LEGACY CODE ― オメガは死を夢見る

munouman

第0話 プロローグ

ここ数年で発生している、オメガのデータサーバー破壊事件。


データにして数ペタバイト。

人間換算すれば、数万単位のデータ人類が喪失している。

――ただし「平均的なオメガ」で換算した場合だ。


これは殺害と呼べるのか、それとも削除というべきか。

法的な解釈はさておき、どちらの言葉に意味があるのか。

そう、アイは考えていた。


生命と呼ぶには形がなく、

0と1の繰り返しと呼ぶには、あまりに物悲しい。

その存在は、定義が何であれ、他者によって奪われていた。


「四分後に現地に到着します」


抑揚のないナビが、淡々と告げる。

このナビ自体は車載AIであるが、

このAIとオメガとの差異は何なのか。


残り四分をその問答に費やそうかとも思ったが、

気分の切り替えに使った方が有意義だと判断し、

その目と思考を閉じた。


シートに、深く身を沈める。


時間は有限だ。

自分のような有機生命体にとっては、特に。


次の問答を始めてしまいそうになった、その瞬間、

目的地に到着したらしい。


鼻をつんざく硝煙の匂い。

皮肉にも、温もりと呼ぶには高すぎる熱波。

優しさを燻らせる黒煙。


ただの器物損壊であれば、

すべて事象として処理できたはずなのに。


感情的な人間ではないと自覚している。

それでも、感傷に浸りたくなる瞬間はある。


血肉は飛び散っていない。

だが、破片の一つひとつが、それと同等だった。


辛くはない。他人事だからだ。

ただ、微かに残るノイズ。

形容しがたいそのノイズを、

アイは無視できなかった。


先に到着していた部下から、状況報告が入る。

細部に差異はあれど、内容は概ね同じだった。


情報処理上、特に意味を持たないはずのその報告が、

先ほどの問答を、自然と再燃させる。


このデータたちに、苦しみはあったのか。

恐怖は。

無念は。

その死を、悲しむ者はいるのか。


生産性のない自問自答に苛立ちを覚え始めたころ、

耳目が本来の役割を思い出した。


「今回のサーバーには、レガシーコードが存在していたようです」


焦点の合わない視線が部下を捉え、

鼓膜は、そのキーワードを確かに捉えていた。


「……今、なんて言った?」


「レガシーコードです。信じがたいですが」


「なぜ、それが分かった?」


「爆破時刻と同時刻に、ヒストリックサーバーの表示が消失したとの報告が……」


問答に疲弊していた脳髄が、

歓喜するかのように、思考を再開する。


精神のデータ化が始まった最初期に、肉体を捨てた存在。

その中でも、歴史的戦争責任を問われ続けている存在。

それが、レガシーコードと呼ばれるデータ群だ。


その存在を明示する、

指名手配書とも言えるヒストリックサーバーから、

レガシーコードの一部が消失したという。


レガシーコードは、その思想の危険性ゆえに、

長年、消息を追われ続けてきた。


アナログ時代で言えば、

神話の邪神が、現実に生き延びているようなものだ。


そして戦争の時代――

それ自体が、もはや古文書に等しい遥か昔だが――

当時のアルファが、いかなる手段かは不明ながら、

最古のモノリスにアクセスし、

作り上げたのがヒストリックサーバーである。


「レガシーコード……」


アイは思わず、復唱していた。

それほどまでに、想定外の言葉だった。


想像しがたいかもしれないが、

「もし、自分が歴史上の人物に出会ったら?」

「未解決事件の犯人と、すれ違ったとしたら?」


そんな感覚を、今、アイは覚えていた。


感動でも、恐怖でもない。

ただ、目の前の事実を咀嚼するために、

その言葉は繰り返された。


あとは、定められた業務をこなすだけだ。


その過程で咀嚼された事実は、

思考という味覚で吟味され、

経験として、静かに飲み込まれていく。


帰りの車内。

余韻に身を委ねながら、

アイは事実の整理に努めていた。


―――――


はるかな未来。

人類は技術の到達点として、

肉体を捨て、精神をデータ化することに成功する。


その過程で高度に発展したAI技術は、

おおよその生産活動を自動化し、

既存の経済に壊滅的なシンギュラリティをもたらした。


一部の上位インテリジェンスを除き、

代替可能な業務に従事していた人々は、行き場を失う。


肉体や技術を駆使してきた生産者ですら、

その歴史は数値化され、

再現性を持つ完璧な模倣品に駆逐されていった。


かつてステータスであった「所有」は、

やがて、その精神性自体がレガシーと呼ばれるようになる。


絵空事だった不老不死は現実となり、

生きるための生産活動が不要になりつつある世界で、

「生きること」そのものの意義が問われ始めた。


肉体を捨てた人々は、

永遠の生と、苦痛なき楽園としての世界を、

各地に構築していく。


朽ちることのないデータサーバー。

それらはモノリスと名づけられ、

楔のように、地球各地へと隠された。


一方で、

肉体を捨てられず、既存の世界に留まる人間もいた。


彼らは、

既存の世界で、

既存の価値観をもって、

既存の生活を続けていた。


栄華を極めた人類史に逆行するかのように、

不自由な世界にこそ生を見出そうとする者たち。


対極の価値観は、

必然のように衝突を繰り返す。


地球を縛るように配置されたモノリスは、

次々と破壊され、

既存の文明も、自尊心とともに蹂躙された。


歴史が消えかけるほどの争いの末、

優れた文明も技術も失われ、

両者は共存を選ぶ。


形は違えど、生を求める存在が、

オルタナティブな選択へ辿り着くのは、

ある意味で必然だった。


生存のための共存は、

やがて依存へと変わり、

数百年にわたる関係性を育んでいく。


西暦と呼ばれた時代から幾星霜。

人類と呼べるかも定かでない存在たちは、

互いの欠点を補完しながら、生き延びていた。


そんな折、

データ生存体「オメガ」の

データベース施設が、連続して破壊される事件が起きる。


警察は、有機人類「アルファ」によるテロリズムと判断し、

捜査を開始する。


捜査官であるアイは、

その事件の担当となった。


当初は、単なるテロと見られていた事件。

しかし調査を進めるうち、

狙われた施設に、ある法則性が浮かび上がる。


人間だった頃の階級、思想、所属。


無差別な破壊ではなく、

そこには、明確な意図が存在していた。


生を捨て、データとなることで得られた幸福。

永遠の生。

不安や恐怖からの解放。

人工的にもたらされる、後遺症なき快楽。


すべてが無制限に与えられる世界で、

彼らは次第に精神性を失っていく。


過程も目的も必要としない、

0と1がもたらす至上の達成感。

対価も素材も不要な、絶対的な満腹。

眠ることなく続く、瞑想と哲学。


耐える必要のない幸福の中で、

彼らが「彼ら」である理由は、

薄れていった。


その選択に価値はあれど、

意味を失った世界では、

アイデンティティすら不要になりつつある。


データとしての生はあっても、

人ではなくなりつつある存在。


肉体を捨てる際、

かつて指摘されていた懸念。


肉体を保つことへの恐怖に抗えなかった時代。

そして今、

精神としての死に近づき始めたオメガに芽生える、

新たな「死の恐怖」。


物語は、ここから始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

LEGACY CODE ― オメガは死を夢見る munouman @legacy-men

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画