第33話


 ローブの魔法使いたちが一人、また一人とその場から消えた。

 誰もエリーザベトに、ましてやソフィアに目もくれなかった。


「……妹に昏倒魔法をかけられて眠っていました。あの団体が俺を迎えに来て、こう言いました」

 涙の絡んだ声でレオポルドは言う。

 眼鏡を上げることなどもう考えもしないひどい風体で、ぼろぼろと崩れるユリアナを抱きしめながらマティアスを見上げる。


「お前にも魔力はあるようだから、仲間に入れてやると。妹はもう、禁術と魔道具の酷使により身体がもたないだろうから後釜にしてやると……言いました。俺は申し出を受けようと思います。奴らの内部に侵入して情報を集めます。司令官にそのように申し上げてくださいませんか、若様」

「わかった」

 レオポルドは呆然と泉を眺める。

 滂沱の涙が顎まで滴っていた。


「俺は殴ってくる養父を殴り返して家を飛び出ました。一人だけ残された妹がその先どんな目にあうかなんて考えもしないで。女の子だから、可愛い子だから可愛がられるだろうと思ったのです」

 よろよろと、彼は立ち上がった。

 両腕の間からユリアナだったものが零れ落ち――ソフィアがこれを見ていなくてよかったとエリーザベトは心から思った。


 静かな一礼をして、レオポルドは歩いていった。

 森の外へ。

 ふらふらと。


「レオポルド」

 去っていく彼の背中にマティアスは声をかける。

 レオポルドは顔だけで振り向いた。


「お前と共に育つことができて、よかった」

 眼鏡の奥、彼の赤い目がわずかに見開かれる。

 彼は立ち去り、 マティアスとエリーザベトはソフィアの元へ急いだ。

 そしてそれが彼らの永遠の別れとなった。


 ***



「もうパパのおうちについたの?」

 ソフィアは足をぷらぷらさせてエリーザベトを見上げる。


「まだ? もう? つくのいつ?」

 その膝の上でもみくちゃにされているのは六歳のサラがくれたウサギのぬいぐるみ。

 それをなくさないようにとモニカが革紐で首から下げる抱っこ紐を作ってくれた。

 ソフィアの服はエリーザベトに内緒でジュリエットが縫ってくれたワンピース。


 修道院に戻ったエリーザベトたちは修道女見習いたちに泣かれてしまった。

 旅支度を整えルスヴィアへ発つまでの短い間、彼女たちはソフィアを猫かわいがりした。


 お別れの日、彼女たちは互いに長いこと抱き合って、そしてエリーザベトはマティアスが用意してくれた馬車に乗り込んだ。

 ソフィアは修道院から永遠に離れることを理解できているのか、いないのか。

 ばいばいと元気に手を振ってみんなと別れたあと、二時間ほどして急に泣き出したことは確かだった。


 それから寝て起きて、宿に泊まるときは外に出て、そのうちソフィアはすっかり馬車旅に飽きて、今はこのように質問責めである。

 エリーザベトは自分と同じ色の娘の髪を柔らかく撫で、額にかかる前髪をかき上げてやる。


 街道が思った以上に混雑していたので、マティアスが雇った馬車はそれほど速く進めなかった。


 馬車の座席は柔らかく、ソフィアが寝転がれるだけの十分な広さがある。

 馬車の外を進む騎士たちと騎乗した夫の声。

 鳥の鳴き声、人の喧噪、慣れないがたごとした道。


 膝の上に頭を乗せてくるソフィアが落ちないように支えながら、まるで嫁入りの旅の再現のようだ、とエリーザベトは思った。


 コンコン、と窓がノックされて、カーテンを開くとマティアスが軍馬から身を乗り出している。

 エリーザベトは窓を開いた。


「大丈夫か、エリーザベト? ソフィアは?」

「大丈夫。ちょっと退屈しきっているだけよ」

 新鮮な風が入ってきたのでソフィアは頭を上げた。

 にこにこ笑って小さな手で窓枠に取りつく。


「ねえまーあだ? なんでまだ?」

「飽きちゃったかい?」

「うん」

「もうすぐつくからね。ルスヴィアは俺の街だ。みんな優しい、いい街だよ。俺が一番安心できるところだからね」

「でも、なんでまだ?」

 マティアスは苦笑した。

 その向こうからルスヴィアの騎士たちが交互に馬車の中を覗き込んでは、シュヴァルツェン家の若奥様とお嬢様に笑いかけている。


「じゃあ、頼むよ」

「ええ」

「ねえパパあー。まだー?」

 やれやれ。

 エリーザベトはもうしばらく小さな娘に我慢しなければならないらしい。


 しかしマティアスとソフィアの夏の空の青い目に見つめられるとどうやら自分は何も言えなくなるようだ、と彼女は気づきつつある。

 ころんころん埃を立てる娘を怒る気にはなれなかった。


 何度かの小休憩を挟みつつ旅は進んだ。

 その間にもマティアスは伝書鳩や伝令で軍とやり取りをしていた。

 彼はあの団体と直接接触した生き証人だ。

 軍としても詳しい話を聞きたいらしかった。


 プロスティア王国とゼルフィア帝国の正式な講和会議の日が近づいていた。

 和解がなり、新しく獲得した領土が国中に正式に取り込まれれば、平和がやってくるはずだ。


 コンコンと馬車の窓がノックされ、カーテンを開けると女魔法使いのキャシーが微笑んでいる。


「そろそろ今日の宿につきます。降りる準備をお願いいたします」

「わかりました。ご苦労様ですわ」

 ほどなくして、そうなった。

 エリーザベトはソフィアを抱っこして馬車から降り、固まった筋肉をほぐした。

 ソフィアの小さな身体には、どうしてこんなに元気が詰まっているのだろう?

 もう夕方だというのに彼女は歓声をあげてマティアスに駆け寄り、騎士たちに懐きにいき、馬たちがまぐさを食べるのを眺めて楽しんでいる。


 ソフィアがみんなの小さな妹のように振る舞っているのを見て、エリーザベトは嬉しかった。


 迷惑にならないうちに娘を引き取り、宿に入った。

 宿は近隣で一番大きなもので、一階の食堂は暖炉の火と人いきれで空気がむっとするくらい混み合っていた。

 下女に二階の部屋に案内してもらい、寝台に腰かけるとどっと肩凝りした。

 馬車の進みが遅いので、旅路はとんでもなく遠く感じられる。

 ルスヴィアからレーレン修道院まで、ソフィアをお腹に抱えた自分が歩けたのが今となっては信じられない。


 床に降ろされた疲れ知らずのソフィアがさっそく部屋じゅうを探検して回るのを眺めながら、エリーザベトはポットのぬるま湯で顔と手を洗う。


 気づくと膝にソフィアが手をついていて、興奮した口調で矢継ぎ早に部屋での発見を語る。

 ときどき混じる幼児語はうまく聞き取れないが、エリーザベトは微笑んですべてに頷いて聞き入った。

 ソフィアの口から出るのならくしゃみでさえ愛しかった。


「ママ、ルスヴィア、どんなとこ?」

 唐突に話が切り替わり、ソフィアはつぶらな目であどけなく尋ねた。

 エリーザベトは考えながら口を開いた。


「とてもいいところよ。少し寒いけれど気持ちいい風が吹いて、街を見渡す丘の上におうちがあるの」

 答えながら、ソフィアが本当に知りたいのはルスヴィアのシュヴァルツェン家の屋敷がどんなふうで、使用人はどんな人たちなのかということなのだろうと思う。

 そしてたった一か月しかあの家にいなかったエリーザベトは、間違いなく自分の家なのにソフィアに答えられない。


「花がね、綺麗なところなの。花畑があって。大きな古い家だけれど、色々面白いものがたくさんあるわ。一緒に見て回りましょうね、ソフィア……」

「――市庁舎と広場はうちの先祖が建てた建物を再利用している」

 扉を開けて入ってきたマティアスの足取りは軽く優雅で、心の憂いが取れたように浮足立っていた。


「マティアス」

「パパー」

 ソフィアはエリーザベトの膝を降りてとことこ彼の元へ走っていく。


「おかえりー」

「ただいま。やあ、娘のお出迎えなんて嬉しいな。家に帰ったら毎日がこんなふうなんだろうなあ!」

 と脂下がるものだからエリーザベトは呆れた。

 小さな娘を抱え上げてぶんぶん振り回す彼は心から満足した、年若い父親の顔をしている。


「ルスヴィアのおうちではね、ソフィア。ソフィアは毎日お花畑で遊ぶんだ。公園にも、裏山にもいいところがいっぱいあるぞ。そのうち街の同い年の女の子たちと友達になって、街のあちこちを走り回って遊ぶようになるだろう」

 彼はソフィアごとどさりと寝台に腰かけた。

 エリーザベトはついつい手を伸ばし、彼のダークブラウンの髪の乱れを撫でつけた。


「ただいま、エリーザベト」

「おかえりなさい」

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