沈黙の代償

@raputarou

沈黙の代償

第一章 消された告発


私の名前は水島圭介。三流週刊誌『真実の声』の記者だ。


十一月の冷たい雨が降る夜、私は一本の電話を受けた。


「水島さん......助けて」


声の主は、元国会議員秘書の高野美咲。三ヶ月前、彼女は衆議院議員・富永和也の不正を告発しようとして、突然姿を消した。


「高野さん? 今どこに——」


「時間がない。富永議員の汚職の証拠を持っています。でも、私は......」


電話が途切れた。


翌朝、高野美咲の遺体が、多摩川の河川敷で発見された。


警察の発表は「自殺」。だが、私は知っている。これは殺人だ。


高野は、富永議員と大手建設会社「東邦建設」との癒着を調査していた。総額五百億円の再開発事業に絡む利益供与。だが、彼女が証拠を掴む直前に姿を消し、そして死んだ。


「水島さん、これ以上追うのは危険です」


編集長の田村が、渋い顔で言った。五十代の疲れた男だ。かつては調査報道で名を馳せたが、今は広告主の顔色を窺うだけの存在に成り下がっている。


「でも、これは明らかに——」


「明らかに何です? 証拠もなしに、現職議員を疑えと? うちみたいな弱小出版社が、大物政治家と建設会社を敵に回せると思ってるんですか」


「ジャーナリズムの使命は——」


「使命より飯です」田村は吐き捨てるように言った。「この記事はボツ。以上」


私は編集部を飛び出した。


記者になって十年。私は、この国のジャーナリズムが死にかけているのを見てきた。権力を監視するはずのメディアが、権力に飼い慣らされている。


だが、私は諦めない。


高野美咲が最後に遺したメッセージ。そこには、真実へのヒントがあるはずだ。


私は、高野の同僚だった国会議員秘書、佐藤健二に連絡を取った。


「水島さん......実は、美咲から預かっているものがあるんです」


翌日、私は国会議事堂近くのカフェで佐藤と会った。三十代半ばの真面目そうな男だ。


彼が差し出したのは、USBメモリだった。


「これには、富永議員と東邦建設の癒着の証拠が全て入っています。議事録、メール、振込記録......」


「なぜ、今まで出さなかったんです?」


佐藤の顔が歪んだ。


「怖かったんです。美咲が死んだ後、私の家にも不審な車が張り付くようになった。電話も盗聴されている気がする。でも......このままじゃ、美咲が報われない」


私はUSBを受け取った。


「これを記事にします。必ず」


「気をつけてください。相手は、人を殺すことを躊躇わない連中です」


その夜、私はUSBの中身を確認した。


そこには、膨大な証拠が記録されていた。


富永議員は、東邦建設から総額三億円の賄賂を受け取っていた。その見返りに、五百億円の再開発事業を東邦建設が独占受注できるよう、審査を不正に操作していた。


さらに、この汚職には他の政治家も関与していた。国土交通大臣の柳沢健、都知事の黒田雄二。彼らも、東邦建設から資金提供を受けていた。


「これは......国家規模の汚職だ」


だが、問題があった。


この証拠を報道するには、裏付けが必要だ。東邦建設の内部関係者の証言が不可欠だ。


私は、東邦建設の元経理部長、森田誠に接触を試みた。


だが、彼に会う前に、私は尾行されていることに気づいた。


黒いセダンが、私の後をつけている。


私は急いで地下鉄に飛び込んだ。だが、ホームで私を待っていたのは——



第二章 権力の影


ホームで私を待っていたのは、一人の男だった。


黒いスーツに白いネクタイ。五十代の鋭い目つき。


「水島圭介さんですね。少し、お話しできますか」


男は、警察手帳を見せた。警視庁公安部、笹川警部。


「何の用ですか?」


「あなたが調べている件について」笹川は低く言った。「やめていただきたい」


「なぜです? 高野美咲は殺されたんです。それを調べて何が悪い」


「高野美咲の死は自殺です。警察が既に結論を出している」


「証拠もなしに?」


「証拠はある」笹川は冷たく言った。「彼女は鬱病を患っていた。遺書もあった」


「遺書? そんなもの——」


「ありました」笹川は封筒を取り出した。「これです。筆跡鑑定も済んでいる」


封筒の中には、高野の筆跡で書かれた遺書があった。


『もう疲れました。全てを忘れたい』


だが、何かがおかしい。高野は右利きだったが、この遺書は左手で書かれたような乱れた字だ。


「これは偽造です」


「証拠は?」


「筆跡が——」


「鑑定済みです」笹川は遮った。「水島さん、あなたは三流週刊誌の記者だ。警察の捜査に口を出す権限はない。そして......」


彼は一歩近づいた。


「これ以上首を突っ込むと、あなた自身が危険です。高野美咲のようになりたくなければ、大人しくしていることです」


笹川は去っていった。


私は、背筋に冷たいものを感じた。


警察までもが、この汚職に関与している。


いや、関与しているのではない。庇っているのだ。


権力者たちを。


私は、森田誠と接触することを決意した。だが、彼に会うためには慎重に行動する必要がある。


翌日、私は変装して森田の自宅を訪ねた。


彼は、都内の古いアパートに一人で住んでいた。六十代の痩せた男性だ。


「水島さん......来ると思ってました」


森田は私を部屋に招き入れた。


「東邦建設の汚職について、証言していただけますか?」


森田は深く息を吐いた。


「証言したいです。でも......できない」


「なぜです?」


「私には、孫がいるんです。六歳の女の子。先週、その子が通う幼稚園の前で、黒いスーツの男たちが待っていたんです。『森田さんには、大切な孫がいますね』と言われました」


森田の手が震えている。


「私は、孫の命と引き換えに、沈黙を買われたんです」


「警察に——」


「警察も繋がっています。どこに助けを求めても、無駄です」


私は拳を握り締めた。


「では、匿名での証言は?」


「それでも危険です。私の声は特定される。そして、報復される」


その時、ドアがノックされた。


森田の顔が青ざめた。


「まさか......」


ドアが破られ、二人の男が入ってきた。黒いスーツの、いかにも裏社会の人間といった風貌だ。


「森田さん、余計なことを喋ってるんじゃないですか?」


一人が、凄みのある声で言った。


「そしてあんた、水島圭介だな。大人しく忠告を聞いておけばよかったのに」


男が私に近づく。


だが、その瞬間、部屋の窓ガラスが割れた。


そして、一人の女性が飛び込んできた。



第三章 告発者たち


窓から飛び込んできたのは、三十代の女性だった。


ショートカットの黒髪、鋭い目つき。手には警棒を持っている。


「動くな!」


女性は、黒服の男たちに警棒を向けた。


男たちは一瞬怯んだが、すぐに反撃しようとした。だが、女性の動きは速かった。一瞬で二人を床に叩き伏せ、手錠をかけた。


「あなたたちは誰だ」私が尋ねると、女性は答えた。


「元警視庁捜査一課、現在はフリーランスの調査員。名前は桐島冴子」


「元警察?」


「ええ。五年前、汚職事件を追っていて、上層部に握りつぶされた。それで辞めた」桐島は私を見つめた。「あなたが水島圭介ね。高野美咲の件を調べている記者」


「なぜ、それを?」


「私も、同じ事件を追っている。富永議員と東邦建設の汚職。そして、それを隠蔽しようとする権力の闇を」


桐島は、床に倒れた男たちを見下ろした。


「こいつらは、東邦建設が雇った暴力団の下っ端。証言者を脅すのが仕事」


森田が震えながら言った。


「では、私の孫は......」


「大丈夫。すでに保護してある」桐島は言った。「私の仲間が、あなたの家族を安全な場所に移した」


「本当ですか!?」


「ああ。だから、安心して証言してほしい」


森田の目に、涙が浮かんだ。


「分かりました。全て、話します」


私たちは、桐島の隠れ家に移動した。都内の古いビルの一室だ。


そこには、もう一人の男性がいた。


「こちらは、弁護士の立川雄一。冤罪事件を専門に扱っている」


立川は四十代の温厚そうな男性だった。


「水島さん、お会いできて光栄です。あなたの記事、いつも読んでいます」


「ありがとうございます。でも、今回の相手は強大すぎる。記事にしても、もみ消されるかもしれない」


「それは分かっている」桐島が言った。「だから、私たちは別の方法を考えている」


「別の方法?」


「告発です。森田さんの証言をもとに、検察に直接告発する」


立川が頷いた。


「私が告発状を作成します。そして、メディアにも同時に情報を流す。複数の報道機関に、同時に」


「でも、メディアも権力に飼い慣らされている」私は言った。「私の会社だって、記事をボツにした」


「だから、全てのメディアに流すんです」桐島が言った。「大手新聞、テレビ局、週刊誌、ネットメディア。全てに同時に情報を流せば、どこかが報道する」


森田が口を開いた。


「私は、東邦建設で三十年働きました。会社は、昔は真っ当な企業でした。でも、十年前から変わった。政治家との癒着が始まり、不正な受注が常態化した」


彼は、手元の資料を見せた。


「これが、富永議員への賄賂の記録です。総額三億円。全て、会社の裏金から支払われました」


「裏金の出所は?」


「下請け業者への架空発注です。実際には存在しない工事の費用を計上し、そのお金を裏金にしていました」


「他の政治家への賄賂は?」


「国土交通大臣の柳沢健に二億円、都知事の黒田雄二に一億円。全て、再開発事業の受注のためです」


私は、全てを記録した。


「これだけの証拠があれば、必ず勝てる」


だが、桐島は厳しい表情だった。


「問題は、相手も手を打ってくることだ。証拠の隠滅、証人の口封じ。そして......」


彼女は窓の外を見た。


「最悪の場合、私たち自身が消される」


立川が言った。


「だから、スピードが重要です。明日、一斉に告発と報道を行う。一気に畳み掛けるんです」


「分かりました」私は決意した。「私も、全ての記事を書きます。そして、編集長を説得します」


その夜、私は徹夜で記事を書いた。


タイトルは『国家の闇——五百億円汚職の真実』


全ての証拠、全ての証言を盛り込んだ。


翌朝、私は編集部に向かった。


だが、編集部に着くと、異様な雰囲気が漂っていた。


田村編集長が、青い顔で立っていた。


「水島......お前、何をした」


「記事を書きました。これを掲載してください」


田村は記事を受け取ったが、すぐに私に返した。


「無理だ」


「なぜですか!」


「上から圧力がかかった。この記事は掲載するな、と」


「上って......」


「出版社の社長だ。そして、社長には政府から圧力がかかった」


その時、編集部のドアが開き、一人の男が入ってきた。



第四章 暴かれる真実


入ってきたのは、富永和也議員本人だった。


五十代の堂々とした体格。だが、その目には冷酷さが宿っている。


「水島圭介さん、お会いしたかった」


富永は、嫌らしい笑みを浮かべた。


「あなたは、随分と厄介なことをしてくれましたね」


「厄介? 真実を報道することが、厄介なんですか?」


「真実?」富永は鼻で笑った。「あなたが書いているのは、真実ではなく妄想です。証拠もない誹謗中傷」


「証拠なら、ここに全てある」私はUSBを取り出した。


富永の表情が一瞬強張った。


「それは......どこで手に入れた」


「高野美咲から。あなたが殺した彼女から」


「殺した? 彼女は自殺です。警察も認めている」


「偽装された自殺です。遺書も偽造されている」


富永は、深く息を吐いた。


「水島さん、あなたは勘違いをしている。この国は、あなたのような三流記者が正義を振りかざす場所ではない。秩序があり、ルールがある」


「汚職を隠蔽するルールなど、認められない」


「では、聞きますが」富永は一歩近づいた。「あなたは、この国の経済を回している人間が誰だと思いますか? 綺麗事を言う市民ですか? 違う。私たち政治家と、企業です。私たちが動かすお金が、雇用を生み、税収を生み、福祉を支えている」


「それと汚職は関係ない」


「大いに関係がある」富永は言い放った。「政治には金がかかる。選挙には金がかかる。その金を得るために、多少の便宜を図ることは、必要悪なんですよ」


「必要悪だと?」


「そうです。そして、高野美咲は、その必要悪を理解しなかった。だから......」


富永は言葉を切った。だが、その沈黙が全てを物語っていた。


「あなた、今、自分で認めましたね。高野を殺したことを」


富永の顔が歪んだ。


「私は何も言っていない」


「いや、言った。この会話は全て録音しています」


私はスマートフォンを見せた。


富永は激昂した。


「お前......!」


だが、その時、編集部の外から大勢の足音が聞こえた。


桐島冴子が、検察官と警察官を連れて入ってきた。


「富永和也、あなたを収賄と殺人教唆の容疑で逮捕する」


検察官が令状を示した。


富永は、信じられないという表情だった。


「馬鹿な......お前たち、私が誰だか分かっているのか!」


「分かっています」桐島が冷たく言った。「汚職議員です」


警察官が富永に手錠をかけた。


「待て! 私には免責特権がある! 現行犯以外で逮捕できるわけがない!」


検察官が答えた。


「国会の許可は取得済みです。あなたの汚職の証拠は、検察にも既に提出されています」


富永は連行されていった。


私は、桐島に尋ねた。


「どうやって、国会の許可を?」


「立川弁護士の人脈です。野党の議員たちが動いてくれた。そして、検察の中にも、まだ正義を信じる人間がいた」


編集長の田村が、呆然としていた。


「水島......お前、本当にやったのか」


「やりました。これが、ジャーナリズムです」


その日の夕方、全ての報道機関が一斉に報道した。


『現職議員、収賄で逮捕』


『五百億円汚職事件の全貌』


テレビも新聞も、週刊誌もネットも、全てがこの事件を報じた。


国民の怒りは凄まじかった。


富永議員だけでなく、柳沢国土交通大臣、黒田都知事も辞任に追い込まれた。


東邦建設の幹部たちも、次々と逮捕された。


そして、警視庁公安部の笹川警部も、証拠隠滅の容疑で逮捕された。


だが、私は知っていた。


これで終わりではない。



第五章 沈黙の代償


事件から三ヶ月後。


私は、高野美咲の墓前に立っていた。


「高野さん、あなたの告発は、世界を変えました」


墓石には、彼女の名前と、『真実を追い求めた人』という言葉が刻まれていた。


桐島冴子が、隣に立った。


「でも、まだ終わっていない」


「どういうことですか?」


「富永たちは逮捕されたが、彼らは氷山の一角に過ぎない。この国の汚職は、もっと深く、広く根を張っている」


彼女は、一枚の写真を見せた。


そこには、別の政治家と企業幹部が密談している様子が写っていた。


「次のターゲットです」


私は深く頷いた。


「分かっています。戦いは続く」


立川弁護士も合流した。


「水島さん、新しい告発の準備ができました。次は、防衛省の不正調達です」


「分かりました。取材を開始します」


だが、その時、私の携帯に着信があった。


編集長の田村からだった。


「水島、お前に伝えたいことがある」


「何ですか?」


「お前、クビだ」


「......何ですって?」


「上からの指示だ。お前は、会社にとって厄介すぎる。これ以上、権力と戦う記者は必要ない」


電話は切れた。


私は、呆然とした。


「クビ......」


桐島が肩を叩いた。


「気にするな。予想していたことだろう」


「でも、これじゃ記事が書けない」


「他の方法がある」立川が言った。「フリーランスになるんだ。そして、私たちと一緒にフリーのジャーナリストとして活動する」


「フリーランス......」


「そうだ」桐島が言った。「組織に属さないからこそ、本当の真実が書ける。私たちのような、権力と戦う者たちと共に」


私は考えた。


会社員としての安定を失う。だが、得るものもある。


自由と、真実を追い求める権利。


「分かりました。やります」


その日から、私は新しい道を歩み始めた。


桐島、立川、そして森田。私たちは、『真実追求グループ』を結成した。


次々と権力の不正を暴き、告発していった。


だが、代償も大きかった。


私は、何度も脅迫を受けた。家に侵入され、資料を盗まれた。尾行され、暴行を受けたこともあった。


桐島も、襲撃を受けて重傷を負った。


立川の事務所は、放火された。


それでも、私たちは止まらなかった。


なぜなら、誰かが戦わなければ、この国の腐敗は止まらないからだ。


高野美咲が命をかけて守ろうとした真実。それを、私たちが受け継ぐ。



一年後


私たちの活動は、少しずつ成果を上げていた。


複数の政治家が辞任し、企業の不正が暴かれ、制度改革が進んだ。


だが、まだ足りない。


権力の闇は、深く、広い。


私は、今日も取材を続けている。


新しい汚職事件の証拠を掴むために。


カフェで、私は情報提供者と会っていた。


「これが、次の証拠です」


若い女性が、封筒を差し出した。


「ありがとうございます。これで、また一人、腐敗した政治家を告発できる」


女性は、不安そうな表情で言った。


「私、大丈夫でしょうか。告発したら、報復されるんじゃ......」


「大丈夫です。私たちが守ります。高野美咲のように、誰も死なせません」


女性は安心したように頷いた。


カフェを出ると、夕暮れの街が広がっていた。


この街の、どこかで、今も不正が行われている。


どこかで、権力者が私腹を肥やしている。


どこかで、真実が隠蔽されている。


だが、私たちは戦い続ける。


ペンで、言葉で、真実で。


「高野さん、見ていてください。あなたの死は、無駄にはしません」


私は、新しい記事を書き始めた。


タイトルは、『沈黙の代償——失われた正義を取り戻すために』


この国の闇は深い。


だが、光を灯す者がいる限り、闇は必ず晴れる。


私は、そう信じて、今日もペンを走らせる。




エピローグ:権力との戦いは続く


それから五年が経った。


私たちの活動は、大きな広がりを見せていた。


フリーランス記者のネットワークが全国に広がり、各地で権力の不正が暴かれていた。


だが、代償も大きかった。


仲間の一人が、取材中に事故死した。


別の仲間は、名誉毀損で訴えられ、破産した。


桐島は、再び襲撃を受け、右足に障害が残った。


それでも、私たちは止まらない。


止まれば、高野美咲の死が無駄になる。


止まれば、この国の腐敗が進む。


私は今日も、取材を続けている。


次なる権力の闇を暴くために。


これが、私の選んだ道。


沈黙を破り、真実を語る道。


その代償がどれほど大きくても、私は進み続ける。

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