第2話

 その少し前。


 ジーナの家の中は、妙に静かだった。

 通りを行き交う足音も、遠くの鍛冶場の金属音も、隣家の笑い声も聞こえてくる。


 けれど、この部屋だけが、世界から切り離されたように動かない。


 ジーナは床の上に横たわったまま、天井の梁を見つめていた。木目の割れ目に溜まった埃。黒ずんだ染み。かつて雨が染み込んだ跡。

 どれも見慣れたはずの光景なのに、今日はやけに生々しい。


 喉が渇いている。地面に転がっている酒瓶の残りを流し込むと、胃の奥が、鈍く、粘つくように痛んだ。


 だがそれは、酒のせいじゃない。


 もっとたちの悪い──現実のせいだ。


 ジーナはゆっくりと身を起こした。軋む音がやけに大きく聞こえる。床が古いのか、自分が重いのか、考えたくもない。


 机の上に積まれた紙束が、視界に入る。

 ひときわ色の濃い封。赤い縁取り。公的書類の形式ばった文言。最後に届いたものには、“届いたら必ず開封せよ”と、赤字で太く書いてある。


 ──魔導師育成支援制度 監査通知


 ジーナはそこから視線を逸らす。


 ……もう一回見たら、なくなっていたりしないか。

 

 ジーナはゆっくり視線を戻すが、もちろん紙束は消えない。


 魔導師育成支援制度。

 才能ある魔導師に資金を出し、私塾を開かせ、若い世代を育てるという、国が掲げた制度だ。

 その実態は、軍力の底上げと将来への投資。


 ジーナはそこに名前を連ねた。

 書類は整えた。戦歴は問題無い。愛想は良い方だ、面接は余裕のパス。必要なことは全部やった。


 そして、国から金を受け取った。

 初めはやる気だった。若い奴をいっちょ仕込んでやるか!という気分だった。


 だが、手渡された金を見て驚いた。

 傭兵稼業で、大きい仕事をやり遂げた時ほどの金だったのだ。


 さて……その金は今どこにあるか。


 ジーナは視線を足元に落とす。

 空の酒瓶。ピカピカの靴。王都で流行っている服。宝石。すべてこれらに変わった。


 おまけに、壁際には飲み屋のツケの札が山積みだ。


 ここには、私塾と呼べるような設備はどこにもない。弟子の姿もない。成果なんて影も形もない。


 あるのは、初めに作った看板だけだ。やけに新しくて、やけに立派な、中身のない看板だけ。


「へへ……やっちまったな」


 本当は分かっている。これは“やっちまった”で済む話じゃない。


 のらりくらりとかわしてきたが、次の監査で、確実に表に出る。


 不正受給。詐欺。逮捕。


 路地燕のジーナが、詐欺師として名前を残す。

 それだけは絶対に避けなければならない。


 今の名声は、ジーナが自分の力だけで積み上げてきたものだ。下町の路地を飛び出してから、魔獣を倒し、戦場をきり抜け、生き残って、ようやく掴んだのだ。絶対に手放したくない。


 ジーナは机に肘をつき、額を押さえた。

 考えろ。逃げ道を探せ。


 誤魔化す方法、誤魔化す方法、誤魔化す方法……


 思考が粘つく。焦りが喉に絡む。苛立ちから、こつこつと指が机を叩くのを止められない。


 そのとき、窓の向こうから声が聞こえた。


「今日だよな!」

「そうそう、魔孔開き」

「うちの子は来年だ。いい所に開けばいいが」


 ジーナの指が止まり、視線がゆっくり上がる。

 窓の向こうを人影が通り過ぎて行った。


 記憶が静かに繋がる。


 ──今日か。

 年に一度。十五になった子供たちが集められ、魔孔を開かれる日。


 そして同時に、狩りの日でもある。

 神殿には軍も、私塾も、貴族の名代すら集まり、才能という名の獲物を奪い合う日。


 ジーナは顎に指を当てた。頭の中が回り始める。


 当たりの魔孔はすぐに囲われていくだろう。金とコネのある連中が先に手を出す。


 だが──はずれなら?


 誰も欲しがらない位置に開いた魔孔。誰も見向きもしない才能。そこにつけ込めばどうだ?


 弟子が一人でもいれば報告書は書けるのだ。


 監査も通るだろう。それだけで時間は稼げる。つまり、首は繋がる。

 ジーナの口元がわずかに歪む。笑いにもため息にも見える表情だった。


「……いっちょ行ってみるか」


 そこに思いやりはない。同情もない。

 あるのは打算だけ。

 

 ジーナは外套を掴み、戦友である箒に手を伸ばす。

 戸を開けると、朝の光が刺さった。

 眩しさに目を細めながら、ジーナは小さく呟いた。


「絶対拾ってこなきゃ」



 神殿の近くまで飛ぶと、そこにはいつもの静けさは無かった。

 にぎわう人々が溢れ、空気そのものがざわめいているのが遠くからでも分かる。


 ジーナは神殿の真上で高度を取った。

 周りには他の私塾の魔法使いもおり、中央の円壇を見下ろしている。


 そこでは丁度名前が呼ばれ、子供が立ち上がって中央へ歩いていくところだった。神官の手から光が走る。


「ゴルド・ハインの魔孔、肩。肩門」


 歓声と拍手に包まれる。そして、軍人、私塾、貴族がこぞってアピールしている。


 ジーナは小さく舌打ちした。やっぱり、珍しい魔孔持ちを引っ張るのは無理だ。


 ジーナには才能があり、名声もあるが、それでも貴族や王国軍、有名私塾と比べられたら分が悪い。


 もちろん、それに混じってスカウトに行くのはアリだ。ジーナもそれなりに名を知られているので、私塾に入りたい者もいるかもしれない。


 だが、ジーナは格好つけの傲慢ちきだった。


 自分から誘ってガキに断られたら癪だし、なによりダサい。


 そんな悠長な事を言っていられる状況ではないのに、ジーナはそう考えていた。

 

 次々と子供が呼ばれ、魔孔が開かれるが、今年は豊作だった。ハズレの魔孔はいない。


 そもそも、魔孔のほとんどが手か脚に開くのだ。ハズレなんてそうそう出るものではない。しかし、それでは困るのだ。


「頼むよぉ……ハズレの魔孔、出てくれぇ……!」


 ジーナが人の運命を蔑ろにする願いを口にした時、また新たな子供の名前が呼ばれ、少年が前に出る。


 神官が魔孔開きの呪文を唱える。

 そして、ざわり、と空気が揺れた。


 尻の中心に淡く光る魔孔。


「シリウス・グレイ。魔孔開きの結果は……ぷっ、くく……失敬……尻だ。肛門だ」


 神殿は爆笑の渦に包まれた。


「くく。尻の穴に魔孔が開いただって?悲惨だな。いくらハズレといっても、さすがに尻の穴の魔孔を弟子にするのは……待てよ?」


 ジーナは一瞬だけ考えた。


 魔力は腹の魔臓器を通って、魔孔から放出される。

 その位置が遠ければ遠いほど、変換効率が落ちて、魔力が弱まる。


 つまり、魔孔が下腹に近ければ近いほど、強い魔力が出せるのだ。


 自分の魔孔は内ももにある。

 そこに箒を挟んで強力な魔力を流し込んで速さを担保し、努力で制御を身に着けた。そして自在に空を駆け、戦場で名を挙げてきた。

 

 そう考えれば、尻穴の魔孔の推進力は考えるまでもなく合格だろう。魔臓器と魔孔の位置が近いと制御は難しい。それに制御方法は感覚に依るから教えるのは難しいが……内ももと尻の穴は位置が近い。感覚も近いかも知れない。


 つまり、自分と同じ修行をさせれば、育成も簡単で、それなりのになるのでは?


「……よっしゃ」


 まるで根拠の無い空論。だが、追い詰められたジーナが行動を起こすには、それだけで十分だった。


 私塾なんざ所詮人気商売──というのがジーナの持論だ。


「登場は派手にしなきゃならん」


 ジーナは太ももの魔孔から、魔力を箒に流し込んだ。

 そして一気に高度を下げる。風切り音が神殿の空気を裂く。宙返り、超低空飛行、水平移動の超絶箒テクニックを猛烈なスピードで行った。


 「神殿内での箒飛行は禁止だぞ!!」


 神官が騒ぎ出したので、一気にクライマックスだ。

 思い切り魔力を逆噴射して、地面に降り立った。


 ──くぅぅ。決まった。


 自分でも惚れ惚れする箒のテクニックを見せつけてやった、とジーナは満足だった。だが油断は禁物だ。       


 ジーナはキメ顔を作り、尻穴小僧だけを見つめて、あたかも「こいつを狙って来ました」というアピールをする。


「……燕だ」

「……路地燕のジーナ!」


 周りからは、ジーナを二つ名と共に呼ぶ声が響く。

 完璧なタイミングだった。ジーナは観覧席に感謝する。


「──あんた。私の私塾に来な」


 ジーナの声に、神殿には大きなざわめきが広がる。


「魔孔は尻だぞ?」

「正気か?」

「目立ちたいだけだ」


 そんな声も、ジーナの予定通りだった。


「外野は黙りな!下賤だと言われた、内ももの魔孔で名を挙げた私が言ってんだよ」


 ジーナは自分の太ももを指さした。

 最近怠けていたから少し増えた肉が気になるけど、まあいいだろう。


 少年は、潤んだ瞳でジーナを見ていた。


 当然だろう。尻穴の魔孔なんて、他から声はかからんぞ?私がお前の救世主だ。頷け、頷け頷け頷け頷け頷け頼む!!!


 ジーナは表情を変えず、心の中で叫んだ。


「行きます」


 少年は即答した。


 よーしよし、あっぶね、これで助かった!!!


 ジーナは大笑いしたくなる衝動を抑えきれず、口の端が上がってしまう。


 気を良くしたジーナは、最後にカッコいいセリフを言って締める事にした。


「決まり。あんたに空をみせたげる」


 神殿に風が吹き込み、ひゅうと音を立てて髪を揺らした。


 決まった……。最高のタイミングで風まで吹いた。

 ジーナはようやく満面の笑みを零した。



 この時ジーナは、自分の為に少年を拾ったつもりでいた。少年は救われた気でいた……


 だが、幸運なのはどちらだったのか。

 この先、2人を待ち受ける運命とは。


 その答えが出るのは、もう少し先だ。

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尻の穴に魔孔が開いた俺、クズ師匠に拾われて最速の箒乗りを目指します こゆるぎあたる @nkatsuataru

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