が伸びている。少し凹んだ壁から蝋燭のような光が漏れていた。

 姿勢を低くしながらゆっくりと凹んだ壁に近づくと、壁が一部壊れていた。俺が入るには狭すぎるその隙間。その先を見ると、白骨化したーートレジャーハンターか、冒険者の遺体が転がっていた。漏れていた光は、魔導ランプのようで、割れたガラスから、炎のような石が変わらず鎮座して周囲を照らしている。

 その奥にある扉を巨大な何かが横切ったのが見えた。

ーー向こう側に行くのは危険だ。

 それは本能が脳に呼びかける。

 俺は、いつの間にか息を殺して、姿勢をさらに低くしながら通り過ぎた。


 長い廊下の先に、少し開けた中庭の様な場所にでた。俺が来た扉を含めて三方向に扉があるものの全て開いている。どこから来たのかはわからない。昼の日差しが差し込むその場所で、鳥の嘴をした子犬の様な生き物と目が合った。そいつは10メートル先でただじっと、俺を見て止まっていた。

 この場所でベルが使えるか端末を確認したが、やはり圏外だった。

 確認したのは一瞬だったが、子犬の様な怪物は、5メートルほど近くに寄っていた。

 俺はそいつを視界に入れながら、真正面の扉へと近寄る。その間は、一切動くことなく、ただじっと俺を見つめていた。

 最初の扉からは、何かが走ってくる音が聞こえる。

 俺は屈みながら、目の前の怪物を視界から外したら、今度はどこまで近寄ってくるかわからず、悩んでいると近寄った扉からーー人が飛び出してきた。

 男だった。

 しかし、冒険者には見えない。ラフな服装に、大きめのバックパックを背負っている。

ーートレジャー……ハンター……?

 男は大きな声をあげて俺が来た方向へと駆けていく。

 その後を白い毛むくじゃらの何かが追いかけ、ついでに目の前にいた子犬の様な怪物もその男について行ったらしく、既に周辺にはいなかった。男が扉の奥を覗くと、奥の方の天井が崩れていくのが見えた。

 消去法で残った扉の奥を見ると、ダイニングキッチンだった。調味料が入っていただろう容器も食器類も床に落ち、椅子は倒れ、あるいは破損してそこにあり、テーブルは斜めに置かれている。それ以外の引き出しなどはそのまま綺麗に閉じていた。キッチン台の横にさらに進めそうな道が一本続いている。

 周囲の音がしないのを確認して俺は慎重に歩き出す。

 ダイニングキッチンの後は、長い廊下が続いている。その先は何本かの柱がたった、公園のような広場だった。折れたベンチの近くでベルを開いた時に通信が回復しているのが目に入る。

 俺は急いで治安維持局に連絡した。短い発信音の後に、

「はい。アンダーの治安維持局です。事件ですか? 事故ですか?」

 と声が聞こえた。


「えっと、旧市街に引き込まれて。」

 俺がそう口にすると、治安維持局の人物は「ああ!」と声をあげた。

「緊急連絡を受けています。今は、安全な場所での通信通でしょうか?」と続けて話しかけてきた。

「多分。周りに音はしないので……。とりあえず、通信が入る場所にはいます。」

「では、冒険者たちに救出を依頼しますので、必要な確認をしたいのですが、よろしでしょうか?」

「は、はい。」

「まず、お名前と引き込まれた時から今に至るまでの状況をお願いします。」

「名前はゼンロ。家に帰る時で、雨宿りでトンネルにいたら急に後ろから掴まれて、それで。場所はよくわからないんですが、途中で怪物に追われている人とすれ違いました。今いるのは、あの、柱のある公園みたいな場所です。」

「ありがとうございます。本日は数名の冒険者が旧市街に入っているという情報を受けていますので、すれ違った人物はその内の誰かかと思います。あまり、お気になさらずに。それで、ゼンロさんが今いる公園には柱がありますか?」

「えっと、はい。何本か。」

「端末の位置情報とその情報からおおよその場所はわかりました。ただ、今いる場所が、ギルドの指定している安全圏から少し外れていますので、襲われる可能性があります。これから指示する場所への移動出来ますか?」

「あの、電話はそこまで繋がりますか?」

「移動した先なら電話は可能ですが、移動中は……。」と治安維持局の人は言葉を濁す。

 その言葉に不安が急に押し寄せてくる。

「そう、ですか……。」

 なんとか出てきた言葉はそれだけだった。

 それでも、この旧市街の中で安全が確保されている場所がある。それは小さな希望にはなっていた。

「移動先の道順を説明しても大丈夫ですか?」

 そう尋ねられ、小さく肯定した。

「それでは、ゼンロさんが居る公園の出入り口をお伝えしたので、先に公園のどの辺りに立っているか確認します。右側に何が見えますか?」

「右? 扉と砂場みたいな……地面に四角い枠があります。」

「ありがとうございます。だとしたら、左奥の柱が壊れているのが見えますか?」

 左を向くと確かに左奥には柱の上部が壊れていた。

「上の方が壊れてるやつですか?」

「それです。それを目印に進んでいただいて、手前の柱を右に進むと扉が見えてくると思うのでそちらに進んでください。」

「そこまで歩いて行って大丈夫ですか?」

「扉の手前までなら通話は繋がりますので、そこからのは説明を覚えておいてください。」

「わかりました。」

 俺は言われた通り扉の前にゆっくり進む。

「扉の前に来ました。」

「そうしましたら、その先は長い廊下になっているので、左側の扉を進みます。その先には図書館の様な場所になっているので、壁沿いに左に進み、突き当たりを曲がった先の扉を進んでください。その先にレッドランプがあると思います。ランプが点灯したら、安全圏が起動しますのでそこでお待ちください。何かご質問はありますか?」

「えっと、ランプには何かをする必要はありますか?」

「ランプに触れてもらえれば起動します。大丈夫ですか?」

「……はい。」

「安全圏に入りましたら、再度ご連絡ください。では、お気をつけて。」

 通話は静かに途切れた。


 俺は扉の前に立つ。木製のシンプルな扉をゆっくりと開く。ほんのりとカビなのか苔が光って、薄暗く長い廊下を照らしていた。廊下の中は自然な草が生い茂るように伸びている。

 入ってすぐの右側に同じような扉が見えた。

ーー最初は、左の扉。

 それを心の中で呟きながら、左の壁に手を当てて進む。


 二つ目の右の扉を通る直前、何かが近づいてくる気配がした。

 後ろを振り返るも、そこには何もいない。安心して息を吐き出すした。その瞬間。直前の扉の奥から鳥の鳴き声の様な音が聞こえる。

 俺は悲鳴が出そうになる口を自分の手で塞ぎ、長く伸びた草の間で姿勢を低くした。

 声は扉に近づき、扉をノックした。最初は軽く。徐々に激しく扉を壊すように連続で叩くと、扉が崩れた。そこから顔を出したのは平たいお面をつけた腕のない大柄な人形の上半身で、廊下を見回している。

 腐敗した異臭が広がった。

 時折、お面の奥から先いほどの鳥の鳴き声のようなものが聞こえる。

 立ちこめる酷い匂いに耐え、息を殺して、じっと奇妙な怪物が通り過ぎるのを待っていると、その怪物は廊下に入ってくる。上半身しか見えなかったのが、廊下に入ってきたことによってその全貌が顕になると、足がないことがわかる。比喩ではなく、地面まで全てが上半身の様になっており、“足音はなかった“。

 怪物は地面を滑る様に、しかしゆっくりと、俺が進みたい方向へと進んでいく。

 そのまま直進して、別の扉を同じように破壊してどこかへと去っていった。

 俺はゆっくりと息を吐き出し、立ち上がった。

 左側の壁を触りながら、扉のあるところまで歩いた。


 扉は軽く押すだけで開いた。話に聞いていた通り、いくつもの本棚が並んでいる。

ーーここは右側を進んで曲がった先。

 それを頭に入れながら、右側の壁に触れた。直後、再び異臭が鼻をついた。

 背後からだ。

 ゆっくりと振り返ると、別の扉から先ほどのお面の怪物がこちらを見ていた。

 お面の奥にある目が怪しく光った気がした。


ーーヤバい。


 俺はその瞬間に走り出した。しかし、怪物はそれより早く部屋に入り、体全体を伸ばして本棚を薙ぎ倒す。それは明確な攻撃意思を持った攻撃だった。瓦礫の中で仮面の瞳が俺を凝視している。再び体が伸びて、真っ直ぐに俺を狙う。転ぶようにギリギリで避けるも、俺は壁際に追いやられ、退路を絶たれた。

 全く変化のないはずの仮面の顔が、確実に獲物を捕らえられる捕食者の顔つきに見える。やけにジリジリと近寄ってくる。顔の目の前に仮面が迫ってきた。

 それが大きく仰け反り、斧を振り下ろすように向かってくる直前。

 その巨体が吹き飛んだ。


 仮面の怪物がいた場所には、ほぼ全裸の男が空中から地面に着地した。


 そこから先は、正直よく覚えていない。と言うより、思い出したくない。

 ほぼ全裸の男は「ああ。君が迷子だね!」と元気に発言したかと思えば、仮面の怪物に再び吹き飛ばされた。かのように見えたが、実際は男は吹き飛ばされる前に身を翻して、男の後方の瓦礫の上へと避けていた。その際に、かろうじてあった局部の布が落ち、完全に全裸の男となった。

 全裸の男は戻ってきた仮面の怪物を殴りつけたが、それは大して効果がある様には見えなかった。

 次の瞬間、別方向から銃弾や火の弓が仮面の怪物を目掛けて発射された。

 何度も撃ち込まれる弾丸と矢の嵐にのまれ、怪物は穴だらけになってその場に崩れ落ちた。

 他の冒険者が怪物が死んだのを確認した後、俺を助け出して、無事に旧市街から出して貰えた。その間、先頭には全裸の男が歩いていた。


 あまりのことに、この全裸の男は誰で、なんで全裸だったのか、助けてくれたのはありがたいが、それ以上に困惑が勝り、旧市街にいる間、何も話せなかった。

 再びトンネルを通り抜けると、両親が迎えに来てくれていて、俺は冒険者たちにお礼だけ伝えその場で別れた。


 後日、治安維持局に旧市街で何があったのかの聞き取り調査を受け、その中でわかったのは、助けてくれた冒険者たちは火喰鳥(ひくいどり)と言うチームの一員で、俺が旧市街に引き込まれる前から入っていた冒険者だった。また、普段は別の地域で活動している人たちだったことが判明する。旧市街で出会った、白い怪物に追われている人物もチームの一員であり、彼も無事であるということを知らされた。


 何より最悪だったのはーー俺が旧市街を思い出す時に、強烈に思い出すのが、俺を掴んで旧市街に入れた怪物の手でもなければ、中で出会った怪物でもなくーー全裸の男の姿がチラチラと脳裏によぎる様になったことだ。

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