おばけになりたい

朽葉陽々

「わたし、おばけになりたいのよ」

 彼女はそう言って笑っていました。

 もう何年も前の話です。彼女は、私のクラスメイトでした。

 学級の中でも、いえ、それどころか学校の中でも一際綺麗で、一際背筋が真直ぐで。そしてそれ故か、時折、誰よりも寂しそうに見える女の子でした。

 彼女は私の友人でした。どうやって仲良くなったのか、きっかけも覚えていませんが、少なくとも私はそう思っていました。家族以外で一番よく話す相手でした。いつ何を話したのか覚えきれないくらい、どんなくだらない話でもできるような友人でした。

 だから、その話をしたのがいつなのか、確かなところは覚えていません。たくさん、たくさん交わした会話の内のひとかけらだったのだと思います。

 けれど、そのひとかけらが、私の胸裡に焼き付いているのです。

「おばけに、って……それって、……死にたいってこと?」

「いいえ? わたし、死にたくはないわ。おばけになりたいの」

 私の問いに、彼女は緩やかに、首を横に振りました。

「……何で? どうして、おばけになりたいと思うの?」

「だって、おばけになったら、とっても楽しそうだと思わない? 好きな場所で好きなことをして、ふわふわ漂っていられるのよ。好きに夜道を歩いて、自由に星を眺められるのよ」

 彼女にしては珍しい、悪戯気な微笑み。歌うような言葉に、私はやはり、首を傾げてしまいました。

 確かに、彼女は夜空を見るのが好きでしたから、自由にそうできるのなら楽しいでしょう。けれど、その為に成りたいものが『おばけ』であるということが、いまいち私には分からなかったのです。

「おばけ、って。怖いものじゃないの?」

「どうかしら? 確かに、怖がらせるのが好きなおばけは、怖いかもしれないけれど。わたしはそういう性格じゃないもの」

「……怖くないの? おばけになるの……」

 それが怖いものではなかったとしても。今までの自分ではない、どんなものかよく分からないものになるのは、当時の私にとっては、とても怖いことに思えたのです。

 けれど、彼女はそうではないようでした。

「怖くないわ。寧ろ、おばけになれないことの方がずっと怖いかもしれない」

 呟くように言うと、彼女はそっと目を伏せました。その表情を、私はよく覚えています。

 はっとするほど綺麗で、きっと誰より寂しげで。黄金色の日の光を浴びて、神々しいくらいで。こんなに素晴らしいひとの願いが、夢が、まさか叶わないなんてことがあるものか、と思うほどでした。

「……そっか。そうなんだね」

 だから、私は、彼女の夢を受け入れました。

 怖くないかとか、どうやって叶えるのかとか、何も聞かないことにしました。どうしておばけになりたいのか、おばけになってどうしたいのか、本当のことは何も聞かないことにしました。そこにどんな想いが、悩みがあるのか、無理に聞き出さないまま、ただ、きっと叶うと肯くことにしました。

「ねえ、おばけになったら何がしたい?」

「そうねぇ……夜空を見て、その中を自由に飛んでみたいわ。他にも色々な場所に行ってみたい。喫茶店や、映画館もいいわね。ああ、それから……」

「それから?」

 問い掛けると、彼女は私の顔を見て、にっこり笑いました。

「あなたに手紙を書くわ。季節が廻るごとに送るから、きっとお返事をちょうだいね」

「うん、分かったよ。あなたの私書箱に送ればいいの?」

「そうね、そうしましょう。ずっと手紙を送り合って、それで、……ずっと友達でいるの。おばけになったら、きっとそうしたいわ」

 ただ文通をして、友達でい続けるだけのこと、おばけなんかにならなくてもできる気がしたけれど。彼女がおばけにならなくても、きっとそうしたいと思ったけれど。私はそう言いませんでした。

「きっと、ううん、絶対にそうしよう。どれだけ歳をとっても、ずっと、ずっと友達でいよう」

 当時の私には、友達と言える相手は彼女しかいませんでした。だから、彼女も私との友情を大切にしてくれるという事実が嬉しかった。その想いに、誠実に応えられる自分でありたいと、強く思いました。

「ふふ、約束よ? わたしがおばけになっても、あなたが歳をとっても、ずうっと友達よ」

 その言葉に、私たちは目を合わせて、小さく笑みを交わしました。



 その少し後。私たちが学校を卒業する直前。

 彼女は突然いなくなりました。

 学校から、街から、突然姿を消してしまったのです。見つかったという知らせも、いつまで経っても無かったので、私は思いました。

(ああ、あの子は、本当におばけになってしまったのだな)

 彼女はきっと、夢を叶えたのだと、そう思いました。

 けれど、いくら待っても、手紙が来ることはありませんでした。何年待っても、一通たりとも。自分から送ってみようかとも思いましたが、私が知っているのは彼女の実家の住所だけ。試しに送った一通にも、返事はありませんでした。

 彼女は、どこに行ったのでしょう。もしかして、本当に、本物のおばけになったのでしょうか。本物のおばけになって、人間だった頃のことなど忘れてしまったのでしょうか。

 学校を卒業した後、私は街で働いていました。けれどその合間にも、彼女のことを思い出して、彼女が今どうしているのか考えてしまうのです。

 笑えているでしょうか。好きなことをできているでしょうか。苦しんでいないでしょうか。悲しんでいないでしょうか。

 ああ、せめて、一目だけでも会えたら。いいえ、会えなくとも、一言だけでも交わせたのなら。

 そのためには、どうすればいいのだろうと考えて、考えて。ある夜、思いついたことがありました。

(私も、おばけになってしまえたら)

 本物の、ふわふわ曖昧に漂うおばけになってしまえたのなら。彼女を見つけることができるかも知れない。

 どうしたらなれるのかは分かりません。なったところで、本当に彼女に会えるとも限りません。けれど、可能性があるのではと思ってしまったのです。そのためになら、今の、人間としての私だって要らないと、本気で思ってしまったのです。

 その夜から、私は、おばけになる方法を探し始めました。本を読んだり、人に聞いたり、路地裏の店を訪ねたり、方々に手を尽くして――

 ――そして、ついに見つけたのです。

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2026年1月14日 19:02

おばけになりたい 朽葉陽々 @Akiyo19Kuchiha31

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