僕のかわいい✕✕

Dostoicski

僕のかわいい✕✕

 僕の住む2LDKのリビングには、ペットの写真が1枚飾ってある。

 長くてかわいいお耳の。しばしば「肉球がある」と勘違いされていたり、「孤独だと死んでしまう」という誤情報が流れたり(僕はあながち間違いではないと思っているけれど)する、あの動物の。

 あの動物にも色々と種類があるが、うちの子は、立ち耳で、肉付きのよい身体と、艷やかな毛並が特徴の子で、ガラス玉のようなブルーの瞳と、灰色の毛を持っている、とてもかわいい子なんだ。


 ***


 日々の仕事を終えて、ゆったりと過ごすいつもの夜。

 リビングで、ソファには座らずその前の床に脚を伸ばすように腰を下ろして本を読む僕と、僕の太ももに身体を預けるようにして手足を伸ばして寛いでいる、この子。

 

「✕✕」


 名前を呼ぶと、そのかわいい頭をちょこんと上げて、こちらを見つめてくれる。僕も見つめ返しながら、たっぷりと背中を撫でてやる。

 この子の灰色の体毛は、触ってみると意外とゴワっとしている犬や猫のそれよりも柔らかで滑らかな毛質で、撫でているとうっとりとするような手触りをしている。こうして読書を楽しみながらこの子の身体を撫でるのが、僕にとっての至福の一時だ。


 ふと美味しいコーヒーが飲みたくなってキッチンへ向かうと、この子も足を滑らせながらも、カーペットの敷かれていない廊下をぴょんぴょんとつけてきた。肉球が無いため、フローリングの上は滑って上手く歩けないのに、それでも一所懸命追ってきてくれるその姿が愛らしい。

 世間ではあまりそんなイメージは無いらしいが、この子はとても人に懐く動物なんだ。人間の3歳児くらいの知能があるらしく、いくつかの言葉や、飼い主のことも認識しているようだ。人間と意思疎通ができ、時々こちらの気持ちを確かめるかのように、僕の目をじっと見つめてくる。


 僕は動物のこういうところが好きだ。こちらが大事にしていれば、向こうもその気持ちを理解して応えてくれるし、反対に大事にしていないと、相手にしてくれない。まっすぐな関係なんだ。

 ……人だとそうはいかない。いくら大事にしたとしても、嫉妬や、猜疑心や、色んなものが邪魔をして。上手くいかないんだ。だからこの部屋で3年も一緒に過ごした恋人とも、結婚直前で別れてしまった。


 それで2LDKに取り残された僕は、一人では大きすぎる部屋と心の隙間を埋めたくて、2年前、ペットを飼い始めたんだ。

 それは大正解だった。僕はすぐにその愛らしさに夢中になり、やがて甲斐甲斐しく世話をする僕に向こうも心を開いてくれ、僕たちはよき友人同士となった。


 僕たちの間には、人間同士の間では存在しえなかった、混じりけのない、特別な絆があると。そう思っていた。


 ***


 ある休日、友人が部屋に遊びにやって来た時のことだった。僕たちの絆に疑問を抱く事件が起きた。


 この子は被食側の動物なせいか、とても臆病な性格をしている。呼び鈴や雷が鳴る度に耳をピンと立て、目を見開き、周囲を警戒しては身体を強張らせてしまう。僕はその度「大丈夫だよ」と優しく声を掛けて安全を伝えているが、この子の常に捕食されてしまうことを警戒しながら生きることのストレスを思うと不憫でならない。

 だからこの子を飼い始めてから1年間、僕は家に人を招くことを避けていたのだが、一方で、かわいいこの子を誰かに見せたい欲求が膨らみ続けていた。

 そしてようやく。環境に十分に慣れ、僕のことも信頼してくれてるようだからと、満を持して友人を招くことにしたんだ。友人は物静かで気の優しい奴だから、この子を驚かせるようなこともしないだろう、と思って。


 当日、家にやって来た友人は、この子を見るなり「かわいい」と声を上げてくれた。僕もふふ、と自慢げな気持ちになった。


 この子も友人が来て初めのうちはケージの奥に身を潜めていたが、時間が経つにつれ警戒心が薄れてきたのか、次第に手前へ出てくるようになった。友人にもっとこの子の愛らしい姿を見せてやろう、とケージの扉を開けてやると、ぴょん、とリビングへ飛び出してきた。


「部屋でお散歩させることを『部屋んぽ』って言うんだ」

「何それ、かわいい」

「ほらジャンプ! よーし、上手だね」


 この子は、僕の出す合図に合わせてジャンプしたり、投げたおもちゃを追いかけたりといった遊びもできる。僕らはそうやって遊びながら、30分ほどを過ごした。


「外にも散歩とか、行くの?」

 ふと友人が訊いた。

「行かないよ。……行く子もいるんだけど……」

 友人に答えながら、僕はクローゼットに仕舞ってあるリードを思い出した。

「外にはノミや農薬、野生の捕食動物なんかの危険もいっぱいだから、この子はまだうちから出したことが無いんだ」

「そうなんだ」


 もし自然の中にでも連れていってやれば、きっと初めて見る辺り一面の緑や、青々とした草花の匂いや、長い手足をかさかさと動かす虫なんかに、目を輝かせて、駆けずり回ることだろう。

 この子ももう大きくなったし、身体も丈夫だ。機会があれば、連れていってやりたいけれど……。


 と、一人でリビングの隅を散策していたあの子が戻って来た。

 そうしていつものように、休憩をしにソファの前に腰を下ろす僕の隣にやって来る……かと思ったが、

「✕✕」

 と友人に名前を呼ばれると彼の方へと向きを変え、そのまま彼の太ももにもたれかかるようにゴロン、としたのだ。

 友人が嬉しそうに「わぁ、本当に人懐っこい子だね!」と言って、✕✕の身体を何度も撫でるのを横で見ながら、僕は何とも言い難い違和感を、覚えていた。


 ***


 友人が帰ってからしばらく。僕はケージの前に立ち、中でお椀に顔を突っ込んでペレットを食べる✕✕を見下ろしながら、考えていた。


(どうして、僕ではなく友人の元へ行ったのか)


 僕はこの子がいつも甘えてくるのを、僕たちの間に特別なものがあるからこそだと思っていた。だけど……。


(この子が甘えてくるのは、僕のことしか知らないから、なのかもしれない……)

(外の世界を、知らないから……)


 一度その考えが浮かんでしまうと、もうダメだった。その黒い煙のような疑念は、払っても払っても払い切れず、またじわじわと四方へと拡がっては頭の中に嫌な匂いを充満させてくるのだった。


「……」


 気がつくと、✕✕もまた食べるのを止め、見上げるように僕を見つめていた。僕は、この子のその無垢な瞳の中に、本当に混じりけが無いかを探るように凝視した。……わからない。僕はケージを開けてこの子を抱き上げると、頬を寄せて抱きしめた。


 ***


 次の週末。僕は釣りの予定を変更して、山へとやって来た。この子を連れて。確かめてみたいことがあった。

 車を降りて少し歩くと、開けた場所に出た。✕✕を入れたバッグを下ろし、予め着せておいた散歩用のベストにリードを付け、地面に放す。

 ✕✕はしばらくはその新しい環境に警戒してじっとしていたが、やがて初めて嗅ぐ自然の匂いに興味津々といった様子で鼻をフンフンさせ始めると、周りに生える草花を食べたり、フンをしたりと、少しずつ行動範囲を拡げていった。僕はその様子をリードの先に見守っていた。


 ……やっぱり動物には、自然がとても似合う。自然の中のこの子は、格別かわいく見える。

 

「✕✕」


 名前を呼ぶと、振り向いて、僕の方へ寄ってきた。僕はよしよし、と頭を撫でた。指に挟んだお耳を何度か優しく揉んでは、指の間からぴょこんと飛び出るその愛らしい感触を確かめた。

「……」

 背中を撫でた。その滑らかな毛並みを確かめるように、手のひらをゆっくりと滑らせて。

 もう一度。今度は尻尾の先まで。

「…………」


「✕✕」

 名前を呼ぶと、僕の顔を見た。


 僕はもう一度優しく頭を撫でてから、✕✕に着せたベストからリードを外した。

「少しお散歩しておいで」

 そう言ってお尻をちょん、と押してやると、少し前に跳ねてから、気にするように振り返って僕を見た。

「遊んでいいよ」


 少しの間、1メートルほどの範囲で先程と同じようにフンフンと周囲の様子を確かめていた✕✕だったが、やがて少しずつ行動範囲を拡げていった。

 時折、振り返り、僕を見ては、また少しだけ進む。そうやって少しずつ、少しずつ……。

「……」


(僕は、確かめてみたいんだ)

(君は、僕しか知らないから、僕を追いかけてくるのか?)

(もし他の世界を知ったら、僕を置いていってしまうのだろうか?)


 少しずつ、少しずつ。小さくなり、生い茂る草陰に隠れていく、✕✕。今や3メートルほど離れ、✕✕が動く度、草間からチラチラとその灰色の身体が見え隠れするだけだ。いつの間にか辺りも暗くなり始め、✕✕が動きを止めれば、完全に草陰に紛れて見失ってしまいそうだ……。

「…………」


「✕✕!」

 僕はたまらず名前を呼んだ。

 振り向いてくれた。ほっとした。

 少し声が大きくなってしまったせいか、あの子はびくっとしたようだった。


(怖がらせてしまった。ごめんね)


 もう本当のことなんてどうだって構わない。

 僕はこの子が好きなんだ! 僕のそばにいておくれ……!


 僕はあの子の元へ走り寄ろうと、足を前に出した。

 あの子はその場にじっとして、僕が来るのを待っていた。


 しかし予定外のことが起こった。僕があの子の元へ駆け寄り切る前に、犬ほどの大きさの黒い影があの子目掛けて飛び掛かったのだ。


「キイイイイーーーーッ!」

 瞬間、悲鳴が上がった。僕の心臓はまるで借金取りにドアを蹴り上げられたのかというほどの激しさでバクン!と跳ねた。背筋が震え、脇に冷たい汗がつーっと垂れる。

 あの子は声帯を持たない種類の動物だ、声なんぞ出るわけがない……!

 しかし一度だけ、僕は同じ動物の鳴き声を聞いたことがあった。苦しんで死ぬ時の断末魔だ。声帯を持たない動物ではあるが、死に際、死に方によっては、どういう原理だかわからないが、声帯からではない悲鳴を上げるらしいことを僕は知っていた。

 僕の胸の借金取りは、繰り返し激しくドアを蹴り続けていた。バクバクバクバク! 


 僕は息を殺して、あの子のいた茂みの中へと目を凝らした。黒い影は既に消えていた。あの子も。周囲に注意深く目を配りながら恐る恐る茂みへと忍び寄ると、辺りに少量の血のようなものが撥ねていた。

 僕は嫌な汗がじんわりと浮かんでは少しずつまとまりながら落ちていくのを絶え間なく感じていた。激しい動悸も続いていた。ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、と小刻みに素早く、小さな息を吸って吐いていた。


「あああああ!」

 僕はあの子の消えた地面に膝を落とし、一度だけ拳を叩きつけると、そのまま突っ伏して声を上げた。


 ***


 あれからひと月経った。

 リビングにはあの子の写真を飾ることにした。あの時の葉っぱを挟んだものを。

 あの日、あの子の血の付いた葉っぱを、お骨代わりに持ち帰ってきたんだ。少し怖い気もするけど、しかたない。他に何も残ってはいなかったのだから。僕はあの子の、何も忘れたくないんだ。


 ……だけど辛い。ペットロスというヤツだ。何度同じ思いをしても慣れる気がしない。

 毎日あの子のぬくもりを、かわいいお耳の感触を、滑らかな毛並みを。思い出しては涙が浮かんできてしまう。……でも、前を向かなくてはね。


 ……だから僕は、次の子を招き入れることにしたよ。

 また同じ種類の。色も同じで。あの子の面影を感じたいから。

 名前も同じものをつけたよ。だって、あの子のことがとても大好きだったから。

 

 ……でもね、少しだけ考えてしまうことがあるんだ。襲われる直前のこと。

 最後に呼びかけた時、あの子は確かに、僕を振り返った。あの子は山の中に放されて、自由になったというのに、それでもなお、僕のことを気にしていたんだ。僕たちの間には確かに絆があったんだ。

 ……多分。もしかすると大声にびっくりして、振り返っただけだったのかもしれないけれど……。


 ……そう、はっきりは、わからなかった……。


 だから、この子がもう少し大きくなったら、また試してみようと思う。

 ……ふふ、この子はまだ赤ちゃんだから、フワフワの産毛で、とってもかわいい。

 あの子達もそうだった。今度こそ邪魔が入らず上手く行くといいんだけど。


「ねぇ? ✕✕」

 僕は新しいこの子を優しく撫でながら、リビングに並ぶ2つの写真立てを眺めた。





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ほんのりミステリー仕立てにしています。気づいていただけたら嬉しいです。

またこの作品は、過去に別名義で公開していたものを加筆修正したものです。

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