黄昏の街に狐は笑う。

月空 翼途

壱話 祭りの宵

 燃えるような夕焼けが見える、塾からの帰り道。狐藤こふじ 龍己たつきは誰かに呼ばれた気がして、ふと顔を上げた。

 そんな龍己の脇を、お面をつけて浴衣を着た小学生達が、はしゃいだ様子で駆けて行く。その駆けて行った小学生達以外、龍己の周りには誰もいない。気のせいだったかと歩き出そうとして、龍己はふと小学生達が駆けて行った方へと目を向ける。浴衣など着て、彼らは何処へ行くのかと。 

 龍己が歩いていたのは見通しの良い一本道。まださほど経っていないはずなのに、振り返ると小学生達はもう居なくなっていた。彼らの笑い声だけが、耳の奥で木霊している。耳を澄ませると、何処どこからかお囃子と、人々の喧騒が微かに聞こえてきた。そして龍己は、塾で同級生たちが話していたことを思い出す。今日は、盆祭りの日だったっけ、と。

 本当はこのままコンビニで夕飯を買って帰るつもりだったけれど、龍己はどうせなら、と祭りで夕飯を食べることにした。


 神社の境内は、祭りに来た人々で賑わっていた。少し離れた場所では盆踊りもやっているようだ。

 龍己はとりあえず、1番最初に目についた屋台でイカ焼きを買う。

 もぐもぐとイカを咀嚼しながら、龍己は屋台を見て回る。焼きそば、りんご飴、金魚すくい、たこ焼き、わたあめ、射的…。祭りといえば定番の屋台達が、所狭しと並んでいる。

 浴衣を着た学生のカップル、流行りのアニメキャラのお面をつけた小学生。目前で鮮やかに広がる非日常な光景に、龍己はふと、自分が異世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥った。また誰かに呼ばれた気がして、背筋がそわっと粟立つ。

 振り返ると、視界の端で、誰かが手招きをしたように見えた。惹かれるかのように、龍己は手招きが見えた方へと歩き出す。

 立ち並ぶ屋台から少し離れた一番端、人気のない薄暗い路地の近くに、その屋台はあった。

「よう。いらっしゃい、にいちゃん」

 屋台の先に座る老人は、鬼の面をつけていた。面を少し上にずらして、煙草を吸っている。

「あ…どうも」

「買ってくかい」

 老人は、親指を立てて屋台を指す。どうやら老人は、面を売っているようだった。流行りのものから一昔前のアニメのキャラクターの面。狐や兎といった動物の面。火男ひょっとこ阿多福おたふくの面。天狗や河童のような妖怪の面。様々な面がかけられている。

 俺は別に、と言おうとして、龍己はふとある面に目を止めた。

「にいちゃん、そいつが気になるのかい。お目が高ぇな」

 龍己の視線の先にある面を見て、老人の口元がにやりと笑う。

 それは、目元だけを覆う黒い狐の面だった。左右に鈴がついている。

「…いくらですか」

 買うつもりなどなかったのに、気づけば龍己は老人に聞いていた。

「そうさね、こっちの通貨で言やぁ、500円くれぇかね」

(こっちの通貨…?)

 龍己は老人の言葉に内心首を傾げつつも、財布を出す。

「じゃあ、ください」

 高校生にもなってお面なんか子供っぽいかな、とも思ったけれど、龍己は小銭を取り出し老人に渡す。

「ほいよ。…ちゃあんと銭だな。ほれ、持ってきな」

 老人は受け取った小銭を打ち付けて音を確認すると、狐の面の方へくいっと顎をしゃくった。

「ん、ども」

 龍己は軽く会釈をし、面を手に取ると屋台を後にする。

 なんとはなしに立ち止まって後ろを振り返ると、まださほど歩いていないはずなのに、お面屋は見えなくなっていた。

(…そういや、俺まだイカしか食べてねぇわ)

 龍己はふと思い出す。辺りを見ると、さっきまで薄明るかったはずの空は完全に日が落ち切って、暗くなっていた。

 とりあえず、もう少し何か食べようと龍己は歩き出す。

 すると、いきなり誰かがぶつかってきた。ぶつかった、のではない。ぶつかられたのだ。見ると、大学生くらいだろうか。やたらガタイの良い男が、3人ほど目の前に立っている。

 その誰かは、龍己にぶつかるとどこかわざとらしく持っていた飲み物のカップを落とした。

「うわっ」

「あ゛?テメェどこ見て歩いてんだよ!痛えじゃねえかよぉ!」

「は?明らかにぶつかってきたのそっち…」

「おかげで飲みかけの落としちまったじゃねえかよ!」

 めんどくさいことになったな、と龍己は思う。明らかに関わり合いになりたくない厄介なタイプだ。

 こういう手合いは相手にしたら負けな為、龍己は早々にその場を退散することにする。

「おいコラテメェ!待ちやがれ!」

「…ったく、卑怯なんだよ。文句あんならサシで勝負しやがれ」

 人混みを縫うようにすり抜けながら、龍己は小さく呟く。まぁ仮に1人で向かってきたとしても、面倒なので龍己は1秒でも早くその場を離れるが。

「クソが、どこ行った!」

「こっちにはいねぇぞ」

「じゃああっちか?」

 少し離れた場所で、3人組の声が聞こえる。龍己は人混みを抜けると、人の少ない路地裏へと入った。

「あーもう、腹減ったなぁ」

 だが、此処ここでのこのこと食べ物を買いに出て仕舞えば、十中八九彼らと鉢合わせるだろう。どうすっかなぁ、とため息を吐きかけて、龍己はさっき狐の面を買ったことを思い出した。

 これを付ければ多少はマシだろうか。龍己はそう思い、面をつける。

 路地裏を出ようと振り返ると、また声が聞こえた。

「こっちの方なんじゃねえか?」

「探せ!」

(げ…)

 龍己は顔を顰め、様子を伺いながら路地裏で息を潜める。だが、なかなか3人は立ち去ろうとしない。

 仕方なく、龍己は何処かへ抜けられないかと路地裏の奥へ行くことにした。ただでさえ薄暗い路地裏は、夜ということも相まって、奥へ進むほど闇が濃く、深くなっていく。

「…う……」

 あまりに深い闇に、押しつぶされそうになる。苦しい、と思い目を瞑ったのも束の間、龍己は何処か開けた場所へ出たことを感じ取った。そっと目を開ける。

「…?何処だ、此処…」

 ——其処そこは、龍己の知る世界ではなかった。



  ༺ ⋈ ◈◇◈ ⋈ ༻



 振り返ると、龍己はどうやらとてつもなく大きな巨木のうろから出てきたようだった。

 その巨木は小高い丘の上にあるようで、眼下には見慣れぬ、そして何処か不可思議な街並みが広がっていた。

 妖しく光る街灯、立ち並ぶ和風の家屋、何処か耳慣れない騒めき…。

 目に映った景色が、肌に感じる空気が、身体で感じる全てのことが、ことごとく危険信号を発しているかのような違和感を感じる。

「何処だよ、此処…」

 呆然とした呟きが、龍己の口から溢れた。

「…おやおや…。これはまた、随分と珍しいお客人だ」

 不意に、涼やかな声が響く。女のものとも男のものともつかない低い声は、穏やかに、軽やかに、けれど何処か妖艶に、龍己の耳に届いた。

 不意に、龍己は身体中が一気にざわっと粟立つのを感じた。振り向いてはいけない。声の主は、人間ではない。後ろに居るのは人間どころか、恐らく生き物ですらない“ナニカ”だ。

 16年間生きてきて、達観して落ち着いた性格だと言われ続けてきて、ここまでの恐怖を感じたのは初めてだった。身体が、すくんでしまって動かない。息もできないほどの重圧のようなものが、龍己の身体に纏わりつく。

「おっと、済まないな。ついついいつもの癖で霊力を放出してしまっていたよ」

 その“ナニカ”が呟いた瞬間、ふっと重圧が消えた。

「…っは、はっ、はぁっ…っ」

 龍己は思わず、肩で息をしながらその場にへなへなとしゃがみ込む。

「済まなかったね、少年。ほら、立てるかい?」

 その“ナニカ”が、少し屈んで龍己へと手を差し出す。

 龍己は答えず息を整えると、その手を取らずに立ち上がった。そして、目を合わせないようにその“ナニカ”を盗み見る。

 整った、何処か冷たさも感じさせる端正な顔立ち。高い位置で結われ、それでも尚膝下まである長い銀色の髪。古めかしく重そうな、神社の神主のような着物。真っ白い狐のような、耳と尻尾。左手に持った煙管キセル

 けれど何よりも目を引いたのは、妖しく光る、鮮やかな唐紅からくれないの瞳だった。

 彼——男か女かもわからないが、不便なので龍己はとりあえず彼と呼ぶことにした——は、愉快そうに龍己を眺めていた。

「にしても、君は本当に不思議だね。気配は完全に怪異のそれなのに、霊魂れいこんは——魂の色は、明らかに人間のものだ。…君は、一体何者だ?」

「…その台詞、そっくりそのままお返しするぜ」

 会話をしようとしていることから、今すぐに龍己に危害を加えてくることはないだろう。理性もあるように見える。

 そう判断し、龍己は淡々と言葉を返す。

「随分と強気な態度じゃないか。つい先刻、私の霊力に腰を抜かしていたのが嘘のようだ」

「…うるせぇよ」

 揶揄からかわれることに慣れていない龍己は、どう反応すればいいのか分からず、ぼりぼりと頭をきながら斜め下へと視線を落とす。

「…そもそも、あんたのことも気になるが、此処は何処なんだ?」

「驚いた。君は物怖じしない性格なのだね」

 ふふ、と彼はより一層愉快そうに笑う。

「では、君の質問に答えるとしよう」

 彼はふぅっと紫煙しえんを吐く。

「…いらっしゃい、宵闇ノ街よいやみのがいへ。私は案内を司る⬛︎⬛︎だ。…よろしく、ヒトの子よ」

 そう言って、目を細めて微笑んだ。

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