第1話 ムーラン
龍林の大地
果てしなく広がるこの世界――
龍林の大地は、人類が暮らす場所であり、
四つの偉大なる大帝国に分かたれていた。
四大帝国の境界が交わる中心の地には、
一本の巨大な石柱が、悠久の時を挑むかのように聳え立っている。
それがいつ、どのようにして生まれたのかを知る者はいない。
人々は畏敬の念を込めて、
それを――**「天魂の柱」**と呼んだ。
伝説によれば、この柱こそが、
人の中に稀に宿る特別な力――
**「魂力(こんりょく)」**の起源であるという。
魂力を持つ者は、
異界、あるいはこの世界に存在する霊獣と繋がり、
召喚し、魂を結ぶことができる。
その証として、石柱の表面には古代文字が深く刻まれており、
今なお消えることのない淡い光を放ちながら、
**「霊魂戦士」**として生きるための掟と道を語り続けている。
それ以来、人は霊獣と契約する術を学び、
やがて――
常人を超える力を持つ存在が生まれるようになった。
そしてそれが、
新たな伝説の始まりであり――
今もなお語り継がれる物語の、起点である。
月満ちる宿(げつまんちるやど)・周(しゅう)の町
昼下がりの周の町。
宿屋の裏手には、煮込みの香りと湿った土の匂いが漂っていた。
かつて強烈だった日差しは和らぎ、
心地よい温もりだけを残している。
表通りの喧騒も次第に静まり、
一日の最も忙しい時間は、すでに過ぎ去っていた。
宿の裏庭、洗い場で――
一人の小さな少女が、黙々と働いていた。
ムーラン。
十二歳の彼女は、同年代の子どもより少し痩せて見える。
十分とは言えない食事のせいだろう。
小さな両手は、大きな木桶の濁った水に沈み、
茶の実から作った石鹸の泡にまみれている。
彼女は一枚一枚、丁寧に油汚れを落としていた。
その横には、
彼女の背丈を超えそうなほどの洗い物が山のように積まれている。
重労働に顔をしかめる少女も多いだろう。
だがムーランは違った。
祖母が寝る前によく歌ってくれた民謡を、
かすれながらも楽しそうに口ずさんでいる。
その小さな世界には、
ささやかな幸せが確かに存在していた。
彼女はここで働き始めて、もう半年になる。
学校が終わると、毎日ここへ駆けつけ、
皿洗いの賃金で――
祖父の薬草を買い、
祖母の誕生日には木の簪を贈った。
宿の女主人・梅(メイ)おばさんは口は悪いが、根は優しい。
だからこそ、ムーランを雇ってくれているのだ。
――ゴホッ。
小さな咳が、静かな空気を揺らした。
ムーランは手を止め、音の方を見た。
古びた壁の影に、
二、三歳ほど年下の少年が、身を潜めて立っていた。
汚れきった身体。
破れた衣。
骨ばった体。
そして――
飢えと警戒が入り混じった、その瞳。
少年の視線は、
近くに置かれた残飯の桶に釘付けになっていた。
――グゥ。
腹の鳴る音が、痛々しく響く。
ムーランの胸が、きゅっと締めつけられた。
彼女は知っている。
空腹のまま夜を待つ、その辛さを。
素早く周囲を確認する。
梅おばさんは帳簿に夢中。
料理人の張(ジャン)兄さんは、きっと薪部屋で昼寝中。
――少しだけ、危ないけど……!
彼女はそっと、
桶の上に残された、まだ温かい饅頭を二つ掴んだ。
「……ねえ、こっち」
少年は怯えたように身をすくめる。
「大丈夫だよ。何もしないから」
ムーランは、精一杯の笑顔で饅頭を差し出した。
少年は恐る恐る近づき、
震える手で受け取る。
「早く食べて。
それから、すぐ行って……見つかる前に」
少年は何も言わず、
深く、何度も頭を下げると――
路地の奥へと消えていった。
ムーランは、その背中を見送って、
小さく微笑んだ。
胸の奥が、
賃金をもらうよりも、ずっと温かかった。
彼女は知らなかった。
そのすべてを――
誰かが、見ていたことを。
宿の二階。
窓辺で上質な茶を啜る、
藍色の絹衣を纏った青年。
「……優しい心だ」
彼は静かに微笑み、護衛に命じた。
「調べてこい。
あの娘のことを、すべてだ」
「はっ、若様」
夕陽がムーランの頬を照らす。
彼女の小さな世界は、
まだ何も知らないまま――
だが、運命はすでに、動き始めていた。
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