街では誰かがきえている
鷓綟 万園
1.街頭インタビュー
冬の夜空は晴れ渡り、街の灯りは星をかき消す。孤独な月がただ一人佇んでいる。
本当は今日は早く帰る予定だった。観たい番組もあったし、ビールが冷蔵庫で俺を待っていた。残業がこんな夜中まで長引くのは初めてで、高いタクシー代を払う羽目になってしまった。
タクシーから降り、少し残った帰り道を歩きながら思う。俺は、いつもならこういう時、イライラしながら帰っているはずだったが、その気力すらなかった。あまりに寒いので、怒りの火種すら凍えてしまっているのだろう。なんだか辛いような気持ちになった。
疲れた足をなんとか動かして、やっと辿りついたマンションの、塀のそばにある街頭の下を通った時である。
「すみません、少しよろしいでしょうか。」
「え?」
突然、どこからか声が聞こえた。驚いた俺はつい跳ね上がってしまい、恥ずかしく思いながらも後ろを振り返った。
誰もいない。
確かに声がしたはずだが。
「すみません、こっちです、上です。」
また、申し訳なさそうな声が聞こえた。恐る恐る上を見ると、街頭の灯りが、若干点滅していた。
「あぁ!そうです、分かり辛くて申し訳ない。」
話していたのは街頭だった。スピーカーやマイク、カメラなんかがついているようには見えない。
街頭からは続けて声が聞こえる。
「突然なんですが、実は街頭インタビューを実施していまして。なんだか洒落みたいですけど。お時間よろしければお答え頂きたく…」
そう言われて、俺は少し安心した。なんだ、やっぱり機材がどこかに付いているのだ。人の気配を感じたことで、体の緊張も解けた。
「驚いたじゃないですか…こんな夜中に、やめてくださいよ。」
「本当にすみません、なにぶん、あまり目立つ訳にもいかないので。」
「はぁ。」
どんな事情があるのかは知らないが、俺の思考はすぐ帰宅するという方向に既にシフトしていた。さっさと済ませて、今日は早く寝よう。そう思った。
「それで、何に答えればいいんです?」
「とても簡単な質問ですので、肩の力を抜いて頂いて結構です。」
街頭は穏やかな声でそう言うと、一拍置いて質問を始めた。
「まず、このマンションは住みやすいかどうか、お聞きしてもよろしいですか?」
「まぁ、住みやすいですよ。大家さんも住民の方も、特に問題があったりはしませんし。」
「それは良かったです。では、ご近所付き合いについても聞かせて頂けますか?」
「そうですね…私は、あまり人付き合いはしない方ですが、朝ゴミを出す時にちょっとした世間話をしたり、主婦の方々がよく話しているのを見かけたりするので、交流は活発な方なんじゃないでしょうか。」
俺は、質問に答えながら、街頭を通して話している人物の立場が、ますます分からなくなってきた。
何故こんなことを聞くのか、聞いてどうするのか。何故わざわざ街頭から?疑問だらけだったが、今はただ、早く終わらせたかったので回答を続けた。
「では、住民の方々の中で、変わった方はいらっしゃいますか?」
「変わった方?」
何故そんな事を…と思ったものの、答えないと終わらないので仕方ない。
「うーん…さっきも言った通り、良い人ばかりなので、まぁ、強いて挙げるならですが…」
他人を変わった人として紹介することに少し申し訳なさを感じつつ答えた。
「堀さんという方が、一人で住んでいるんですが、その方ですかね。」
吹いていた冷たい風が止んだ。
「どのように変わっているのですか?」
「大したことじゃないんですけど…挨拶しても返ってこなかったり、ずっと元気がないっていうか…居るだけで場が重くなるというか、そんな感じです。奥さんを亡くしてるんで、しょうがないと思いますけど。」
「なるほど、ありがとうございます。」
街頭が点滅する。
「以上で終了となります。お時間取らせてしまい、申し訳ありませんでした。」
「本当だよ全く…」
何度目か分からない、申し訳ないという言葉にイラついて、つい悪態をついてしまった。そして、少し後悔した。疲れていたとはいえ、好きでこんなことをやっている訳ではない相手に余計な一言を言うべきではなかった。
しかし、謝ろうとした時にはもう遅く、街頭からそれ以上声が聞こえてくることはなかった。
翌朝、ゴミ出しにいった時に、堀さんが行方不明になったという話を聞いた。部屋には争った形跡があったものの、堀さん以外の痕跡は一切なかったという。
同時に、マンションの住民達から、街頭から話を聞かれたという人が何人も現れた。だが、誰も、堀さんのことを話したとは言わなかったし、俺も言えなかった。
今は、最後に悪態をついてしまったことを、本当に後悔している。
街では誰かがきえている 鷓綟 万園 @SukasukaPonta
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