最後の乗客たち

@raputarou

最後の乗客たち

第一章 最終便


午後十一時四十五分。私は羽田空港の搭乗ゲートに立っていた。


最終便、JAL873便。目的地は札幌・新千歳空港。台風が接近しているため、これが今夜最後のフライトだった。


私の名前は桜井真一。三十五歳の出版社営業マン。札幌の書店との商談を終え、急いで東京に戻る必要があった。明日の朝一番に、重要なプレゼンテーションが控えていたからだ。


「お客様、搭乗券をお願いします」


疲れた表情のグランドスタッフが、機械的に言った。


私は搭乗券を差し出し、機内に入った。


乗客は少なかった。台風接近のせいで、多くの便が欠航になっていた。この便も、本来は満席のはずだったが、払い戻しやキャンセルが相次いだらしい。


座席は13B。窓側の席だ。


隣の13Aには、誰も座っていなかった。


私は安堵の息をついた。長時間のフライト、隣に誰もいない方が楽だ。


だが、搭乗が始まってから気づいた。


乗客が、異様に少ない。


機内を見回すと、乗客は私を含めて十人しかいなかった。


最前列に座る初老の男性、スーツを着た五十代くらいの厳つい顔つき。


その後ろに、二十代と思われる若いカップル。女性は不安そうに男性にしがみついている。


中央部には、三十代の女性が一人。ノートパソコンを開いて、何か作業をしている。


私の後ろには、大学生くらいの若い男性。イヤホンをして、スマートフォンを見つめている。


さらに後方には、六十代の老夫婦。二人とも疲れた様子で座っている。


そして最後尾に、黒いフードを被った人物。性別も年齢も分からない。ずっと下を向いている。


客室乗務員は二人。一人は三十代の女性、名札には「木村」とある。もう一人は二十代の若い男性、「田中」と書かれている。


「皆様、本日はJAL873便をご利用いただき、ありがとうございます」


木村が、マイクで機内アナウンスを始めた。だが、その声には疲労が滲んでいた。


「当便は、台風接近のため、若干の揺れが予想されます。シートベルトは常時着用をお願いいたします」


機体が動き出した。


私は窓の外を見た。雨が激しく降っている。風も強い。本当にこの天候で飛べるのか、不安になった。


離陸許可が下り、機体が滑走路に向かう。


エンジン音が高まり、機体が加速する。


そして、離陸。


機体が大きく揺れた。


「うわっ!」


若いカップルの女性が悲鳴を上げた。


だが、すぐに機体は安定した。雲の中を抜け、夜空に出た。


「高度一万メートルに到達しました。シートベルトサインを消灯いたします」


木村のアナウンス。


私は深く息を吐いた。これで、後は札幌まで二時間弱だ。


だが、その時だった。


機内放送が再び入った。


「皆様に、緊急のお知らせがあります」


木村の声は、明らかに動揺していた。


「この便に、爆弾が仕掛けられているという通報がありました」


機内に、静寂が訪れた。




第二章 爆弾予告


「爆弾......?」


誰かが呟いた。


若いカップルの女性が、泣き出した。


「嘘でしょ......嘘よね?」


木村が続けた。


「詳細は不明です。ただ、通報によれば、この機内のどこかに爆弾が隠されており、午前一時に爆発するとのことです」


午前一時。今は午前零時五分。あと五十五分しかない。


「引き返せないんですか!」最前列のスーツの男が叫んだ。


「申し訳ございません。現在、台風の影響で羽田空港は閉鎖されています。札幌への飛行を続けるしかありません」


「じゃあ、その爆弾を探せばいいだろう!」


田中が前に出てきた。


「現在、機内の捜索を行っています。皆様、ご協力をお願いします」


だが、私は気づいていた。


この状況、何かがおかしい。


爆弾予告があったのなら、なぜ離陸前に分からなかったのか。


そして、なぜこのタイミングで発表したのか。


私は立ち上がり、木村に声をかけた。


「すみません、通報はいつ、誰から入ったんですか?」


木村は躊躇したが、答えた。


「離陸直後です。管制塔を通じて、機長に伝えられました。通報者は......匿名です」


「匿名?」


「ええ。ただ、通報者は『犯人はこの機内にいる』と言ったそうです」


機内に、再び緊張が走った。


「犯人が、この中に?」


若い大学生が、周囲を見回した。


「誰だ......誰が爆弾を仕掛けたんだ」


スーツの男が立ち上がった。


「俺は関係ない。俺はただの会社員だ」


中央の女性も言った。


「私も関係ありません。仕事で札幌に行くだけです」


老夫婦は、怯えた様子で黙っている。


若いカップルは、互いにしがみついている。


そして、最後尾のフードの人物は、相変わらず動かない。


「とにかく、爆弾を探しましょう」


私は提案した。


「座席の下、荷物棚、トイレ。全てを調べるんです」


田中が頷いた。


「お客様方、ご協力をお願いします」


全員が、機内の捜索を始めた。


座席の下、座席のポケット、荷物棚。


だが、何も見つからない。


三十分が経過した。


「見つからない......」


若い大学生が、絶望的に呟いた。


「爆弾なんて、本当にあるのか?」


その時、木村が叫んだ。


「あった!」


彼女が指差す先、後方のトイレのゴミ箱の中に、不審な装置があった。


タイマー付きの小型爆弾。液晶ディスプレイには、残り時間が表示されている。


『00:23:47』


あと二十四分を切っている。


「解除できないんですか!?」スーツの男が叫んだ。


田中が爆弾を調べたが、首を横に振った。


「無理です。専門知識がないと、触ると爆発する可能性があります」


「じゃあ、どうするんだ!」


「機外に投げ捨てるしかありません」


だが、問題があった。


民間航空機の窓やドアは、飛行中に開けることができない。気圧の差で、開かないように設計されているのだ。


「非常口は?」大学生が尋ねた。


「非常口も同じです。飛行中は開けられません」


「じゃあ、このまま爆発するのを待つのか!?」


パニックが広がる。


だが、私は冷静に考えた。


何かがおかしい。


爆弾予告の通報者は「犯人は機内にいる」と言った。


つまり、犯人は私たちの中にいる。


だが、なぜ犯人は自分も死ぬような真似をするのか。


自爆テロなら理解できる。だが、通報したのはなぜだ。


まるで、私たちを試しているようだ。


「待ってください」私は言った。「この爆弾、本物ですか?」


全員が私を見た。


「何を言ってるんだ!」スーツの男が怒鳴った。「こんな状況で!」


「いえ、考えてください。犯人がわざわざ通報した理由です。本当に爆破するつもりなら、通報する必要はない」


木村が言った。


「では、何が目的なんですか?」


「それは......」


その時、機内の照明が全て消えた。




第三章 暗闇の中の真実


悲鳴が響く。


完全な暗闇。非常灯すら消えている。


「何が起きた!?」


誰かの声。


数秒後、照明が復旧した。


だが、一人いなくなっていた。


最後尾のフードの人物が、姿を消していた。


「あの人は!?」


若いカップルの男性が叫んだ。


私たちは機内を探した。


そして、コックピットのドアの前で、その人物を見つけた。


フードを脱いだ彼女——そう、女性だった——は、三十代くらいに見えた。痩せた顔に、鋭い目つき。


そして、手には拳銃が握られていた。


「動かないで」


彼女の声は、冷たく響いた。


「誰だ、お前は!」スーツの男が叫んだ。


「私の名前は、安藤由美。七年前、この航空会社の客室乗務員でした」


木村が驚愕の表情を浮かべた。


「安藤さん......まさか、あの事故の......」


「そう。七年前の墜落事故」


安藤は、苦い表情で語り始めた。


「JAL372便。羽田から福岡への便。整備不良が原因で、エンジンが停止。乗客乗員百二十三名が死亡した」


私は、その事故を覚えていた。当時、大きなニュースになった。


「私は、その便の客室乗務員でした。だが、偶然にも私は、その日は休暇を取っていて、乗っていなかった」


「それと、今回の件とどう関係があるんだ?」大学生が尋ねた。


「事故の原因は整備不良。だが、会社は隠蔽した。整備記録を改ざんし、責任を現場のパイロットに押し付けた」


安藤の目に、涙が浮かんだ。


「私の同僚が、五人も死んだ。彼らは、会社の不正の犠牲になったんだ」


「だから、復讐するつもりか?」スーツの男が言った。


「復讐ではない」安藤は首を振った。「暴露です。この便には、当時の事故隠蔽に関わった人間が乗っている」


彼女は、スーツの男を指差した。


「あなた、名前は?」


「橋本......橋本浩二だ」


「そうでしょうね。あなたは七年前、この航空会社の整備部長だった。整備記録を改ざんした張本人」


橋本の顔が青ざめた。


「違う......俺は命令されただけだ」


「命令したのは誰です?」


橋本は答えなかった。


安藤は、中央の女性に視線を移した。


「あなたは、佐々木恵。当時の広報部長。事故後の記者会見で、整備不良を隠蔽し、パイロットのミスだと発表した」


佐々木恵が立ち上がった。


「それは......会社の指示で......」


「そして」安藤は老夫婦を見た。「あなた方は、当時の社長と副社長。全ての隠蔽を指示した」


老夫婦は、何も言わなかった。


「この便は、偶然じゃない」安藤は言った。「私が、あなた方を全員、この便に乗せたんです」


「どうやって?」私が尋ねた。


「予約システムをハッキングした。あなた方の予約を、全てこの便に変更した。そして、台風が接近するのを待った。この便が、最終便になることを」


「では、爆弾は?」


「本物です。でも、爆発はしません。タイマーは止められる」


安藤は、橋本に拳銃を向けた。


「ただし、条件がある。あなた方が、全ての真実を告白すること」


「告白?」


「この機内には、カメラが設置されている。あなた方の告白は、全て録画され、着陸後に公開される」


橋本が叫んだ。


「そんなことできるか!」


「ならば、爆弾は爆発します。あなた方も、そして無関係な乗客も、全員死にます」


私は、状況を理解した。


安藤は、狂気じみた復讐を企てている。だが、同時に、彼女の痛みも理解できた。


「安藤さん」私は言った。「私たち無関係な乗客を、巻き込まないでください」


安藤は私を見た。


「申し訳ない。でも、これしか方法がなかった」


その時、コックピットのドアが開いた。




第四章 機長の決断


ドアから出てきたのは、機長だった。


五十代の落ち着いた男性。名札には「高橋」とある。


「安藤さん、もうやめなさい」


高橋機長は、静かに言った。


「機長......」安藤の手が震えた。


「あなたの気持ちは分かる。七年前の事故、私も忘れていない」


「あなたは、パイロット組合の代表として、会社の隠蔽に抗議してくれました。でも、揉み消された」


「ああ。会社の力は強大だった。私一人では、どうにもできなかった」


高橋は、安藤に一歩近づいた。


「だが、こんな方法は間違っている。無関係な人々を巻き込んで、何になる」


「でも......他に方法が......」


「ある」高橋は言った。「この機は、着陸後に全ての記録が検証される。あなたが仕掛けたカメラの映像も、この会話も、全て証拠になる」


「会社は、また揉み消すでしょう」


「いや、今回は違う」


高橋は、橋本たちを見た。


「彼らの告白があれば、隠蔽はできない。そして、私が証言する。七年前の隠蔽工作の全てを」


橋本が叫んだ。


「お前、何を言って——」


「黙れ」高橋の声は、鋭かった。「七年前、私は沈黙を選んだ。仲間の死を、無駄にした。だが、もう二度と同じ過ちは犯さない」


彼は、安藤に手を差し伸べた。


「安藤さん、銃を下ろしなさい。そして、一緒に真実を明らかにしよう」


安藤の目から、涙が溢れた。


「本当に......本当に、真実を明らかにできますか?」


「約束する」


安藤は、ゆっくりと銃を下ろした。


だが、その瞬間。


橋本が動いた。


彼は安藤に飛びかかり、銃を奪おうとした。


「させるか!」


揉み合いになる。


そして、銃声が響いた。


橋本が、胸を押さえて倒れた。


「橋本さん!」佐々木が駆け寄った。


だが、橋本は動かなかった。


安藤は呆然と、銃を見つめていた。


「私......殺してしまった......」


高橋が彼女の肩を掴んだ。


「事故だ。あなたのせいじゃない」


だが、状況は悪化した。


爆弾のタイマーは、残り五分を切っていた。


「爆弾を止めないと!」若い大学生が叫んだ。


安藤が言った。


「解除コードは......私のスマートフォンに入っています」


「どこです!?」


「座席の......」


安藤が座っていた最後尾の座席に、私たちは向かった。


だが、スマートフォンがない。


「ない!」


「探して!」


全員が必死に探した。


残り三分。


二分。


一分。


「見つかりました!」


木村が、座席の隙間からスマートフォンを取り出した。


安藤がロックを解除し、アプリを開く。


そして、解除コードを入力した。


タイマーが止まった。


『00:00:03』


残り三秒だった。


機内に、安堵の息が漏れた。


若いカップルは抱き合って泣いていた。


老夫婦は、ただ座り込んでいた。


私は、窓の外を見た。


札幌の灯りが、見え始めていた。


高橋機長が、機内放送を入れた。


「皆様、まもなく新千歳空港に着陸いたします。本日は、大変な事態となり、誠に申し訳ございませんでした」


だが、私は気づいていた。何かが、まだ終わっていないことを。




第五章 最後の真実


着陸後、空港には警察と救急車が待機していた。


橋本の遺体は運び出され、安藤は警察に連行された。


老夫婦と佐々木も、事情聴取のため警察に同行した。


私たち残りの乗客は、空港の待合室で待機させられた。


若いカップル、大学生、そして私。


疲労困憊の私たちは、ただ黙って座っていた。


だが、私の頭の中では、疑問が渦巻いていた。


何かが、おかしい。


安藤の計画は、完璧すぎた。


予約システムのハッキング、爆弾の製造、カメラの設置。


そして、高橋機長の協力。


まるで、全てが計画通りだったかのように。


私は立ち上がり、高橋機長を探した。


彼は、警察と話していた。


「機長」私は声をかけた。


高橋は振り向いた。


「どうしました?」


「一つ、聞いてもいいですか」


「何でしょう」


「あなた、安藤さんと事前に連絡を取っていましたね」


高橋の表情が変わった。


「何を根拠に?」


「あなたの行動です。安藤さんが銃を出した時、あなたは驚かなかった。まるで、予想していたかのように」


高橋は沈黙した。


「そして、橋本さんの死」私は続けた。「あれは、事故ではない」


「どういうことですか」


「安藤さんは、銃を下ろしていた。だが、橋本さんが飛びかかった時、銃口は下を向いていたはずです。胸を撃つことは、物理的に不可能だった」


「つまり?」


「誰かが、橋本さんを撃った。そして、それを安藤さんのせいにした」


高橋は、深く息を吐いた。


「よく気づきましたね」


彼は、上着の内ポケットから、小型の拳銃を取り出した。


「これで、橋本を撃ちました」


「なぜ?」


「復讐です」高橋は静かに言った。「七年前、橋本の隠蔽工作で、私の親友が死にました。副操縦士だった彼は、会社から責任を押し付けられ、自殺しました」


「だから、殺した?」


「そうです。安藤さんの計画を利用して」


私は、拳を握り締めた。


「では、安藤さんは......」


「彼女は知りません。私が彼女に接触し、協力すると申し出た。だが、本当の目的は、橋本を殺すことでした」


高橋は、拳銃を床に置いた。


「もう逃げません。全ての罪を認めます」


警察が駆け寄ってきた。


高橋は、静かに手錠をかけられた。


私は、ただ立ち尽くしていた。


安藤の復讐は、別の復讐を呼んだ。


そして、橋本は死んだ。


だが、真実は明らかになった。


七年前の事故の隠蔽。


会社の不正。


そして、それによって失われた命。


翌日、全てのメディアがこの事件を報じた。


航空会社の株価は暴落し、社長は辞任した。


老夫婦——元社長と元副社長——は逮捕された。


佐々木恵も、証拠隠滅の罪で起訴された。


安藤由美は、航空機ハイジャックの罪で起訴されたが、同時に内部告発者として保護された。


高橋機長は、殺人罪で起訴された。


私は、東京に戻った。


プレゼンテーションは延期になった。だが、それはもうどうでもよかった。


あの夜、私は人間の復讐の連鎖を見た。


そして、真実を暴くことの代償も見た。




エピローグ


半年後、私は札幌を再訪した。


仕事ではなく、個人的な理由だった。


私は、高橋機長の裁判を傍聴した。


彼は、全ての罪を認めた。そして、七年前の事故の真実を証言した。


判決は、懲役十五年。


だが、彼は満足そうだった。


「真実は、明らかになった。それで十分です」


法廷を出ると、安藤由美が立っていた。


彼女は保釈中だった。


「桜井さん」


「安藤さん」


私たちは、少し歩いた。


「高橋機長のこと、知っていましたか?」私は尋ねた。


安藤は首を振った。


「全く知りませんでした。でも......」


彼女は空を見上げた。


「彼の気持ちは、分かります。復讐したい気持ち。誰かを責めたい気持ち」


「でも、それは正しくない」


「ええ。だから、私は償います。自分の罪を」


私たちは、別れた。


私は、空港に向かった。


東京行きの便に乗るために。


搭乗ゲートで、私は一瞬立ち止まった。


また飛行機に乗る。


あの恐怖を、再び経験するかもしれない。


だが、私は進んだ。


人は、恐怖を乗り越えて生きていく。


そして、真実と共に。


これが、あの夜の物語。最後の乗客たちの、恐怖と真実の記録。

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