第3話汚濁の都、氷焔の裁き

 「もしできることなら、あるいはもう一度選択をやり直せるのなら――俺はあの二人を連れて、聖都の収容所へ戻ることはなかっただろう」




 時間は現在へと戻る。外区の天は白み始めたばかりだ。木屋の外からは積雪が滑り落ちる音が聞こえる。エルフの少女は既に目覚め、ベッドの脇で人間の少年の額にある傷口を、壊れ物を扱うように丁寧に拭っていた。窓の隙間から漏れる陽光が彼女の浅緑色の瞳に落ち、まるで清らかな泉を湛えているかのようだ。俺の視線に気づくと、彼女の指先が止まり、耳の先が淡い粉色に染まった。 「おじさん、今日は……どこへ行くの?」




 答える間もなく、門外から激しいノックの音と、灰色の法衣を着た男たちの怒鳴り声が響いた。





「中に誰かいるか! 教会の収容所が熱粥と防寒着を配っているぞ、子供連れが優先だ!」

 




 その声には聞き覚えがある。昨日、中層と外区の境界で見た、あの男たちだ。





 「開けるな」




 俺は沈んだ声で言い、傍らの断刀を握りしめた。クレアの警告が耳にこびりついている。収容所の汚濁は、表面的なものなどでは決してない。




 しかし、ノックは激しさを増し、蛮横な衝撃が扉を揺らす。「開けろ! お前たちのための善意だ! 開けないなら巡邏兵を呼ぶぞ!」  少年は怯えて首をすくめ、エルフの少女も唇をきつく噛みしめた。その瞳には不安が満ちている。




 俺は門隙から外を覗いた。三人の灰衣が立っている。先頭の男は陰険な目をし、木屋の門を蛇のように粘りつく視線で凝視していた。周囲でも同じ灰衣たちが家々を叩き、「熱粥」という誘惑に釣られた流民たちが子供を連れて収容所へと歩いていく。




「おじさん、彼ら……熱粥があるって」  




 少年の声には渇望が混じっていた。荒野での食事は、凍った干し肉か野果だけだったからだ。少女も俺を見た。迷いながらも、彼女は言った。



 

「もし危ないなら、行かない」




 その時、路地裏から悲鳴が上がった。衣衫をボロボロにした婦人が子供を抱いて拒んでいたが、灰衣たちに無慈悲に引きずられ、蹴り飛ばされた。




「この恩知らずが! 収容所に入れと言っているんだ!」




 俺の眼底で幽藍の氷焔が燃え上がった。踏み出そうとした瞬間、エルフの少女が俺の袖を掴んだ。その瞳は驚愕に震えていた。




「おじさん、私、あの人たちを知ってる……。荒野で私を攫ったオークたちと、彼らは『取引』をしていたわ!」




 その言葉は、雷のように俺を打った。




「あいつらは……エルフを獣人に売り飛ばして、糧食や武器に変えているの。私はアールヴ・ヘイムの貴族、エルフの街の王女なの。あの日、街が襲撃されたのは、この灰衣たちが手引きをしたから。彼らは私を攫ってオークに売ろうとした……私は隙を見て逃げ出したの」




 アールヴ・ヘイム。伝説に謳われるエルフたちの聖域が、この汚物どもの手によって蹂躙された。俺は全てを理解した。なぜ彼女がこれほど精緻な容姿を持ち、なぜ獣人が彼女を狙ったのか。




 「この汚物ども、獣人との取引だけでは飽き足らんか?」




 昨日の彼らの視線を思い出す。あれは流民を見る目ではない。「商品」を品定めする、卑劣な商人の目だ。




 門外の男たちは耐えきれず、激しく扉を体当たりで叩き始めた。

 



「ぶち壊せ! 中に隠しているガキがいるはずだ!」




「お前たちは先に行け!」




 俺は二人を窓へと促した。




 「ここを飛び降りて、救済所のクレアのもとへ走れ。彼女が守ってくれる」

 



 「おじさんは!?」

 



 少女は俺の衣を掴んで離そうとしない。俺は彼女の細い手の上に手を置き、その繊細な肌の感触を感じながら言った。




 「すぐに追う」




 彼女たちが窓から飛び降りた瞬間、扉が崩落した。三人の灰衣がなだれ込み、空のベッドを見て吠えた。「ガキはどこだ! 追え! 逃がすな!」




 俺は窓の前に立ち塞がり、断刀を抜いた。幽藍の霜が刃を包み、温度が氷点下へと叩き落とされる。 「貴様らが探しているのは、俺のことか?」




 男たちは俺の眼底の氷焔と、背中から漏れる蓮紋の光に凍りついた。 「貴様、昨日の……!」




 俺は側身で最初の一撃をかわし、断刀を一閃させた。幽藍の刀気が男の喉を切り裂く。悲鳴を上げる暇もなく、彼の体は氷像となり、音を立てて崩れ落ちた。残りの二人は足首を凍らされ、無様に転倒して命乞いを始めた。




「収容所の中で、どんな汚濁を隠している。吐け」  

 



 刀尖を男の喉に突き立てる。




 「言う! 言うから! ……収容所なんてただの建前だ! 俺たちは上層の貴族に仕えているんだ! 子供たちを騙して連れ込み、普通の奴は鉱山へ売る。器量のいいガキは、男も女も関係なく、中層の**「月下の隠れ庭げっかのかくれにわ」へぶち込むんだ! あそこは地獄だ、数ヶ月で壊れて野犬の餌になる!」




 男は汚らわしい嗚咽を漏らしながら続けた。


 


「……極上品は、上層貴族の私邸へ送る。あいつらは、まだ成長しきっていないガキを弄ぶのが趣味なんだ! 散々楽しみ尽くして、最後は『浄化』と称して残忍なやり方でなぶり殺す。それが奴らの嗜好なんだ!」




「アールヴ・ヘイムの件も、貴族の指図か」




「そうだ! エルフの純潔を欲しがる変態どもがいるんだ! 俺たちが手引きをして、獣人に掠め取らせたガキを買い取る。熱粥も防寒着も、全部ガキをおびき出すための餌なんだよ!」




 俺の心底の冷たさが爆発した。北境の吹雪よりも鋭く、痛烈な怒り。これが聖都の「希望」か。上層の繁栄は、子供たちの血と骸の上に築かれた砂上の楼閣だったのだ。




「騙された子供たちは、どこにいる」




「収容所の地下室だ! そこから貴族の館へ続く密道がある!」




 俺は迷わず断刀を振り下ろし、汚物どもの命を断った。温かい返り血が重甲に飛び散り、一瞬で凍りついて赤黒い氷となる。




 俺は木屋を飛び出し、収容所へと向かった。  脳裏には少女の浅緑色の瞳と、少年の怯えた顔が焼き付いている。そして、月下の隠れ庭で絶望する子供たちの叫びが。




「アールヴ・ヘイムの怨念、そして踏みにじられた全ての命のために……」




 断刀が震える。背中の蓮紋が、かつてない熱を帯びて咆哮していた。この戦い、退く道はない。華やかな邸宅に隠れた変態どもの渣滓かすを、この世の光の下で引き裂いてやる。俺は幽藍の焔を燃やし、一歩、また一歩と、地獄の蓋を開けに向かった。

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