先生、その猫耳に恋をする

@Noaaaaaaa

第1章「先生は知らない」

第1話「猫耳アルバイト」

「にゃんにゃん♪お帰りなさいませ、ご主人様」

放課後の繁華街。雑居ビルの三階にある猫耳メイド喫茶『ネコノテ』で、桜井蓮は今日も猫耳をつけて客を出迎えていた。

制服はクラシックなメイド服に、ふわふわの猫耳カチューシャ。尻尾まで付いている。十七歳の男子高校生がこんな格好をしているなんて、クラスメイトに知られたら一生笑い者だろう。

でも、時給は普通のバイトの一・五倍。母子家庭で母親が体調を崩しがちな蓮にとって、この収入は貴重だった。

「レンちゃん、テーブル三番お願い」

店長の声に、蓮は「はーい!」と元気よく返事をする。

店では本名の「蓮(れん)」をそのまま使っているが、ピンク色のショートウィッグをかぶり、薄くメイクをしているため、学校の知り合いに会ってもまず気づかれない。念のため、学校からは電車で三駅離れたこの街で働いている。

注文を取りに行くと、三十代くらいの男性客が目を細めた。

「レンちゃん、今日も可愛いね」

「ありがとうございますにゃん♪ご注文は?」

語尾に「にゃん」をつけるのは、最初は恥ずかしかったが、今ではすっかり慣れた。客は喜ぶし、チップも弾んでくれる。演技だと割りきれば、意外とできるものだ。

蓮は注文を受け取ると、キッチンへ伝票を通す。その隙に、鏡で自分の姿をチェックした。ウィッグがずれていないか、猫耳が曲がっていないか。

「レン、慣れたわね」

声をかけてきたのは、同じくメイド姿の先輩バイト、心咲だ。こちらは本物の女性で、大学二年生。面倒見がよく、蓮がこの店に入った時から色々教えてくれた。

「まあ、三ヶ月もやってればね」

「最初は『僕、男なんですけど』って真っ青になってたくせに」

「やめてよ、恥ずかしい」

蓮が苦笑すると、心咲はにやりと笑った。

「てもレン、お客さんから評価高いわよ。中性的な顔立ちが逆に受けてるみたい。『天使みたい』って言ってる常連さんもいるし」

「天使って……僕、男だよ?」

「だからこそでしょ。『男の娘』って需要があるのよ」

心咲の説明に、蓮は複雑な表情になる。確かに、客層は様々だ。普通にメイド喫茶を楽しみたい人、癒しを求める人、そして蓮のような「男性メイド」目当ての人。

店長の方針で、この店は「男女問わず、可愛ければオッケー」というコンセプトだった。おかげで、他の店にはない独自性があり、固定客も多い。

「さ、休憩終わり。頑張りましょ」

心咲に背中を押され、蓮は再びフロアへ戻った。


その日の営業が終わったのは夜の十時。

更衣室でウィッグを外し、メイクを落とすと、鏡の中にはいつもの男子高校生が映ってる。少し中性的な顔立ちだが、間違いなく男だ。

「お疲れ様ー」

制服から私服に着替えながら、心咲が声をかけてくる。

「お疲れ様です」

「今日も稼いだわね。週三でこれなら、月に結構な額になるでしょ?」

「うん、助かってる」

蓮は財布に今日の給料を仕舞いながら、小さく息をついた。

母親は持病の悪化で仕事を休みがちになり、収入が不安定だ。蓮が高校に進学する時も、「働いて欲しい」と言われかけた。でも、蓮はどうしても勉強を続けたかった。大学に行って、ちゃんとした仕事に就いて、母を安心させたい。

だから、このバイトは絶対に続けなければならない。

「レン、無理してない?」

心咲が心配そうに尋ねてくる。

「大丈夫。学校も休んでないし」

「そう……でも、困ったことがあったらいつでも言ってね」

「ありがとう」

蓮は素直に感謝を伝えた。心咲は本当に優しい。この店で働けて良かったと、心から思う。


翌朝、蓮は電車に揺られて学校へ向かっていた。

都立桜ヶ丘高校。進学校ではないが、荒れてもいない、ごく普通の高校だ。蓮は二年A組に所属している。

「おはよう、桜井」

教室に入ると、クラスメイトの田中が声をかけてきた。

「おはよう」

「昨日も遅くまでバイト?顔色悪いぞ」

「そう?大丈夫だよ」

蓮は笑顔を作る。バイトのことは、クラスメイトには「コンビニで働いてる」と言ってある。まさか猫耳メイド喫茶だなんて言えない。

「無理すんなよ。進路のこともあるし」

「分かってる」

席に着くと、すぐにホームルームのチャイムが鳴った。

担任の神谷透先生が教室に入ってくる。

二十九歳、国語教師。長身で黒縁メガネをかけた、いかにも真面目そうな先生だ。授業は丁寧だが厳しく、生徒指導にも熱心。遅刻や宿題忘れには容赦ない。

「おはよう。出席を取る」

神谷先生の低い声が教室に響く。

蓮は姿勢を正した。この先生には気を抜けない。以前、授業中に居眠りをして、放課後に一時間説教されたことがある。

「桜井」

「はい」

名前を呼ばれ、蓮は返事をする。神谷先生はちらりと蓮を見て、出席簿にチェックを入れた。

その視線に、蓮は少し緊張する。この先生、観察眼が鋭い。体調が悪いとすぐに見抜かれるし、悩み事があると声をかけてくる。

__もし、バイトのことを知られたら。

そう考えると、背筋が冷たくなる。別に校則違反ではない。届け出をすればバイトは認められている。でも、猫耳メイド喫茶で働いているなんて知られたら、どんな顔をされるだろう。

説教だけで済むだろうか。それとも、軽蔑されるだろうか。

「桜井、聞いているか?」

「え?は、はい!」

神谷先生の声に、蓮は慌てて返事をした。どうやらぼんやりしていたらしい。

「放課後、進路指導室に来るように。そろそろ具体的な進路を考える時期だ」

「はい、分かりました」

蓮は素直に頷いた。

進路。大学に行きたい。でも、学費のことを考えると不安になる。奨学金を借りるにしても、返済のことを考えると気が重い。

だからこそ、今のバイトは辞められない。


昼休み、蓮は購買で買ったパンを屋上で食べていた。

一人になれる場所が欲しくて、いつもここに来る。

「ふう……」

空を見上げながら、蓮は深呼吸した。

昨夜の疲れが少し残っている。でも、午後も授業がある。気を引き締めなければ。

「桜井?」

突然、声をかけられて蓮は振り返った。

神谷先生が立っている。

「先生」

「こんなところにいたのか。探したぞ」

「すみません……何か?」

「いや、昼休みに進路の話をしておこうと思ってな。放課後は他の生徒も来るだろうから」

神谷先生はそう言って、蓮の隣に座った。

距離が近い。蓮は少し緊張する。

「桜井、進路希望は?」

「大学に……行きたいです」

「そうか。学部は?」

「まだ……決めてません」

蓮は正直に答えた。本当は、経済学部か経営学部に行きたい。将来、安定した仕事に就くために。でも、学費のことを考えると、口に出せない。

「家庭の事情があるのは知っている」

神谷先生の言葉に、蓮は顔を上げた。

「母子家庭で、お母さんが体調を崩しがちだと、担任会議で聞いている。バイトもしているんだろう?」

「はい……」

「無理をするな。奨学金制度もあるし、学費免除の制度もある。一緒に調べよう」

神谷先生の言葉は優しかった。

蓮は少しだけ、胸が温かくなる。この先生、厳しいけど、ちゃんと生徒のことを見てくれている。

「ありがとうございます」

「お前は真面目だからな。ちゃんと夢を持っていいんだぞ」

神谷先生はそう言って立ち上がった。

「それじゃあ、また放課後に」

「はい」

先生が去った後、蓮は一人、空を見上げた。

夢。ちゃんと持っていいんだ。

その言葉が、胸に響いた。


その日の夕方、蓮は再び『ネコノテ』にいた。

週三回のシフト。火曜、木曜、土曜。今日は木曜日だ。

「にゃんにゃん♪いらっしゃいませ!」

扉を開けて入ってきた客に、蓮は笑顔で挨拶をする。

猫耳をつけて、ウィッグをかぶって、メイド服を着て。

ここでは「レン」。学校の桜井蓮とは別人だ。

「あ、あの……」

入ってきたのは三十代くらいの男性だった。スーツ姿で、少し緊張している様子。

「初めてですか?」

「ええ、まあ……友人に勧められて」

「ご案内しますにゃん♪こちらへどうぞ」

蓮は客を席へ案内する。

初めての客は緊張していることが多い。だから、優しく接することが大事だ。店長に教わった。

「メニューはこちらですにゃん。ドリンクとフードがありますよ」

「あ、じゃあ……コーヒーを」

「かしこまりましたにゃん♪」

蓮は注文を受けると、キッチンへ伝票を通した。

その日は、珍しく忙しかった。新規客が多く、蓮も心咲も休む暇がない。

「レン、オムライス二つ!」

「はーい!」

厨房から呼ばれ、蓮はオムライスを受け取る。その上に、ケチャップで可愛い絵を描くのも仕事の一つだ。

猫の顔、ハート、星。客のリクエストに応じて描く。

「お待たせしましたにゃん♪」

オムライスを運ぶと、客は嬉しそうに写真を撮った。

この瞬間、蓮は不思議な充足感を覚える。

人を喜ばせるのは、悪くない。

お金のためだけじゃない。この仕事には、それなりの意味があるんだと思えた。


その夜、営業が終わった後。

更衣室で着替えながら、心咲が声をかけてきた。

「今日、新規客が多かったわね」

「うん、疲れた」

「でも、レン目当てで来た人もいたわよ。SNSで評判らしい」

「え?」

蓮は驚いて心咲を見た。

「『ネコノテのレンちゃん、天使すぎる』ってツイートがバズってるの。見た?」

「見てない……」

「ほら」

心咲がスマホを見せてくる。

そこには、蓮の写真が載っていた。笑顔で猫耳をつけて、ピースサインをしている。

『この子、男の娘らしい。最高かよ』

『レンちゃんに癒された。また行く』

『天使降臨』

次々とリプライに、蓮は顔が熱くなった。

「やだ……恥ずかしい」

「喜びなさいよ。人気者じゃない」

心咲は笑っているが、蓮は複雑だった。

嬉しい反面、こんなに注目されたら、学校の誰かに見つかるかもしれない。

「大丈夫よ。ウィッグとメイクで別人だから」

心咲の言葉に、蓮は少し安心した。

そうだ。ここでは「レン」。学校の桜井蓮じゃない。

二重生活は続く。

そう思いながら、蓮は店を後にした。


翌日、学校。

蓮は授業中、少しぼんやりしていた。

昨日の疲れが残っている。でも、寝るわけにはいかない。

「桜井、答えてみろ」

国語の授業で、神谷先生に当てられた。

「え……えっと」

蓮は慌てて教科書を見る。

神谷先生は少し呆れた様子で、「ちゃんと聞いていたか?」と尋ねてくる。

「すみません……」

「放課後、職員室に来い」

その一言に、教室がざわついた。

蓮は頷くしかなかった。


放課後、職員室。

蓮は神谷先生の机の前に立っていた。

「最近、集中力が欠けているぞ」

「すみません」

「バイトのせいか?」

図星を突かれて、蓮は何も言えなくなった。

「無理をするなと言っただろう。体調を崩したら元も子もない」

「でも……」

「でも?」

神谷先生は蓮の目を見つめてくる。

蓮は唇を噛んだ。言いたいことはある。でも、言えない。

バイトをしないと生活が苦しい。母を支えなければならない。でも、それを先生に言ったところで、どうにもならない。

「分かった。これ以上は言わない。ただ、体調管理はしっかりしろ」

「はい」

蓮は頭を下げて、職員室を出た。

廊下を歩きながら、蓮は深く息をついた。

神谷先生は優しい。でも、全部を理解してもらうのは無理だ。

それに、もし猫耳メイド喫茶のことを知られたら__。

想像するだけで、背筋が凍る。


その週の土曜日。

蓮はいつものように『ネコノテ』にいた。

週末は特に忙しい。客足も多く、蓮は休む暇もない。

「にゃんにゃん♪お帰りなさいませ!」

扉が開いて、新しい客が入ってくる。

蓮は笑顔で出迎えた。

その瞬間、凍りついた。

客は__神谷先生だった。

黒縁メガネをかけた、見間違えようもない顔。

「あ、あの……初めてですか?」

蓮は声が震えそうになるのを必死で抑えた。

神谷先生は少し戸惑った様子で頷く。

「ええ……友人に勧められて」

「そ、そうですかにゃん!ご案内しますにゃん!」

蓮は精一杯明るく振る舞う。

バレてはいけない。絶対に。

神谷先生を席に案内しながら、蓮の心臓は激しく鳴っていた。

これは、悪夢だ。

最悪の展開だ。

でも、現実だった。

蓮の二重生活に、最大の危機が訪れた瞬間だった。

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2026年1月16日 18:00

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