第27話

 


「あの女、言動が全部、最初からおかしかったです。若奥様が同情なさることじゃありません。誰かが道理を説くと動物みたいに威嚇して、下手すると魔法を撃ってくるので誰も何も言えなかったんです。顔がいいもんだから若い兵士の中にはのぼせあがるのもいました。狙いをつけられて、若様はそれでもよく耐えておられましたよ」

「その、布教活動をする団体は戦場で活躍していたの?」

 キャシーは苦笑いする。


「はい。プロスティアのような小国にとって、戦争は即総力戦ですから。タダで助けに来てくれた、弱いとはいえ魔法使いたちを無碍にできる者ではありませんでした。けれど若奥様、心配いりません。我が軍は彼らの構成員をあらかた調べ上げていますし、戦争で人心が動揺したときこそ変な主張も一時的に流行りますが、これからは平和と安定の時代です。あの女やその背後にいる奴らが何であろうと、これ以上シュヴァルツェン家の方々に害を及ぼすことはありませんよ」


「よかったわ。本当に」

 エリーザベトは心から言った。

 キャリーと目が合い、ふふっと笑うと女同士の連帯感が芽生えるのを感じた。

 キャシーのずけずけした物言いは自分を取り巻くものたちへの深い愛情からくるものだ。

 実家のメイドのノーマを思い出した。


「キャシーさん。夫のために怒ってくれてありがとう」

「いいえ」

 彼女は照れ臭そうに笑う。

 まろい頬のそばかすが月明かりに星のようだ。


「私たちルスヴィアの軍人は一枚岩です。あんな女にやられはしませんよ」

 馬はぱっかぱっかと並足を続け、修道院が見えればあっという間に門だった。

 暗黙の了解で、錠はかかっておらず門番もいなかった。


 エリーザベトとキャシーは互いに微笑みあって別れた。

 いつか、彼女ともっとじっくり話してみたいものだ。


(でも今日みたいに人の悪口で盛り上がるのはよくないわね。私がこうだとソフィアが真似してしまう)

 区画の抜け道を次々と抜け、自室に帰ってきたエリーザベトは足元もおぼつかない。

 今になってユリアナに感じた嫌悪感で足が震えた。


 寝台の上、ソフィアはすうすう眠っている。

 その愛らしい寝顔を見ているうちに気持ちが浄化されていくようだった。

 モニカの綺麗なドレスを脱いで椅子に広げてかけ、娘の横に滑り込んだときはすでに夜明けが近かった。

 少しだけ眠り、夢を見た。


 夏祭りの浮かれた空気が消えたあと。

 日常が始まり、避難民があらかた立ち去ったあとの修道院はこんなに静かだったかと思うほどの静寂に満ちている。

 ソフィアは顔見知りの子供たちがいなくなったことを残念がったが、エリーザベトはどこかほっとしている自分に気づいていた。


 マティアスから手紙が届いたのは三日後のことで、早ければ一週間以内に迎えに来るということだった。

 レオポルドの軍団脱退の後処理をし、ルスヴィア及び近隣の土地からやってきた残りの兵士たちが全員撤退できるまで支援するらしい。


 彼らが帰路に就いたあとを追うように、三人で家に帰ろうと手紙にはしたためられていた。

 エリーザベトはその小さな手紙の束を胸に抱え、コルセットに挟んで肌身離さず持ち歩くことにした。


 モニカとジュリエット、それから女たちは母子が修道院を離れることを言わずともわかっているようだった。

 もうすぐ七歳になる六歳のサラでさえそうなのだ。

 エリーザベトはこの小さく美しい箱庭を離れることが寂しかった。

 心優しい人たちだけで構成され、またそういう人がそのままに生きられる優しい楽園。


 マティアスの迎えを待つ時間は奇妙に遅かった。

 エリーザベトはそわそわして居ても立っても居られず、とうとう自分からすべきことを作ることにした。

 後片付けと引き換えに少しだけ竈を貸してもらえるよう台所女と交渉し、市場に向かう買い出し係におつかいをたのむ。


 昼下がりには大量のナッツとドライフルーツ、白砂糖が集まった。

 貯金は目に見えて減ったが気にならなかったあたり、エリーザベトの浮かれ具合は相当である。


 彼女は鼻歌を歌いながらキャラメルナッツを作り始めた。

 具材を刻み、砂糖を溶かし……最中何度もソフィアやサラが寄って来てはおこぼれを狙うので、まだ熱いのよ、だめだめ、と悲鳴を上げながら。


 戦争が始まる前、シュヴァルツェン家の台所で同じものを作った手順を思い出す。

 シュヴァルツェン家を思い出してももう悲しくなかった。


 ソフィアが足元をちょろちょろする。

 立ち去る予定の修道院の台所は湯気とキャラメルと太陽と、娘の匂いがした。


 四角い琺瑯容器に鍋の中身を流し込み、キャラメルが広がり、途端に端から冷えて固まる。

 ナッツとドライフルーツが均等に散らばるように木べらで平らに整えた。


 ソフィアが自分で椅子を引きだして、上に乗り、怒られないか母親を伺いながらキラキラしたキャラメルナッツを眺める。


 彼女がもうすぐ父親としてのマティアスと再会するのだと思うと、エリーザベトの心はキャラメルより熱くとろける。

 だがその中にはまだ修道院への執着があり、ここを旅立つことへの不安もある。


 心のどこかですべてを疑っている。

 そんなはずない、決してそうはならないと思いたいのに、また何かこれ以上のことが起こるのではないかと心配する自分が情けない。


 大丈夫、ソフィアはきっとすぐルスヴィアに馴染むだろう。

 マティアスだってすべてを思い出すだろう。

 すぐだ。

 すぐに、あるべき幸せの形に戻れる。

 それは間違いなく幸福なことだ。


「ママ、いいによいねえ」

 ソフィアは幸せそうに鼻をクンクンさせた。


「そうね、ソフィア。もうすぐ、冷めたら完成よ」

「ちょっとくだしゃい」

「冷めたらね?」

「うん」


 エリーザベトはソフィアに笑いかけた。台所の赤いレンガに囲まれて、白っぽい金髪を三つ編みにした娘が思慮深い目で母親を見つめた。幼い目に似合わないほど賢いまなざしだった。胸がどきりとするくらい。


「ママ、ハンスはソフィアのパパなの?」

「ソフィア」

 彼女がそこまで理解できているとは思わなかった。エリーザベトは木べらを桶の中の水に漬け、鍋も漬け、それから桶のふちに手をついて頭の中を整理した。

「誰に聞いたの?」

「誰にも聞かないの。ソフィア自分で考えた」

「そう。ソフィアは賢いわね」


 エリーザベトは娘を抱きしめる。椅子の上に座り込んだ娘は彼女の腹に鼻先を擦りつけた。小さな頭。小さな身体。小さな手がエプロンの紐をぎゅうっと引っ張る。

 彼女はソフィアの目を覗き込んだ。夏の澄み切った空が複雑な青色で彼女を見返した。

「あの人はソフィアのパパで、ほんとの名前はマティアスというの。ごめんね、もっと早くに言えばよかった。私たちはこれからパパのおうちに引っ越すのよ。それから三人で暮らすの」


 娘の目が丸くなった。

「三人ぽっちで、暮らしゅの?」


 エリーザベトは笑い出しそうになりながら頷いた。修道院の集団生活に慣れた娘には、確かにその暮らしは想像もできないに違いない。


「三人だけじゃないの。私たち三人と、使用人たちもいるわ。彼らはとても優しくて、ソフィアにも優しくしてくれるわ」

「サラも行くの? モニカおばちゃは?」

「いいえ。行くのはソフィアとママとパパだけよ」

 娘の顔が無惨に歪み、かわいそうでならなかった。エリーザベトはソフィアの背中をさすり、額にキスした。


「ジュリエットぉ……ねこちゃん!」

「どっちも行かないわ。ああでも、パパのおうちでも猫が飼えるかもしれない。聞いてみましょうね。ソフィアに猫をあげてもいい? って」


 ソフィアは泣き出したが、それは癇癪を起したときとは違う、こちらの身が削られるような痛切な抑えた泣き声だった。ほろほろ涙をこぼしながらそんなふうに泣かれるのはつらい。

 エリーザベトは娘を抱きしめて慰めたが、なら行かないよ、と言うことはできなかった。

 

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