私と空、僕と海
若井万夏
晴天の海
僕はずっと憧れていた。
何も持ち合わせていない平凡な僕は、ずっとずっと何かを持っているヒーローに憧れていた。勉強や運動が出来て、顔や性格が良いなんて誰でも憧れるでしょ、男なら。女子なら好きになるだろうし。
僕は至って普通の高校生だ。好きな物は自然、嫌いなものは虫。男なのに虫が嫌いって情けないかな?いや、嫌いというより苦手なのか?…どっちもだね。とにかく山の中に住んでいなくて良かったよ。
僕は海のある町に住んでいて、高校には自転車で海の側を通って通学している。
そんなある夏の日のこと。
いつも通りの朝、いつも通り空と海との境目を辿りながら登校していた。よそ見運転ではないよ。見たくなくてもすぐ側に海があれば、この道を通れば嫌でも視界に映るんだ。何故か目にしないと落ち着かないからここを通るんだけどね。
自転車を漕げば、例え無風の日でも海の匂いが鼻を掠めていく。海の声が聴こえる。
今日だっていつもみたいに耳をすませて、鼻先に集中して、目を凝らして登校していたんだ。今日の海は機嫌が良いんだなあ、なんて思いながら。だけどこの日から、いつも通りの生活は消え失せてしまった。
_前方に猫を抱えた同じクラスのあの子と目が合ってしまったから。
目が合ってしまっては通り過ぎることなんて出来ず、渋々自転車を止めてゆっくりと彼女の元へ近づく。普段女子との関わりなんて無かったから、緊張で心臓が爆発しそうだったよ。
それに、この人は女子の中でもトップクラスに可愛くて優しくて可憐だと男子の中で話題になっているんだ。僕は女子に対して興味はないから気にしてなかったけど。それでもさすがに緊張はするよ。
「え、えっと…大丈夫ですか?」
僕と猫に視線を行ったり来たりしている彼女に恐る恐る声をかけると、彼女は僕に対して特に緊張した様子もなく言う。
「猫がここに横たわっていたの。よくよく見たら怪我をしているみたいで、ティッシュを傷のところ巻いたんだよね。でも、この後どうすればいいのか分かんなくて…」
よくよく見ると彼女が抱いている猫の足と背中に、ティッシュの簡易包帯が巻かれてあった。そして首には首輪がついていた。誰かの飼い猫らしいが、息はしているもののグッタリとしている。
「…この辺りに動物病院はありましたっけ?」
「隣町にならあったと思う。…どうしよう、このままこの猫が死んじゃったら、私…私耐えられない」
微かに目が潤み始めた彼女を見て、僕はさらに焦る。まるで僕が泣かせたみたいで居た堪れない気持ちになった。だからだろう、あんな言葉が口から飛び出したのは。
「大丈夫です…僕がこの子を隣町の病院まで連れていくから」
うん、自分でもびっくりだよ。学校があるのに、猫のためによく知りもしない隣町まで行くと宣言をしてしまうなんてさ。
でも、さらに驚いたのは彼女の言葉だった。
「私も行く」
今まで関わりのなかった彼女と、ボロボロの猫、詳しくない町、初めてのサボり。今日は人生史上1番濃い日になりそうだと、ザワザワする海の声を聴きながら感じたのだった。
やらかしてしまった。いきなりこの発言はアウトだったのかもしれない。今まで関わりなかった上に、もし女性が苦手だったら凄く迷惑な提案だ。だけど、自分でもなんでこの言葉が飛び出たのか分からない。なにが「私も行く」だ。
ちらっと彼を見れば、私の発言に驚いた様子だった。
それなのに彼は私に対して優しく「じゃあ…行きましょうか」って自転車を置き去りにして一緒に電車に乗ってくれている。彼とは今まであまり話したことが無かったけど、とんでもないくらい紳士だ。
「わざわざありがとう。そして、付き合わせちゃってごめんね」
私がそう謝れば、彼はしどろもどろに答える。
「あ、謝らないてください。お互い様ですから…」
不覚にも、ズキュンと心がときめいてしまった。
優しすぎる。これは演技なのかな?それにしてはゴニョゴニョ感があまりにもリアルだ。
「え、えっと、どうかしましたか?」
グッ…首を傾げながら顔を覗き込むのは反則だよ。心臓に悪いって。
「ごめん、なんでもないよ。優しいなって思ってただけだから」
ちょっと何言ってるの私!!と心の中でツッコムが表情には出さない。心の中でこんな事を考えてるって知られたら、結構ヤバいやつなのかもしれないから。さすがにこんなに優しい人にはすぐ嫌われたくない。
チラッと彼を見ると、少し耳が赤くなっている気がした。これを見たって私は調子に乗らないよ、うん。
私は隠しているだけで相当な変人だと自負している。変人というか…ヲタク?特に可愛げのある男子が好き。って関係の無い話は聞きたくないよね。
結論、表向きは普通の女の子を演じてるけど心の中はハチャメチャってことだよ。
「あ、あの…そろそろ着きますよ、起きてください」
体が揺さぶられた感覚と、彼の声で目を覚ます。知らないうちに寝てしまっていたようだ。
「ごめん、寝てた。…寝言、言ってなかった?」
「え?は、はい…静かすぎて怖いくらいでしたよ」
「あっはは、そっか」
私がしばらく笑ったままでいると、彼の戸惑った顔に柔らかな微笑みが浮かんだ気がして嬉しかった。
それから電車を降りて、徒歩で動物病院まで行く。
腕が疲れちゃうからって、彼が猫を抱えてくれている。優男すぎてずっと心臓がうるさい。
それからポツポツと会話をして、ついに動物病院に辿り着いた。猫は相変わらずグッタリしているけど、息はしているみたい。
受付を済まし、私たちの順番になるまでに1時間くらい時間がかかった。その間、私が寝ていたせいで電車で思うように寝れなかったであろう彼がうとうとしていた。
「ねぇ、眠たいなら寝ていいよ?私は電車で寝れたからもう眠くないし」
「…それじゃ、お言葉に甘えます」
そう言って多分1分もかかってなかったと思う。彼はあっという間に眠りについた。
彼の寝顔と猫を交互に見つめながら、考え事をしたりぼーっとしたりして時間を潰した。
「1021番の方、お入りください」
1021番…は私たちだ。急いで彼を起こす。
「お、起きて!呼ばれたよ」
「ん…あ、ごめん!」
軽く揺すると眠そうに彼が目を開く。そして慌てた様子で診察室に入っていくのだった。
帰りの電車の中、私たちは特に何も話さず、ただ空と海を眺めて今日あったことを思い出す。
安心することに、猫は怪我と栄養失調が原因でグッタリしていただけであって命に別状はないらしい。
猫は治療を受けるために病院が預かることになった。それに、飼い猫なのに栄養失調になっているということはお世辞にも良いとは言えない環境に身を置いていたということになる。
2人の財布からお金は消えていったけれど、猫を助けることが出来て本当に良かった。
「もう昼時だね。どこかのお店でご飯食べたかったけど財布の中空っぽになっちゃったから、私の家でご飯食べる?」
「えっ?ぼ、僕のことはお構いなく!じ、じじ自分の家で食べれますし…」
オドオドしている彼も可愛い。だから少しでも仲良くなりたい。優しくて可愛らしい素敵な彼にお礼がしたい。
「遠慮しなくていいんだよ。自転車も私の家の近くに置いていっているでしょう?両親今日仕事で居ないし、家に来なよ」
「そ、それは…ほ、本当に良いんですか?」
「もちろん!決まりだね」
少し躊躇いがちだったが、彼が家に来てくれることになった。あまりの嬉しさに、心の中が快晴の空のようだよ。
しばらくして駅に着いたので電車を降り、私の家を目指して歩き出す。2人きりで彼と並ぶと、彼の身長が高いことに今更ながら気が付いたのだった。
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私と空、僕と海 若井万夏 @Wakai_manatsu_5
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