列車
風何(ふうか)
短編小説「列車」
※
死にたいと呟いて、確かにそれはすぐに死ねるような位置だった。
木造校舎の一角、その教室の窓際の席から見える
「まるで
僕は思わず声のするほうを振り向いた。すると隣の席に座っていた彼女が、他でもない僕のほうを見ながら、どこか
彼女と喋るのはそのときが初めてだった。同世代の者どうしが無作為的に集められた教室という極めて小さな世界にも、ある種の階級が存在するという話は、いや、むしろ無作為的に集められているからこそ階級が生まれるのだという話は、昨今、フィクションだけでなくノンフィクションでも言及され過ぎていて、どこか陳腐であるように聞こえるけれど、実際問題、非現実も現実も、変わらず陳腐であるのだから致し方ない。どこの学校でもそうであるように、一部の運動部や、声の大きい快活な生徒というのが、学校という小世界ではどこまでも絶大な力を有していて、なにかに秀でた一芸を有している者が、頂点にいる彼らに
まあそんな極めて
でもそのとき僕に向けられていたのは、そんな僕たちの階級の
僕は途端に居心地が悪くなって、机の下でもぞもぞと手を動かしながら
けれども彼女は、なぜか今度は僕の声をしっかりと聞き取ることが出来たようで、僕の言ったことが理解出来たことを示すように
「いや、ノートを借りようと思ってね。時間も余って授業が早めに終わったし、わたし前回の授業休んでたから。って思ったんだけど、いきなり君があんなことを言い出すから。」
そんな風に言う彼女は、先程と変わらぬ笑みを浮かべていて、それはやはり僕に向けられるにはどこまでも不自然すぎる表情だった。それはきっと、あまりにも僕という存在にはふさわしくないのだろうし、ただ平等を重んじて周囲に愛想を振りまくような意図があるにしては、あまりにも不敵なように見えた。つまりはますます理解が及ばないようなことなのであって、気味の悪さは一向に
「ノートには何も書いてない、です。意味のあることは何も。」
そう、意味のあることは何も。彼女は驚いたように僕の顔を再度覗き込んだ。彼女がどうして驚いているのか、その理由は簡単に想像できる。僕は周囲からすれば、ある程度真面目に授業を受けている生徒に見えているのだろう。授業を欠席することも滅多にないし、ましてや授業中に教師から叱られる原因になったことは勿論ない。しかしその実、僕はここ一年あまり、
「そこに繰り返し書かれた『死にたい』という文字たちは、まるで独立したひとつの生命体のように、徐々に、わたしの遠く理解の及ばないものへと変貌していった。それはいつしかわたし個人の一欲求を指し示す言葉としての役割を失い、ひとつの複合的で複雑な存在として無機質なリノリウムを
そして彼女は最後の読点を打つように付け加える。
「『アルファデクスの悲劇』より。」
そんな風にいきなり
気が付けば僕は彼女に訊ねていた。
「それは?」
けれども彼女は何のことは無いといった調子で答えた。
「私が一秒で造った小説の冒頭。どう?それっぽいでしょ?」
どこまでも他人を馬鹿にしていると思った。僕は抗議のひとつでもしたかった。いったい、何に対して?その瞬間、僕は唐突に自身に対する慰めの手段を失ってしまって、更に俯くしかなかった。僕は社交性に加え、知性でも彼女に大きく劣っていたのだった。「能ある鷹は爪を隠す」という有名な
まあ、けれども逆に、僕がこれ以上居心地が悪くなることもまたないとも言える。僕の首はこれ以上俯くことが出来るほど柔軟ではないし、
僕はまるで錯乱したかのようにそんなことを考えていたのだけれども、彼女はそんな僕の様子など特段気にしていない様子で、ただ聞いてもいないのに、ひとりで語り続けた。
「中島敦の『文字禍』がね、丁度そんな感じの要素があるんだよ。ほら、
なんかさ、似てると思わない?叶わない願いを繰り返し呟き続けるっていうのはさ。
彼女はそんな風に言って、けれども僕は肯くことも首を振ることも出来ずに、ただ誤魔化すように、どこまでも
「その、アルファ?デウスみたいのは?」
すると彼女は何のことかと言った表情で笑った。
「ああ、それはおばあちゃんが飲んでた薬の名前。別になんでもよかったんだよ。アスピリンでもベニジピンでも、まあ、全部何の薬なのかは分かんないんだけどね。」
僕がなにを言っていいのか分からずただ黙っていると、しばらくの間沈黙が続いた。といっても僕たちが向かい合っている間もクラスというのは絶えず運営されていて、つまりは周囲のお喋りによって、それは本当の沈黙というわけではなかった。ただそのひとつの要素として一種の気まずさがその数秒間僕たちの間を支配した。僕としてはこれ以上彼女と喋りたいとは思わなかった。けれどもそれでも彼女はしばらく経ってからまた独り言のように口走ったのだった。
「まあ実際は、心中なんかじゃないんだけどね。急行列車もさ、一緒には死んでくれないんだよ。最大限良いほうに解釈してみても、してくれるのはせいぜい
次の日にはどこかの終点に向かって走り始めているんだもの。そんな風に彼女は言った。
「結局何が言いたいんですか」
僕の口調は気付かぬうちに鋭さを増してゆく。それが怒りから来るものなのか劣等感から来るものなのか、それとも彼女に対する恐れの反動によるものなのか、それははっきりとは分からないけれども、そんなある種定義しがたい
けれどもそれと引き換え、彼女は至って平然と答えたのだった。
「人間同士でしか心中なんて出来ないってことだよ。」
わたしたちよりも弱い者は先に死んでゆくし、わたしたちよりも強い者は平気な顔して明日も生きてゆく。強い者は弱い者に寄り添いはしても、一緒に死んではくれない。
「べつに心中するつもりなんて。」
僕は思わずそう呟く。もはや死にたいということを隠すのも忘れ、僕は気が付けばそんなことを口走っていた。べつに心中するつもりなんてなかった。というよりも端からそんなことなど考えもしなかったのだ。死ぬならばひとりで。それはひとりで生きてきた僕にとっては、あえて議題に上げるまでもない、つまりは考える余地もないことだった。
「けど、ふたりのほうが寂しくないよ。」
けれども彼女はそんな風に平然と言った。僕は彼女が唐突に発したその言葉を理解するのに時間がかかった。それはなんだか、一瞬だけ空気が冷凍され、すぐに解凍されたようなそんな不自然さだった。
「どうして?」
僕は彼女の言葉を半ば信じられず、そう訊ねる。けれどもその問いに彼女は答えない。
「僕が死ねるまでどうしてるつもり。」
そして仕方なく僕は重ねて訊ねる。それに彼女は、今度はどこまでもあっけらかんとした調子で答えた。
「さあ?セックスでもしてればいいんじゃない?」
そんな彼女の声も、僕以外のすべての人に心中を拒否されたかのように、教室の騒ぎ声に掻き消されてゆく。気が付いた時には六時間目が終わり、教室は斜陽の
※
けれども、僕たちだけが帰り着くべき場所を持っていなくて(それはあるいは、ただそう思いたいだけなのかもしれないけれど)、気が付けば夜になって、月が教室のすぐ近くまで静かに降り立っていた。僕たちはそんな
そうして、そこから何をすればいいのかまるで分からない僕は、あたかも壊れやすい陶器を扱うときのような慎重さで、ずっと彼女の背中を撫で続けていたのだけれど、彼女は、僕がそこから何もしてこないのが分かると、「背中ばかり撫でてたら、わたしの背中だけが好きみたい。」と言って、僕の手を取って、それを自身の乳房に押し当てた。「別に、なにも好きじゃない。きみのなにも。」と僕は、彼女に好かれているのかもしれないという幻想だけで、もう彼女のことを好きになり始めているのを誤魔化して、そんな嘘をついた。手を無理矢理押し当てさせられた彼女のまるく膨れた乳房は、藍空に浮かぶ三日月の模様がそのまま描かれたかのように、一部のみが青白く透き通っていて、僕は両対のそれらを慣れない手つきで揉みしだき、それから恐る恐る知らない生物に接するかのごとく愛撫し、控えめにそこに口づけをした。すると彼女は
※
そういう事後。そういう事後の僕たちの視界の端で、終電車が通りすぎてゆく。どうやら列車は、当たり前のように、僕のことを待ってはくれないようだった。
「これで、明日も生きなければいけないね。きみは。」
月明かりの下で、「死にぞこない」と彼女は僕を挑発する。印象派の世界にいるみたいな世界の
列車 風何(ふうか) @yudofufuka
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