天気予報なんて

小石原淳

第1話

 あなたが万一、頭を酷使するのがお好きなら、こんな問題はどうだろう?

 季節は冬。真夜中の今、あなたは離れにいるとしよう。離れを出て、雨上がりのぬかるんだ地面を南に三十メートルほど歩けば、大きなお屋敷、本館がある。

 あなたは本館に戻りたいのだ――足跡を残さずに。

 離れに役立ちそうな道具はない。ビニールロープがあるにはあるが、三十メートルには遠く及ばない。

 堂々と歩いて行きながら、足跡を消していけばいいではないかと考えるかもしれない。

 それは却下だ。地面に一度足跡を着けると、どんなにうまく消しても人目に分かってしまう。まあ、大雨が降ってくれれば別だが、ラジオが伝える天気予報は、今夜から明け方にかけて急速に冷え込み、日の出とともに気温は再び上昇するとのこと。雨も雪も降りはしないだろうと言っている。

 何故、足跡にこだわるのか? そりゃあ、こだわりたくもなる。目の前に死体が転がっているのだから。

 そう、私こと狭山さやまが殺した。

 雨が降る中、こっそりと離れに足を運び、絞殺した。自殺に見せかけるべく、俗に地蔵背負いと呼ばれる担ぎ方をして殺し、ビニールロープを死体の首に回し、梁からぶら下げた。手術用の薄い手袋をはめているから、指紋がそこいらに付着する心配はない。

 ところが大方の作業を終えて、気が付いた。いつの間にか雨が上がっていることに。言ってしまえば、ここに来て私は非常に困っているのだ。帰りの足跡を残しては、自殺に見せかける計画が水泡に帰すばかりか、己が犯人だという有力な証拠を残してしまうことになる。

 このまま離れで頑張っていても、朝が来れば、確実に家人がやってくる。それをやり過ごせれば、どさくさに紛れて脱出できるかもしれないが、あいにくと離れは狭く、隠れるスペースはない。

 本館に戻らず、離れの窓を開けて塀を乗り越え、道路側に逃げるのは簡単そうだ。だが、それだと私は本館からいつの間にか消えたことになり、どう考えても怪しまれるだろう。何としてでも本館に帰り、あてがわれた部屋のベッドに潜り込まねばならないのだ。

 考え始め、最初に私の頭に浮かんだのは、後ろ向きに足跡を着けるという方法だった。慎重に後ろ向きに歩き、本館まで戻る。そして朝が来れば、誰よりも早く起き出し、足跡の上をなるべく重なるように歩き、離れに直行、死体の発見者となるという計画。

 これは、足跡に関してはまあいいのだが、不自然さが否めない。私が早朝から藤原ふじわら――殺した男に会いに行く用などないのだ。いくら死亡推定時刻が真夜中であっても、警察は第一発見者の私を疑うだろう。

 次に考えた方法は、後ろ向きに歩くのは先ほどと一緒だが、その際、藤原の靴を履くのだ。これなら離れに戻る必要がない。藤原が離れに向かった足跡が着いているだけなのだから、警察はきっとこう思うだろう。雨が降っているとき、藤原が離れを出て本館に向かい、何らかの小用を済ませた後、離れに戻った。ちょうどその時点で雨は上がっていたのだと。

 ところがこの考えにも大きな欠陥があった。靴を離れに戻さなくてはいけない。せめて藤原が同じ靴を二足、この離れに置いてくれてればよかったんだが、そんな都合よい状況はもちろんなかった。

 その後も知恵を絞ったのだが、妙案はやって来ない。珍案ならいくらでも浮かんだんだが。

 珍妙な案とはすなわち……走り幅跳びよろしく、跳んで、できる限り少ない歩数で本館まで行く。着けてしまった足跡の上には、木の枝やら石やらを置いてごまかす。

 あるいは……離れに火を放ち、大勢の人が集まってきたところで、火事場の慌ただしさに紛れて脱出する。

 さらに……携帯型ドライヤーで地面を乾かしながら歩き、通過した部分にはまた水を撒いておく。

 ついには……雨乞いのためのおまじないを検索して調べよう。

 挙げ句の果て……幽霊になったら、足跡を着けずに移動できるのに、なんてことも真面目に考えた。

 そんなつまんない考えすら浮かばなくなった私は……どうすればいいのだろう? 疲れ切った頭を振りながら、私は窓の外を眺めた。

 次の瞬間、私は我が目を疑い、また、神を信じてもいいと思った。

 事態収拾に汲々として気付かないでいたが、今夜の冷え込みは相当な物らしい。ふと我に返ると、ぶるっと寒気が来た。


 つづく

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