『反逆の飛将、天命を喰らう ~処刑された記憶を持つ最強武人、二度目の生は「鍛えあげた怪物軍隊」で覇道を往く~』

@saijiiiji

プロローグ:白門楼の雪、虎牢関の風

首に食い込む縄の感触だけが、世界の全てだった。


呼吸ができない。視界が白濁していく。

雪が降っていた。建安三年(一九九年)、下邳(かひ)の冬は、骨まで凍てつくほどに寒い。


「……見ろ。あれが人中の呂布の末路だ」

「獣は獣らしく、鎖に繋がれて死ぬのがお似合いだ」


嘲笑う声が聞こえる。曹操だ。劉備だ。

そして、俺を裏切り、縛り上げたかつての部下たち――侯成、宋憲、魏続の卑しい目。


怒り? いや、そんなものは通り越していた。

俺の心にあるのは、ただ深く、暗い後悔だけだ。


視界の端で、一人の男が連行されていくのが見えた。

ボロボロの衣服を纏いながらも、その背筋だけは槍のように真っ直ぐな男。

陳宮公台。俺の軍師。


『公台! 公台!』


俺は声にならない声で叫んだ。

曹操に頭を下げろ。命乞いをしろ。お前ほどの才があれば、曹操だって殺しはしない。生きろ。生きてくれ。

だが、陳宮は振り返らなかった。

ただ一言、「忠臣は二君に仕えず」と吐き捨て、自ら処刑場へと歩を進めた。


――ああ、俺が殺したのだ。

俺が愚かだったから。俺が妻の言葉に惑い、彼の策を用いなかったから。俺が部下の心を蔑ろにしたから。

高順も死んだ。俺のために最後まで戦い、矢尽き刀折れてなお、俺の盾となって死んだ。

玲華(妻)も、玲綺(娘)も、この乱世の闇に飲まれていくのだろう。


(俺は……最強だったはずだ)


誰よりも速く馬を駆り、誰よりも重い戟を振るった。

虎牢関で天下を震え上がらせ、長安で国賊を討ち、中原を駆け巡った。

だが、最後に手元に残ったものは何だ?


ゼロだ。

信頼も、愛も、国も、何ひとつ守れなかった。

ただの暴力装置。空っぽの最強。それが呂布奉先という男の正体だった。


(もしも……)


意識が途切れる寸前、俺は天を睨みつけた。


(もしも、もう一度やり直せるなら。次は間違えない。次は裏切らない。次は……俺の全てを懸けて、お前たちを守り抜いてみせる……!)


首の骨が鳴る音と共に、世界は闇に落ちた。


***


「――将軍! 呂布将軍! 出陣のご下命を!」


轟音のような怒号で、意識が浮上した。

首が熱い。窒息の苦しみに喘ぎながら、俺はガバと跳ね起きた。


「はっ、はっ、はっ……!」


荒い呼吸を繰り返す。心臓が早鐘を打っている。

俺は生きて……いるのか?

首を触る。縄はない。冷たい雪の感触もない。

そこにあるのは、ムッとするような熱気と、男たちの汗の臭い、そして鉄錆の匂いだった。


「将軍? いかがなされました?」


不審そうな声に顔を上げる。

そこは天幕の中だった。豪奢な装飾が施された、見覚えのある天幕。

目の前には、伝令兵が膝をついて俺を見上げている。


「……ここは、どこだ」

「は? 虎牢関の本陣でございますが」


虎牢関(ころうかん)。

その言葉が、雷のように脳髄を貫いた。

俺は自分の手を見る。分厚く、傷だらけだが、活力に満ちた手。

鏡を見るまでもない。全身に力が漲っている。三十路を過ぎ、酒と色に溺れて鈍り始めていた下邳の頃の肉体ではない。全盛期の、脂の乗り切った肉体だ。


「今は……何年だ?」

「へ? 平始元年(一九〇年)……でございますが」


一九〇年。

処刑されたあの日から、九年も前。

反董卓連合軍が結成され、俺がその名を天下に轟かせた、あの戦いの日。


(戻ったのか……? 俺は)


天命の悪戯か、それとも死に際の執念か。

俺は震える手で顔を覆った。笑い出しそうになるのを必死で堪える。

生きている。まだ、何も失っていない。

陳宮はまだ曹操の下にいるはずだ。高順は俺の部隊にいるはずだ。妻も、まだ幼い娘も、長安で生きている。


「……将軍、急ぎご決断を! 華雄(かゆう)将軍が敵の猛将に押されております! このままでは討ち取られます!」


伝令兵の悲鳴のような報告で、俺は思考の海から引き戻された。


華雄。

そうだ、思い出した。

この日、董卓軍の先鋒として無双していた華雄は、連合軍から現れた無名の将――関羽によって斬り捨てられるのだ。

前世の俺は、それを嘲笑って見ていた。「俺以外の武人など死ねばいい」と。

その結果、董卓軍は崩れ、洛陽は焼かれ、俺の流浪の日々が始まった。


「華雄を死なせるわけにはいかん」


俺は立ち上がった。

傍らに置かれた巨大な武器――方天画戟(ほうてんがげき)を手に取る。

ずしりとした重み。だが、羽のように軽い。

魂が、肉体が、歓喜の声を上げている。


「赤兎(せきと)を引け。出るぞ」

「は、はい! しかし、ご自身の支度は……?」

「要らん!」


俺は天幕の入り口を跳ね上げた。

眩しい陽光が差し込む。

その向こうには、まだ誰も知らない、変えられるはずの未来が広がっていた。


***


戦場は混沌としていた。

歓声と悲鳴、鉦(かね)と太鼓の音が入り混じる轟音の中、二騎の武者が激突していた。


一人は、身の丈九尺あろうかという巨漢。長い髭をなびかせ、青龍の如き偃月刀を振るう男。関羽雲長。

もう一人は、血まみれになりながら剣を受け止めている男。華雄だ。


「ぐ、おおおおっ……!」


華雄の愛刀に亀裂が入る。腕が悲鳴を上げているのが遠目にも分かった。

関羽の目は冷たい。次の一撃で首を飛ばすつもりだ。

歴史通りだ。あと数秒で華雄は死ぬ。


(間に合え……ッ!)


俺は赤兎馬の腹を蹴り抜いた。

真紅の毛並みを持つ名馬は、主の焦りを汲み取ったかのように、大地を爆縮させて加速する。

風になる。いや、風さえ置き去りにする。


関羽が偃月刀を振り上げた。

華雄の目が絶望に見開かれる。

刃が振り下ろされる。死の閃光。


――キンッ!!


甲高い金属音が、戦場全体の空気を凍らせた。


首が飛ぶはずだった華雄の目前。

そこに割り込んだ一本の画戟が、関羽の必殺の一撃を軽々と受け止めていた。


「……な?」


関羽の細い目が、驚愕に見開かれる。

華雄が、信じられないものを見る目で俺を見上げる。


俺は、馬上から彼らを見下ろした。

全身から溢れ出る覇気が、周囲の空気を歪ませるのを感じる。

前世の俺にはなかった感覚だ。

力が、俺の中で渦巻いている。そしてその力が、目の前の華雄にも流れ込んでいくのが分かった。


「……りょ、呂布……将軍……?」


華雄が震える声で俺の名を呼んだ。

その瞬間、華雄の瞳から「死への恐怖」が消え失せた。

代わりに宿ったのは、燃え上がるような熱狂と、限界を超えた活力。

俺の力が、奴の本能を叩き起こしたのだ。


俺は関羽に向けて画戟を突きつけ、ニヤリと笑った。

かつての嘲笑ではない。強者への敬意と、運命をねじ伏せる不敵な笑みだ。


「そこまでだ、赤ら顔。その獲物は俺が預かる」


そして、背後の華雄に告げる。


「立て、華雄。こんなところで犬死にするつもりか?」

「し、しかし、俺は敗れ……」

「敗れてなどいない。俺が来たからには、貴様は死なん。董卓(あのブタ)のためになど死ぬな。俺のために生きろ」


その言葉は、命令ではなかった。

魂への呼びかけだった。

華雄の全身が震えた。彼は壊れかけた剣を握り直し、雄叫びを上げた。傷口からの出血が止まり、筋肉が膨張していく。


「――応ッ!! この命、呂布将軍に捧げまする!!」


歴史が変わった音がした。

関羽が警戒心を露わにし、馬を下がらせる。

連合軍の陣営がどよめく。「呂布が出たぞ!」という恐怖の伝播。


俺は手綱を引いた。

ここからが始まりだ。

白門楼の雪はもう降らない。この虎牢関の風に乗って、俺は覇道を往く。


反逆の飛将、呂布奉先。

二度目の生は、誰にも奪わせない。

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