セクシーなエリンギ

かたなかひろしげ

手練手管

 ───人と付き合うきっかけなんて、なんでもいい。

 例えば、俺の場合だとこうだ。


「知ってるか? 実はあいつ、手が生えてる奴がおるんや。しかもセクシーな」


 また先輩がおかしなことを言い始めた。

 仕方なく俺はいつものように相槌を入れる。


「エリンギに手が生えてるわけないじゃないですか。いいですか、あれはキノコです。動物じゃないんですから、手は生えていないし、自分の足で歩いたりはしませんよ。もし手が生えてたりしたら、それはエリンギではないです。きっと新種のマタンゴかなにかです。東宝に映画化してもらいましょう」


 俺と先輩の付き合いは長い。入社以来だからもう数年は経つだろう。

 だからこそわかる。先輩がこういう荒唐無稽こうとうむけいな話をしてきた時には、決まって何か企みがあるのだ。


「ああ、それはよう知っとる。普通のエリンギは確かにそうや。でもな、あそこの公園に生えとるエリンギは違うんや」


 少し興奮気味に前のめりになりながら、先輩は続けた。


「こないだの満月の夜に見てもうたんや。あのエリンギが自分から土を這い出すんを。それで、その、土から這い出してきたエリンギの手が、やけに白くて、なんだか艶があって、その、やけにセクシーでな─── うん、あれはそうやな、きっと二十歳ぐらい美女の手や。それが忘れられなくなってん」


「先輩、まさかキノコ相手に浮気ですか? 彼女さんにまた怒られますよ」


 先輩には彼女がいて、もうかれこれ十年近くは同棲中だ。俺も会わせてもらったことがあるが、小柄で少しふくよかな感じの、愛嬌のある魅力的な人だ。


「最近じゃ夢にまであのエリンギが出てきて俺を誘うんや。ああ、自分でもおかしなこと言っとるってわこうてる。直径10センチ程度のエリンギを性的対象としてみるなんて、明らかにイカれとるわ。でもな、忘れられないんや。俺、どうかしてもうたんかな?」


 先輩は、その広い肩を揺らしながら、柄にもなく神妙な顔で俺にそう言った。正直、物凄く芝居がかっていて、嘘くさい。


「えー。先輩まーた俺を騙そうとしてますよね? 彼女いるのがバレてる先輩の周囲に、女っ気が無いとはいえ、いくらなんでも菌類に欲情するって、話の筋がおかしいですよ。いつぞやだって、ナメコのぬめぬめをローションに使ってる風俗があるって話してましたよね? 先輩、もしや菌類にシンパシーでも感じてるんですか? もう今回は騙されませんよ」


 いつだったか先輩は、なめこのヌルヌルをローション替わりに使った特殊プレイが楽しめる風俗がある。と言い出した。


 その翌日、そこの店でなめこローションプレイをしたら、陰部が腫れた。と言い放った先輩は、年で最も忙しい期末の時期に、突然会社を数日休んだ。仕事の最盛期である。先輩がいない煽りを喰らった俺は、おかげで随分と忙しい目にあったのだ。

 俺は休み明けに、先輩がこんがりと陽に焼けてマカダミアナッツをお土産に出社してきた、あの日のことをまだ忘れていない。


「そこでや。俺一人で、キノコ風情にもんもんとしてるのは、なんとも悔しいやろ? せやから、お前にもこの気持ちをお裾分けしたろ、ちうわけや」


 ほら始まった。話をなんだか変な方向に転がそうとしている。ここはひとつ、先手を打つべきだろう。


「わかりました。先輩が片想い中の、そのセクシーエリンギ(20)。私が引っこ抜いてきますよ。あとは先輩がそのエリンギに告白すれば万事解決です。会社の裏の公園ですよね。そもそもそんなとこにエリンギは自生していないと思いますけど、俺、抜いてきますよ」


「い、いやあそれがやなあ」


 突然言い淀む先輩。わかってますよ、そんなエリンギが存在しないことぐらいは。


「遠慮しなくていいですよ。先輩がもしエリンギに振られても、焼肉ぐらいは奢られてあげますから。俺と一緒に椎茸でも焼きましょう。エリンギより椎茸の方が旨いです」

「なんで俺が奢るんだよ」

「あ、そこは冷静なんですね」


 ちぇっ。折角たかろうと思ったのに。


「とにかくあそこの冷蔵庫にしまってある、エリンギ。あれをお前になんとか救出して欲しいんや。わかるやろ、俺はまだ総務部から冷蔵庫使用禁止令がでとるから、あの冷蔵庫に触れんのよ」


「公園に生えてた、ってさっき言ってましたよね? どうしてこの会話してるうちにいつの間にか冷蔵庫に移動してるんですか。このオフィスから公園までは100mはありますよ。そのセクシーエリンギ(20)、走るの速すぎますよ」

「脚も生えとったからな。さっき冷蔵庫に入って行くところを、たまたま見つけて驚いて、こうして相談してるわけや」


 あ。無理があると思って設定変えてきた。まあこんな与太話に、いちいち矛盾を指摘するのも無意味だろう。つっこみを入れてじゃれ合うのはもうこれぐらいにして、本題を聞くか。


「さては冷蔵庫に、またなにかこっそりしまったんですね? 俺が冷蔵庫でなにか事件を起こしても、どうせ先輩も一緒に怒られるんですから、私を頼っても無駄ですよ。こないだ冷蔵庫に喋る人形を入れといた時も、総務のボスに一緒にお説教されたじゃないすか」


「実はな。ケーキなんや。駅前のケーキ屋に特注で作って貰ったんや。ホントは会社の帰りに回収したかったんやが、生憎とあのケーキ屋は18時までや。仕方なく、今日の昼休みに受け取って、冷蔵庫に入れたわけや」


 お? やっと素直に本題を言い始めたぞ。いつもあれやこれやと言い訳をして、なかなか本当のことを言わないのに、今日は珍しく素直な気がする。

 しかしケーキ? 甘い物が苦手な先輩が食べるとは思えない。彼女への手土産だろうか?


「よく冷蔵庫に近づけましたね。総務のデスクの前じゃないですか、冷蔵庫。使うのが禁止されてる先輩が近づいたら、絶対総務の連中にバレると思うけど……総務の連中、今期末で残業続きだから、いなくなるのを夜まで待ってるのも無駄っすね」



 ───我々、営業2課は日頃の冷蔵庫の扱いが雑過ぎて、総務に冷蔵庫の利用権を剥奪されていた。

 特に古株の総務の女性には目の敵にされていて、冷蔵庫に近づこうものなら、冷ややかな目で睨みつけてくる始末だ。なんでも、先輩が冷蔵庫によく熟したドリアンを入れたのが、彼女の中でトドメとなったらしい。


「そこでや。総務の七井さんを買収した。あのこ良い子やで、2つ返事で受けてくれたんや。まあそこまでは良かったんやが、午後になってGODお局様が帰社してもうて、回収出来なくなったんや」


 七井さんの顔が目に浮かぶ。俺の2期後に入社した、すらっとした長身の美人さんだ。大人しいイメージだが、一体どうやってあの真面目そうな子を買収したものやら。


「だから、総務のデスクまでいって、七井さんにうまいこと言って、冷蔵庫を開けさせて欲しいんや。それで箱を回収してここまで持ってきてくれ」


「はあ? そんなの無理ですって!」


 まるで全裸に醤油バター塗って、虎の前に飛び出すようなものだ。今、冷蔵庫に近づこうものなら、間違いなく、GODお局様に噛みつかれるに違いない。良い餌だ。


「そう思ってな。総務の連中には、お前は七井さんの命を救った恩人、って設定にしといたから。七井さんから、黙ってケーキを受け取るだけでいい。今頃、総務の連中の間では、お前はストーカーの変質者から七井さんを救ったヤンキー社員ということになってるから大丈夫」


「恩人は兎も角、俺がいつからヤンキー社員になったんすか」


 確かに俺はガタイも先輩に引けはとらないし、眼も少しきつい。俺自身は、眼がキリっとしている、ということにしているので、あまり気にしてはいないが。


「その怖い目付きを生かすには、そういうキャッチフレーズが必要やん? 怖い見た目を活かしてストーカーを追っ払ったことにしといたから」


「はあ……わかりましたよ。行ってきます」


 俺は腹を括って総務のデスクのそばにある冷蔵庫───のすぐそばにある、七井さんの机まで足を運んだ。


「七井さん、こ、こないだは大丈夫だった?」


 ここは先輩が作った雑な設定に話を合わせる必要がある。それらしい感じで俺は七井さんに話し掛けた。慣れない三文芝居を打つ俺を、七井さんは柔らかい笑顔で俺を迎えてくれた。


「せ、先日はありがとうございました。お礼のケーキを、冷蔵庫に入れてあります。良ければ営業の人たちで食べてください」

「ありがとう。ありがたくもらってくわ」


 俺はそっと冷蔵庫から、それらしきケーキの箱をとりだすと、そのままそっと自分のデスクに持ち帰った。総務の島の連中の好奇の視線を、ひしひしと背中に感じていたのは言うまでもない。


 紙製のケーキ箱、その正面には【セクシー】と飾り文字で書かれたシールが貼られている。封されていたシールをそっと捲って、恐る恐る箱を開けて覗いてみる。

 見ると中に入っているのはババロアだ。しかしその形は独特で……ああ、そうだ。なにか既視感があるかと思えば、この形はまさに手の生えたエリンギ、エリンギだ!

 一体どこのケーキ屋でこんな個性的な形のケーキを買ったんだろう。


 無駄に悩んでいると、隣の席の先輩が、そっと小声で話し掛けてきた。


「可愛いやろ? そのケーキ。最近うちのがな、いつまでも結婚してくれんのは、私がエリンギみたいな体型してるからかな? とか言い出し始めてん。俺はそのぽっちゃりが好きなんやが、そのまま言うのも傷つけそうやん? だから知り合いのやってる、あそこのケーキ屋に頼んだんや。エリンギをセクシーにしてケーキにしてくれ、って」


 とりあえず言いたい。エリンギみたい、って自虐してる相手にエリンギ送るか、ふつー? だめだろ。


「エリンギをセクシーに?」

「そう。エリンギをセクシーに。実物みたら、何故か完成したケーキに手が生えててん。オーダした俺も思わず突っ込んだわ。したら、こさえたパティシエ曰く、セクシーな腰にしたら手を生やしてみたくなった、て言っててな。ほならそれでええか、となったんよ」


「先輩」

「なんや」


「とりあえず悪いことは言いません。このセクシーエリンギ(20)改め、ハラスメントエリンギ、送るのやめましょう。それに私へのお礼のケーキを、先輩がニコニコ顔で家に持ち帰るのも、筋書きとして絶対おかしいです」

「あー、やっぱりアカンかー。良いアイデアだと思ったんやがな」


 すぐに思いつきで行動するけど、それは間違っていると指摘されると、そこは素直に受け入れて思い直す。間違いなくそこが先輩の良いところで、散々普段振り回されているのに、俺が人間として先輩を憎めない最大の長所だ。うん、少しずるい。


「じゃあこのババロアは皆で食べますか」

「あ、俺はこの太もものとこいきたい」

「まだ、エリンギに欲情してるんですか。まあ好きなところでカットして下さい。あ、切る前にスマホで写真撮りたいっす」


 俺は営業2課の皆と旧セクシーエリンギ(20)を撮影しながら、もう一つ残った疑問について尋ねてみた。


「それで一体、何を払って七井さんを買収したんですか?」

「んー、なんだっけかなー」


 先輩は笑顔でとぼけている。こういう顔をしている時の先輩から本音を聞き出すのは難しい。きっと良からぬ話に違いないだろう。


***


 かくしてエリンギの上半身を小腹に収めると、俺は早々に仕事を片付けた。そのままオフィスを出ると、丁度あがるタイミングが合ったのか、七井さんに話し掛けられた。


「さっきの支払いの方、お願いしたくて。今夜とか、どうですか?」

「え? 支払い? あっ、もしかして先輩、まだ支払ってなかったんですか?」


 俺は先刻の先輩のとぼけた顔を思い出していた。しまった、これはしてやられたかもしれない。


「もう支払って貰ってますよ? チケット、貰ったんです。ほら?」


 七井さんは、花が咲いたかのようにそっと微笑むと、その白く細い指先に、何か書かれた紙切れをつまんでいた。


「前途有望な営業の若手ホープと、焼肉に行ける券……!?」


「ストーカーもいるかもしれないし、先輩ご一緒してくれますよね?」


***


 網の上に置かれたそれは、まるで白い陶器の破片のように静謐だった。


 七井さんが、「これ、私が焼いてもいいですか?」とはにかみながらトングを伸ばした。普段はオフィスのデスクで、キーボードを叩く指先しか見ていなかったが、オレンジ色の無煙ロースターに照らされた彼女の横顔は、いつもより少しだけ大人びて見える。


 結局、俺達は今日、初めて二人で食事に来ている。


 少し浮かれていた俺をよそに、いつのまにかオーダが通されていて、テーブルに運ばれてきたエリンギは、驚くほど肉厚だった。彼女はそれを、網の端の方へ丁寧に並べていく。カルビやタンのような派手な音は立てない。ただ、炭火の熱をじっくりと、内側へ内側へと溜め込んでいく。


 網の上に並んだエリンギも確かに白かったが、彼女の指先はそれよりもずっと血の通った、柔らかな白さを湛えていた。無機質なステンレスのトングを握る指は、細く、しなやかだ。


「エリンギって、汗をかき始めた時が一番美味しいんですよ」


 彼女が網を覗き込みながら、弾むような声で言った。 言われて目を凝らすと、真っ白だった表面に、じんわりと透明な雫が浮き上がってきた。キノコの純粋なエキスが、熱に耐えかねて溢れ出している。


「……今です」


 そう言って網の上を指差す彼女の人差し指は、ロースターの赤々と燃える炭火に透けて、爪の先までが淡い桜色に染まっている。それこそ小鳥のような手つきで、僕の小皿にその一切れを乗せてくれた。味付けは、シンプルに塩だけで。


 彼女が俺の皿にエリンギを運ぶ際、その白い手首がわずかに震えたのを、俺は見逃さなかった。果たしてそれは重いトングのせいか、それとも僕の視線を意識してのことか。


 ふっくらとした指の腹が、熱を帯びた空気の中で繊細に動く。その白さは、焼き肉屋の喧騒の中でもそこだけが切り取られたように清廉で、俺はつい、自分の皿に置かれたエリンギよりも、それを置いた彼女の指先の残像を追いかけてしまっていた。


「手が、すごく綺麗だね」


 気づけば、心の声がそのまま言葉になって零れ落ちていた。

 彼女は、網の上のエリンギに向けようとしていたトングをピタリと止めた。一瞬、時が止まったような静寂が訪れる。彼女の視線が自分の指先に落ち、それから少し戸惑ったように、ゆっくりと僕の方へ向けられた。


「え……。そんなこと、急に言われると……。あっ、熱いうちに食べてください、エリンギ」


 彼女は内心の動揺を取り繕うかのように、俺の皿に乗せられたエリンギを勧めた。


 そう言われては、誉め言葉は続けられない。場を誤魔化すかのように、俺は手元のエリンギを箸で持ち上げると、驚くほど弾力がある。そして口に運んだ瞬間、まずは香ばしい直火の香りが鼻を抜け、次に前歯を跳ね返すような、コリッとした小気味よい抵抗感がやってきた。

 噛み締めるたびに、エリンギの内部に閉じ込められていた熱いジュースが、口いっぱいに広がる。それは肉の脂とは違う、大地の滋養を凝縮したような、澄んだ甘みだ。軸の繊維一本一本が解けていくような感覚と、傘の部分のしっとりとした柔らかさ。


「……うまいな。肉に負けてない」

 俺が素直な感想を漏らすと、彼女は「よかった」と、本当に安心したように目を細めた。


「私、一緒にここに来られたら、絶対にエリンギを食べてほしいって思ってたんです」


 彼女は自分の分を口に運び、熱さに少し身悶えしながら笑った。

 その屈託のない笑顔と、立ち上る白い湯気。炭火の熱のせいか、それとも彼女の視線のせいか。

 俺の頬は、さっきから少しだけ熱を帯びたままで、冷たいビールのグラスに逃げるタイミングを完全に見失っていた。


 ───先輩が最初に見たという、手が生えているエリンギは、果たして本当にいたのだろうか?


 その後、実は買収されたのは先輩の方だったと、七井さんは照れた顔をしながら白状してくれた。

 とはいえ、先輩がエリンギに浮気しようなどと種族を越えた愛を考えなければ、このラッキーは生まれなかった。そう考えると、例えエリンギにセクシーな手が生えていても、べつに良いような気がしてくる。ありがとうエリンギ。椎茸で良いなんて言って正直すまなかった。


 網の上で薫香をたなびかせるエリンギをみつめながら、そんな取り留めのない菌類への感謝を思っていた。すると、七井さんが焼く前のエリンギの軸を、そっと三つ又に裂いてみせ、俺に微笑んだ。

 そのまま網の上に置かれたエリンギは、三つ又に裂かれた軸が焼かれて少し反り返り、まるで二本の腕のように揺れている。あれ? 七井さんはセクシーエリンギの話までは知らない筈……


 口から洩れる笑みを隠そうと、彼女が口に当てている手は、白磁器のような艶で輝いているようにみえた。この手に捕まえられるのであれば、それは男であれば逃げようがないだろう。


「どうですか? セクシーに見えますか? 一緒に食事に来る為に色んな手を考えたんですよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

セクシーなエリンギ かたなかひろしげ @yabuisya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画