ファフロツキーズな気持ち

蝌蚪蛙

本編

「お前、今どういう気持ちなんだ?」

 怪訝そうな表情を浮かべるクラスメイト。

 彼の頭には黒い雲が浮かんでいる。

「いやー、自分にもさっぱり……」

 困り顔を浮かべることしかできない僕。

 その周囲には、無数のオタマジャクシが降っていた。

 彼も僕も天気を操っているわけじゃない。

 全て僕らの頭の上に浮かぶ特殊な追尾ドローン、正確には〝情景投影システム〟の仕業だ。

 立体ホログラム映像が一般化した二十一世紀の半ば。

 ジョークグッズとしてそれは発売された。

 本音と建て前。

 古くから日本では本心を直接伝えず、迂遠な言動でそれとなく伝えるのが美徳とされてきた。

 とはいえ、それは高度なコミュニケーション技術を要する。

 発信者側がうまく意図を隠し、受信者側が言動の裏にあるその意図を読む。どちらかが失敗すれば、途端に齟齬が起きトラブルにつながる。

 そこで白羽の矢が立ったのが情景描写だ。

 最もわかりやすいのは天気だろう。

 例えば、雨。

 小説内で雨が降れば、大抵はそこに登場するキャラクターが悲しみに暮れていたり、憂鬱になっている時だ。

 雨の日に僕らはナーバスな気持ちになりやすい。それを逆手にとって天気を雨に設定することで、登場人物の心情理解を助けているのだ。

 これを利用したのが〝情景投影システム〟だ。

 小型の追尾ドローンが登録者の頭上を飛行。

 腕につけた測定器が大きな感情の動きを検知するとドローンに情報を送信。

 ドローンに搭載された立体ホログラム投影機により、登録者の周囲に最適な情景を展開。

 これにより誰でも簡単に自身の本心をそれとなく伝えることができる。

 その粋な演出はジョークとするにはあまりにも風情があった。発売後から爆発的に普及し、現在では日常生活を送る上での必須のコミュニケーションツールになっている。

 ――今の状況に話を戻そう。

 目の前のクラスメイトの頭上には黒い雲、すなわち曇天。

 彼の言動から察するに不安や心配といったところだろうか。

 当然だろう。

 なぜなら、僕の情景がオタマジャクシだったのだから。

 異常な物が降る現象、俗にいうファフロツキーズ。

 この情景が投影されるのはこれが初めてではない。

 進学と同時に買ってもらったこのデバイスからはすでに十回以上もファフロツキーズが観測されている。もちろん検査に出したが不具合は無し。

 ここは全寮制の私立中学校。

 平気なつもりだったが、親元から離れてやはりどこか不安なんだろうか?

 でも、それならクラスメイト全員が同じ条件のはずだ。

 なのに、どうして僕だけ?

 釈然としない気持ちのまま悶々とした日々を送る。僕の周囲には毎日濃霧が投影され続けた。それでも時々降るオタマジャクシ。霧は余計濃くなった。

 そして、迎えたゴールデンウィーク。

 大型連休はさすがに帰省が許可される。

 ファフロツキーズの原因が親元から離れた寂しさにあると考えた僕は、早速実家に帰ることにした。

 電車を何回か乗り継ぎ、片道三時間。

 昼過ぎに出発したので夕方までには着く。

 ――そう思っていた数時間前の自分を殴りたい。

 最後の乗り換えが終わって気が緩んだのだろう。

 目覚めると、車窓に広がるのは見覚えのない景色。

 寝過ごした。

 すぐに気づいたが後の祭り。

 ちょうどどこかの駅に着いたので急いで降りる。

 直後、絶望した。

 聞いたことのない駅名。

 しかも、無人駅。

 当然、電車の便数も少ない。

 時刻表を見れば一時間に一本。

 慌てずもう少し先の大きな駅で降車すれば特急があったのだが……。

 日はすっかり傾いている。

 本当ならもう家に帰れているはずだが後悔しても仕方ない。

 ここで降りたのも何かの縁だ。

 改札を抜け、周辺を適当に散策することにした。

 とはいえ広がるのは田園風景。

 何か名所はないかとスマホを開く。

 聞いた事のない町だ。有名なものなどないだろう。それでも、歴史ある神社や見晴らしのいい丘でもあれば暇つぶしくらいにはなる。

 とはいえ、マップとにらめっこしても食指が動くようなスポットはなかった。

 不意に投影機が動き出す。

 何事かと思った直後、目を見張る。

 またオタマジャクシが降り始めたから。 

 そんな。

 どうして?

 やはり心細い心情に反応しているのか?

 いや、それならもっといい情景があるはずだ。

 例えば強風にあおられる一本の木。

 故郷が恋しいならノスタルジックを感じる夕焼けが相場だ。

 なのに、僕のはオタマジャクシ。

 きっと何か共通点があるはずだ。

 学校でのファフロツキーズが起きた状況を思い出してみる。

 それはいつも会話の途中だった。

 何故中学受験をしたのか?

 どうしてこの学校への受験を決めたのか?

 どの科目が好きか?

 何か意見を求められた時、曖昧な返事と同時に決まってオタマジャクシが降ってきた。

 そうか。

 ファフロツキーズが投影される条件。

 ようやく合点がいった。

 自分の中に意見がない時。

 正確には思い浮かんだ言葉を飲み込み周りの意見に合わせた時。

 そんな時にオタマジャクシは降っていたんだ。

 思い返せば、確かに自分の中には芯のようなものが希薄な気がする。

 小学生の頃。

 自分は少し勉強ができた。

 そのことを親に褒められた。

 だから勉強を頑張った。

 そしたら、もっと褒めてもらえた。

 親に勧められるまま塾にも通った。

 余計勉強ができるようになり、親にさらに褒められた。

 中学受験したのも親が提案してくれたから。

 今の中学を選んだのも親の反応が一番良かったから。

 好きな科目?

 そんなの考えたこともなかった。

 つまりこういうことか。

 自分は空っぽなんだ。

 今まで、主体的に決めた経験が全然ない。

 それを隠すため、いつも周りに流されてばかり。

 僕の中に映し出すべき感情は何もない。

 周囲に適当に合わせる子供じみた言動があるだけ。

 ファフロツキーズはそんな僕の状況を表していたんだ。

 存在しない天気と幼さの象徴であるオタマジャクシで。

 このままじゃダメだ。

 もう一度マップを眺める。

 きっと自分にもあるはずだ。

 行きたい場所が。

 見たい景色が。

 そして、ある場所に目をつけた。

 往復する時間もある。

 初めて自分で決めて動く。

 気づけばオタマジャクシは止んでいた。

 ――しばらくして目的地に到着。

 そこは何の変哲もない沼。

 濁っていて底は見えない。

 空っぽの自分とは正反対だ。

 今は夕方。

 空も沼も赤く染まる。

 沼の水面は揺れているせいか鏡のようにきれいに風景は映らない。

 中で生き物が蠢いているのか、それともただの風か。

 例え赤く染まっても同じ夕焼けを映さない沼。

 僕の心もそうありたいと思った。

 周囲の意見に流されず、取り入れた上で自分の意見を言う。

 そんな風になりたいと思った。

 ふと、再び投影機が起動する音。

 映し出されたのは、晴れやかな青空。

 沈みゆく夕日を見ながら、僕の上に昇る太陽。

 それが何だかおかしくて思わず笑ってしまう。

 それに呼応するように太陽は輝きを増した。

 もう迷いはない。

 少し理想に近づけた。

 そう信じて。

 直後、スマホに着信が入る。

 母さんからだ。

 しまった。

 乗り過ごしたことを全く連絡していなかった。

 時刻を確認すれば、そろそろ駅に向かった方がいい頃合い。

 電話に出ながら戻る道。

 足取りはやや重い。

 帰りたくないからじゃない。

 きっと空っぽだった心が幾分か満たされたから。

 その分、心が重くなったから。

 だからこそ、スキップしながら先を急ぐ。

 この重さに慣れるために。

 もっとたくさん詰め込めるように。

 


 ゴールデンウィーク明けの登校日。

「おっ! それ何?」

 いつものクラスメイトが僕に聞いてくる。

 僕の机の上には不格好な石ころ。

 見方によっては蛙に見えなくもない。

「おみやげだよ。ちょっとした冒険の」

 子供じみたことはもうやめよう。

 そんな決意の証として、沼のほとりで拾ったのだ。

「ふーん。面白い趣向だな」

 そんな僕を茶化すこともなく、微笑むクラスメイト。

 いい友人に恵まれたものだ。

「ところで、これはあくまでもしもの話で決して相談ではないんだが」

 そんな彼が唐突に長い前置きを話しだす。

 いいぞ、何でも来い。

 拙くても今度はちゃんと自分の意見で答えてやる。

 もうオタマジャクシは降らせない。

「好きな子ができた時、お前ならどうする?」

 おっと。

 数日前まで空っぽだった僕には難易度の高い質問。

 揺らぐ自信。

 それでも、なんとか絞り出す。

「古典的だけど、やっぱり壁ドンかな」

 直後。

「ちょ! お前、今度はどんな感情だよ!」

 笑い転げるクラスメイト。

 僕の周りには無数の蛙が降っていた。

 どうやら背伸びしすぎたらしい。

 まだまだファフロツキーズな気持ちとの付き合いは続きそうだ。

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