成仏しよう
雀野ひな
第1話
「ただいま」
「ただいま〜」
僕が帰ると同時に、彼女も帰宅する。
僕のすぐあとに手を洗って、僕のすぐあとにベッドに飛び込む。
「今日も疲れたねえ」
僕の隣でそう言って、それから僕に抱きつく。
「たっくんの匂い、落ち着く〜」
そうしているうちに、彼女は少し遅い昼寝を始める。
「相変わらず、なつは可愛いね」
僕は彼女の髪を撫でる。
そう、彼女は全てが相変わらずだ。行動も、仕草も、匂いも、温もりも、何も変わらない。
ただ、死んでいるだけ。
彼女は一年前に死んだ。蝉のうるさい午後、信号無視の車に轢かれて。
あのとき、僕はすぐそばにいた。咄嗟に、彼女を守ろうとした。間に合わなかった。
頭が真っ白になった。転がる遺体を前に、僕は泣き叫んだ。
その瞬間からだ。死んだはずの彼女が、目の前に現れるようになったのは。
彼女は何事もなかったかのように生活をした。僕と一緒に寝て、起きて、大学へ行った。授業も一緒に受けて、ご飯も一緒に食べた。
「たっくん! このハンバーグ、おいしいよ」
今日の昼も、食堂でほっぺをいっぱいに膨らませて、彼女は笑う。
「そっか。よかったね」
彼女の横で、僕は答える。視線を感じて目をやると、斜め前の女の子が冷たい目で僕らを見ていた。
いや、違う。正確には、僕だけを見ていた。
僕にしか彼女は見えなかった。だから、ひとりでに話す僕のことを、みんなは白い目で見るのだ。
それでも構わなかった。僕は、彼女と一緒にいられればよかった。
ただ一つ、問題があった。彼女は、自分が死んだことに気づいていないようだった。
だから、外でも普通に人に話しかける。
「そのスカート、可愛いね!」
今日の帰り際も、彼女はそうやってクラスメイトに話しかけた。
僕も急いで口を開く。
「林さん。そのスカート、素敵だね」
林さんは嬉しそうにくるりと回った。
「でしょー。その服も、なかなかいけてると思うよ」
そのまま、上機嫌に去っていく。僕はほっと胸を撫で下ろす。今回もうまく誤魔化せた。
僕は、彼女が傷ついてしまうのが怖くて、こうやっていつも誤魔化していた。彼女が話しかける人に僕も話しかけたり、わざと言葉を被せたり。
おかげで、彼女は今日まで、違和感を抱いた様子はない。
だけど、僕は決意をした。彼女に、本当のことを伝えようと。
今日は彼女の命日だ。それを考えたとき、僕は今のままではいけないと思った。
ここにいるということは、彼女が成仏できていない証拠だ。それはきっと、よくないことだと思う。
できればずっと、一緒に生活していたかった。一緒に大学を卒業して、当たり前みたいに未来を迎えるはずだった。
だけど、それはもう叶わないのだ。彼女は死んだ。僕たちは、本当は一緒にいるべきじゃない。
もうすぐ、日が暮れる。蝉はまだ、うるさく鳴いている。
「なつ。話があるんだ」
扇風機の前で涼んでいたなつが、不思議そうに振り向く。
「たっくん、どうしたの? 改まって」
「大事な話なんだ。いいから、ここ座ってよ」
僕は、袖を捲りながら言う。なつは、暑そうにTシャツの胸元をパタパタさせながら、僕の横に座った。
「なあに?」
どこかおどけたような、無邪気な顔。僕は込み上げてくる涙に、必死に歯を食いしばる。
「なつ、ごめんね」
「何、どうしたの?」
彼女は焦ったように顔を覗き込んでくる。汗の混じった、柔らかい彼女の匂い。
僕は、意を決して口を開く。
「あのね。なつはもう、死んでるんだよ」
彼女は目を見開いた。
「え、何言ってるの?」
「本当だよ」
「違うよ、違う。たっくん、勘違いしてる」
彼女は、事実を受け入れられないようだった。それもそうだ。一年間も気づかずに、生きてきたんだから。
僕は彼女の肩を掴み、できるだけ落ち着いた声で言った。
「一年前の今日、僕たち事故に遭ったでしょう。あのとき、死んじゃったんだよ。なつは……もうこの世にはいないんだよ」
なつは下を向いた。ぽとりと、雫が落ちるのが見えた。
心が痛かった。もっと早く伝えられたらよかったのだろうか。だけど、僕には無理だった。
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
「それは違うよ」
予想外の言葉だった。混乱しているのだろうか。だけど、彼女の目は驚くほどまっすぐ僕をみつめている。
「たっくん。もう分かってるはずだよ」
分からなかった。彼女が何を言っているのか。分かっていないのは彼女の方だ。僕は事実を伝えたのに。
その瞬間、僕は空気が一気に冷えるのを感じた。
「あの日死んだのは、たっくんの方でしょう」
景色が歪んだ。わけが分からなかった。
僕が死んでいる? まさか。まさかね。
「あの日、たっくんが私を助けてくれたんだよ。それからね、たっくんはずっとそばにいてくれたの」
彼女の言葉は、一つ残らずすり抜けていく。
「信じられない? でもね、たっくん。たっくんはいつもその格好。どんなに暑い日も、どんなに寒い日も、その薄い長袖一枚なの」
僕は彼女から手を離し、自分の体を見た。長袖からのぞく腕に、汗はひとつも浮かんでいない。
「それにね、なつが死んでるならどう説明するの? この部屋で、一緒に暮らしていること」
僕は部屋を見渡した。何もおかしなところはない。普通の、一人暮らし大学生の家だ。彼女が生きていた頃だって、よく互いの家に泊まっていたはずだ。
「分からない? だってこの部屋、なつの部屋だよ」
彼女の声は、ひどく冷たく聞こえた。僕は目を逸らしたかった。彼女のまっすぐなその目から。次々に現れる証拠から。
僕らについての、真相から。
「なつはもう大丈夫。一人でも、ちゃんと生きていけるよ」
彼女は、冷たく、けれど優しく、笑って言った。
「だからね、たっくん。成仏しよう」
成仏しよう 雀野ひな @tera31nosuke
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