第4話 恩人と、兄への眼差し

 そんな私の「二度目の人生」を支え、白石家の日常を切り盛りしていたのが、家政婦の妙子(たえこ)さんだった。


 父の慎司は総合病院の外科統括部長として、母の仁美は大学准教授として、共に多忙を極める身。急な緊急手術や深夜に及ぶ研究で家を空けることも多い。そんな両親に代わり、まだ言葉も喋れず、前世の記憶との整合性に苦しんでいた私のオムツを替え、最適な温度の離乳食を運び、両親が不在の夜には温かな胸の中で子守唄を歌ってくれたのが妙子さんだった。


 前世で独身を貫き、孤独死の恐怖と隣り合わせだった私にとって、妙子さんの掌は、この新しい人生が幻ではないことを教えてくれる唯一の救いだった。


 そしてもう一人、私の心の拠り所は、五歳年上の兄・恒一(こういち)だった。


「玲奈、おはよ。今日もいい子にしてたか? ほら、お土産のどんぐりだぞ」


 学校から帰宅した恒一が、真っ先に私の頭を撫でてくれる。彼は白石家の長男としての期待を背負い、毎日を必死に生きていた。


 彼は、私のような「ズル」をしていない。彼は天才ではなく、一人の等身大の少年だった。夕食後のリビング、恒一は毎日、山のような塾のテキストと格闘し、何度も何度も消しゴムでノートを真っ白にしていた。眉間に深い皺を寄せ、悔しさで目を潤ませながら、それでも投げ出さずに鉛筆を動かし続けるその背中。


(お兄ちゃん、頑張ってるなあ。本当に、すごいなあ……)


 前世の私には、あんなふうに何かに必死になる根性はなかった。壁にぶつかれば「才能がない」と逃げるだけ。だからこそ、泥臭く壁を乗り越えようとする兄の姿が、私には尊く見えたのだ。


 二歳の頃。恒一が難解な図形問題で立ち往生していた時、私の目には「正解」が見えてしまった。脳が、彼が試行錯誤した痕跡をスキャンし、図形の上に唯一無二の補助線を光の線として投影してしまったのだ。


「……おにいちゃん、これ。しゅーって、ひくんだよ」


 私はよちよちと歩み寄り、彼が放り出した鉛筆を拾い上げた。ぷにぷにとした柔らかな指先。しかし、その動きには一寸の迷いもない。私はノートの上に、正確無比な直線を一本引いた。


「……えっ? あ、あああ! 解けた! 玲奈、お前……天才かよ!」


(……ごめん、お兄ちゃん。俺の脳が、勝手に『答え』を出しちゃっただけなんだ。お兄ちゃんみたいに、苦しみながら考え続けられることこそが、本当の才能なんだよ)


 私は、賞賛を受けるのが怖かった。自分がズルをしているような後ろめたさ。私はただ、大好きな兄や妙子さんが、笑顔になってくれるだけでいい。このスペックを、自分の野心のために使うつもりは、さらさらなかったのだ。

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