凡人クラルスの英雄録
清水ハルイチ
第1話 瓦解
魔王は死んだ。
オーディン・レオンハルトが魔王を討伐した。
彼は単騎で魔王城に乗り込み、魔王軍を壊滅させた。
その日、オーディン・レオンハルトは英雄となった。
しかし、世界に平和は訪れなかった。
魔王を殺したところで、魔物が消えるわけではない。
人々は今日も死に、明日も死ぬ。それが当たり前の世界だ。
それでも人々は信じていた。
英雄、オーディン・レオンハルトが、世界から害敵を殲滅してくれると。
* * *
ここは小さな村だ。
教会を中心に家が数軒と畑があるが、それ以外は何もない。風薫る広大な自然が、どこまでも広がっている。
そんな場所に、母と二人で暮らしている。
村のみんなで助け合い、不自由だけど、それなりに充実している毎日だ。
でも、そんな退屈で窮屈な村が嫌いだった。
目を覚まし、一階に降りると、扉を叩く音がした。
「クラルス。今ちょっと手が離せないから、出て頂戴」
母は目玉焼きを焼いている。
母の作る半熟で、トロっと黄身が溢れる目玉焼きを食べるために、仕方なく、扉を開けた。
「おはよう、クラルス。そういえば、昨日は助かったよ。この歳であれだけの魔法が使えるんだったら、将来は魔法使いだな」
扉の向こうには、教会の司祭をしているガリウスがいた。
「おはようございます。今日も全部の家を回ってるんですか?」
「全部って言ったって、ここを含め、七軒しかないじゃないか。それに、誰かが倒れていたりしたら大変だろ? だからこうして毎朝のルーティンにしてるんだ」
僕にはガリウスの行為が無意味に思えた。
そんなことをしたって、人が死ぬのを止められるわけではないし、むしろ、魔獣に襲われたんだとしたら、自分の身だって危ない。
「そうなんですね」
「あと、今日は十歳の誕生日だろ。これをやるよ。お誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
ガリウスは、自分の首にかけていたペンダントをくれた。ペンダントに付いている赤い宝石は、どこまでも深い色をしていた。
「ガリウスさん、おはようございます。こんなもの頂いてもいいんですか?」
と、朝食の支度を終えた母が会話に合流した。
「大丈夫ですよ。これは見た目が綺麗なだけのただの石ですから。では、お邪魔しました~」
そう言って、ガリウスは次の家に向かっていった。
「ご飯の前に、クラルス。お誕生日おめでとう。誕生日プレゼントよ」
母が手紙を渡してきた。
「……これが誕生日プレゼント?」
僕は落胆が隠し切れなかった。さっきガリウスに貰ったペンダントと比べると、どう見ても見劣りするからだ。
「そんな顔しないで、ほら、開けてみなさい」
渋々手紙を開くと、地図が入っていた。
北の森の地図で、真ん中に印がついていた。
「これは何? ここに何かあるの?」と尋ねると、母は小さく頷いた。
しかも、日が暮れてから一人でここに行け。と、メッセージも書かれていた。
日が暮れてから、魔獣の出る森に子供を一人で行かせるのは危険だ。
むしろ、母が森に入ってはいけないと言っていたのに。
「ここには、クラルスの人生を大きく変える何かがあるはずよ」
母の言葉には説得力を感じた。自信というべきだろうか。
昔からそうだ。何かに導いてくれる。
「さあ、ご飯を食べましょう。お楽しみは夜に取っておきなさい」
そう言われ、日が暮れるまでひたすら待った。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
見送る母の顔は、少し嬉しそうだった。
森に足を踏み入れると、妙な静けさに包まれた。
慣れない足元に気を取られていると、今度は前が見えない。
進むにつれ、月明かりが薄くなる。
〈
心もとない灯りだが、真っ暗闇よりはマシだ。
……汚い。
僕は僕の魔法が好きじゃない。
なぜなら、完璧ではないからだ。
一刻も早く、この手から汚い火球を消してしまいたかった。
印の所まであと少し。
その時、前方で物音がした。
低い唸り声も聞こえる。
一歩も動くことができない。
確実に近づいてくる足音が、心臓の鼓動を速めた。
目の前の茂みから、それが正体を現した。
僕と同じくらいの背丈で、犬のようなシルエットをしていたが、細長い顔から垂れている鞭のようにしなる舌が、ただの犬ではないことを物語っていた。
足元を見ると、僕の腕と同じくらいの爪がむき出しになっている。
気味が悪く、不格好な姿を見ていると、これが現実ではないような気もしたが、目の前にある事実を受け入れられないだけだ。
反射的に、手にある火球を投げた。
それは真っ直ぐ飛んでいき直撃した。が、何事もなかったかのようにこちらに向かってくる。そのまま、大きな爪を振りかざしてきた。
「うわあぁぁあ!」
咄嗟に身をかがめた。
恐怖と、自分の不甲斐なさと、母への恨みで頭がいっぱいだった。
これの何がお楽しみだ?
今日、僕はここで死ぬんだ。
「〈
声を聞き、目を開くと、空から一本の閃光が降り落ちた。
その細い閃光は怪物を突き刺し、次の瞬間、巨大な光の柱になる。
光が消えると、目の前にいたはずの怪物は完全に消滅していた。
「いや~、コントロールはよかったんだけどね。威力が弱いし、この魔獣は火に強いからね」
上空から男の声がした。
黄金色の髪に、騎士の鎧を身に纏い、腰には聖剣を携えている。
僕はこの人を知っている。
魔王を殺した英雄。オーディン・レオンハルトだ。
「どうしてこんな所にいるんですか?」
何よりも先に、この疑問が浮かんだ。
「君がクラルス・イロアスくんだね。ここまで来てもらって悪いね。お疲れ様」
「あの……どうしてここに?」
「まあいいじゃないか。折角だし、俺の魔法でも見ていきなよ」
これが母からの誕生日プレゼントということなのか? 英雄って、こんな風にひょっこり現れてもいいものなのだろうか?
「そういえば、さっきの魔法は何なんですか?」
そう尋ねると、驚いた様子だった。
「光魔法だよ。君は使えないのかい?」
「聞いたこともありません」
オーディンは、考え込むようにして立ち止まった。
「……さっきの魔物は火に耐性があると言っただろ?」
「はい」
「まあ、幾らか耐性があったところで、それを上回る威力の魔法をぶつければいいだけなんだが、如何せんコスパが悪い。そこで光魔法だ。これは、どんな魔物にも効果を最大限発揮することができる」
なんでそんな魔法を一度も聞いたことがないんだ? これが一般的に使用されれば、魔物に対抗できるはずなのに。
「どうしてオーディンさんは知ってるんですか?」
「俺が考えた魔法だからかな。ちょっと特殊な工程が必要だから、一般化はできないけど、君だったら使えるようになるかもな」
この人は天才なんだ。
「よし、ここだったら大丈夫だ」
腰に手を当て、周りを見渡している。
森を抜けた先の湖までやってきた。
「何をするんですか?」
「まあ、見とけって」
そう言って、右手を湖の方へかざした。
「〈
オーディンが唱えると、足元に冷気が流れ込むのを感じた。浅瀬から急速に魔力が行き渡り、巨大な湖が一瞬で凍ってしまった。
口からは白い息が溢れてくる。
「すごい……」
「本命はこれからだ。しっかり見とけよ。俺が一番好きな魔法だ」
「〈
湖の中心に大きな炎の塊が現れた。
それが花開き、花びらのように舞い落ち、氷を解かす。
とても紅い。
やがて、すべての花びらが散り、元の湖の姿に戻った。
「どうだ? 俺の魔法は」
オーディンはこちらを向いた。誇らしそうな顔をしている。
「……とても綺麗でした。自分からあんなに距離があっても魔力を繊細に扱えるのもすごいし、魔法の規模もけた違いで、この世ものとは思えないくらいです」
「えらく早熟だな。『すごい』以外の感想が出ることは想定してなかった。君は魔法が好きなのか?」
早熟なんて言われても、この村に子供は僕しかいないから比較対象がいないな。家では何もすることがなくて、考えることしかしてなかったからそう思われたのかもしれない。
「魔法自体は好きです。でも、自分の魔法は嫌いです」
「美しくないからか?」
え、どうして。
「どうして? とでも言いたそうな顔だな。俺も同じだったからだ」
「……でも、オーディンさんの魔法は完璧でした」
オーディンは溜息をついた。
「俺から言わせれば、あれもまだ完璧じゃない。それでも自分が納得できるまで何度も繰り返した。いつか理想が現実になることを願って」
オーディンは涙を流していた。
僕には何の涙か知る由もなく、ただただ怖かった。
それから、週に一度、オーディンがこの場所に来て、魔法を教えてくれるようになった。この週に一度の修行は、僕の生活の全てになっていった。
オーディンの操る魔法はどれも綺麗で、自分の魔法がますます嫌いになる。
自分のできる最大限で教えられた魔法を吸収し、時間が許すまで練習した。
自分でも、なぜこんなに打ち込んでいるのかもわからない。
ただ、美しい魔法が使えるようになりたかった。
そんな生活を始めて、五年ほど月日が経った。
この日、村は少し慌ただしそうだった。
「クラルス! 大変だ!」
ガリウスが、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「そんなに慌ててどうしたんですか?」
「オーディン・レオンハルトが死んだんだ!」
僕は何を言われているのかが解らなかった。
一昨日だ。一昨日も魔法を教えてもらっていた。いつも通りだった。
そんなはずない。
家に帰り、普段は読むことのない新聞を開いた。
新聞を取り上げた時に視界に映った大見出しに、息が苦しくなる。
目を開くと、『英雄、オーディン・レオンハルトが死亡』と載っている。
何故だ? オーディンが死ぬわけがない。記事に何か書いてあるはずだが、目が霞んで文字が読めない。
そんなことあっていいのか? いや、いいはずがない。
思考がまとまらない。
でも、その中で一つの事実だけが頭の中を支配した。
英雄は死んだ。
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