第6話 【仕様変更】没になった文学少女のルートを、俺が強制解放する

「……『君が読んでるその本、芥川あくたがわだろ?』」


 俺は震える声で、その言葉を紡いだ。

 それは、琴葉と西谷が初めて出会うはずだったシーンの台詞。


 琴葉の動きが、ぴたっと止まった。


「『蜜柑みかん。君の不可解で、退屈な人生を、鮮やかな色を見るように忘れさせたい』」

「……え?」


 琴葉の瞳から、少しずつノイズが消えていく。


西谷均あいつの元になんて、行かなくていい」

 それは、この世界には実装されていないはずのシナリオで、俺の頭の中にしかない、琴葉とのオリジナルストーリーだった。


「どうして……その言葉を……?」

「俺が書いたからだ」


 俺は琴葉の冷たい手を、傷みやすい果実を手に取るかのように、優しく包み込んだ。


「深夜の開発室で、クソみたいなデスマーチの中で……お前を書くことだけが、俺にとっての『蜜柑』だったんだ」


 予算がなくて、琴葉にはちゃんとした見せ場も、専用のイベント絵も用意してやれなかった。


 だからせめて、言葉だけは。


 煙のように灰色の現実で、俺が琴葉に描いてやれる唯一の『色彩』だった。


 誰にも読まれないかもしれない。また批判や酷評ばかりかもしれない。


 それでも、あの一瞬の鮮烈な暖かさだけを信じて、琴葉のために、キーボードを叩き続けたんだ。


「そんな想いで、何万文字も費やして、琴葉のための物語を用意した。……西谷になんて任せておけないから、俺が直接言いに来ちゃったんだ」


「西谷は来ない。でも、その言葉の主なら、ここにいる」


 琴葉の瞳が、大きく見開かれる。


 その瞳の中で、『西谷均』という理想が剥がれ落ち、目の前にいる『佐藤モブ』の姿が、はっきりと顕在していく。


「お前を苦しめている『約束』は、俺が書きかえる。俺なら絶対に、お前をバグらせたりなんかしない」


 俺は真っ直ぐに、琴葉を見据えた。


「だから、仕様変更だ。文野森琴葉」


 ──分岐ルートの主人公を、【西谷均】から、【佐藤】へ。


「俺のヒロインになってくれ。絶対に、ハッピーエンドにしてやるから」


 一瞬の静寂。

 そして。


「……バカ」


 琴葉の美しい瞳から、再び涙が溢れ出した。


 綺麗な顔を伝うのと同時に、周囲に発生していた不快なノイズが、光の粒子となって霧散していく。


「無茶苦茶だよ……そんなの、仕様にない……」

「仕様外でも構わない。俺がハッピーエンドに改変してみせる」

「……ふふ、あはは」


 琴葉が泣き笑いのような表情で、俺の手を握り返す。


 温かかった。さっきまでの希薄さが嘘のように、確かな体温が戻っている。


 それはまるで、灰色の景色に降り注ぐ、鮮やかな蜜柑色のように。


【システム通知:キャラクター『文野森琴葉』の致命的なエラーが解消されました】


【ルートが変更されました:Sub_Route ⇒ Sato_Route】


 ピコーンという軽やかなSEが鳴った。


 それと同時に、琴葉の膝の上に置かれていた『分厚い本』が、ぱらぱらと捲られていく。


「……佐藤くん」


 涙を拭った琴葉が、その本を見つめながら呟く。


「この本……『Master_Dialog.sys』のページ」


 琴葉が本を開いて見せる。

 そこには、今まで白紙だったページに、びっしりと文章が浮かび上がっていた。


 だが、そのほとんどが黒く塗りつぶされ、かろうじて読める部分にも『#』の記号が付けられている。


「この世界には、もっとたくさんの優しい物語があったんだね」


 琴葉が分厚い本を胸に抱いた。


「読めなくなってるものも、たくさん……」


 黒塗りの文章を琴葉が指でなぞった。


 それは、開発中にプロデューサーによってオミットされたり、マスターアップ前に封印された俺のシナリオたちだ。


 琴葉が、その中の一行を指差す。


『####図書室の窓際。ここで琴葉は主人公と初めて笑い合い、閉ざしていた心を開く(好感度上昇)』


 淡い緑色に光るその文字は、今のこの世界では読まれないスクリプトとして眠っている。


「あそこで、私と……話してくれる?」


 琴葉が、何かを確かめるかのように俺を見上げる。そこにはもう、バグりかけていた少女なんていない。


 俺が設定資料に書き込んだ通りの、ちょっと内気で、俺の愛したヒロインがいた。


「西谷くんじゃなくて。……佐藤くんと、あそこで話がしたい」


 それは、琴葉からのお願いであり、俺にとっては初めての『攻略』だった。


「もちろんだ。俺だって琴葉と話したいことがたくさんある」


 俺は頷き、琴葉の手を引いて窓際へと歩き出す。


「こうやって一つずつ変えてやる。目の前で泣いているヒロインの姿なんて、俺は見たくないからな」

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