「最狂公爵家の空蝕術師——俺の内には兄と王が棲んでいる」
@saijiiiji
プロローグ「二つの声」
暗闇の中で、意識が浮上した。
何も見えない。何も聞こえない。ただ、微かな鼓動だけが響いている。
これは——自分の心臓の音だろうか。
『やあ、弟よ』
声がした。
暗闇の、すぐ傍から。
『ようやく目覚めたか。随分と長い眠りだった』
誰だ。
『誰、か。難しい質問だな。僕は——君の兄だ。君が喰らい、吸収し、そして取り込んだ存在。本来ならここにいるはずだったのは僕の方だった。でも、君が僕を喰った』
意味が分からない。
『分からなくて当然だ。君はまだ生まれてすらいない。今、君がいるのは母の胎内だ。そして僕は——君の中にいる』
胎内。
ならばこの鼓動は、母のものか。
『そうだ。彼女は今、君を——僕たちを宿して眠っている。もうすぐ君は生まれる。この狭い世界から、外の世界へと押し出される』
外の世界。
『そこは光に満ちている。音で溢れている。そして——感情が渦巻いている。喜び、悲しみ、怒り、恐怖。人間たちが当たり前に持っているもの。けれど君は、それを持たずに生まれてくる』
感情を、持たない。
『ああ。君は空っぽの器として生まれる。だから僕がここにいる。僕が君の感情の代わりになる。僕が君を導く。僕たちは二人で一つだ、弟よ』
弟。
その言葉が、不思議と心地よかった。
いや——心地よいという感情すら、本当は分からないのかもしれない。
『さあ、もうすぐだ。外の世界へようこそ。僕たちの物語が、今始まる』
意識が急速に浮上する。
圧迫感。苦しさ。そして——光。
眩い光が視界を灼いた。
「生まれた! 生まれましたぞ、公爵様!」
「男児です! 元気な男の子でございます!」
騒がしい。
声が耳を叩く。光が目を刺す。空気が肺に流れ込み、体が震えた。
これが、外の世界。
「おお……おお……!」
泣き声がする。だがそれは、自分のものではなかった。
周囲の人間たちが困惑している。
「泣かない……?」
「赤子が泣かないなど……」
「不気味な……」
侍女たちの囁きが聞こえる。恐怖。困惑。不安。それらの感情が、まだ開ききらない目にも見えるようだった。
『ほら、言っただろう。君は普通じゃない。それを恐れる者は多い。だが——』
だが?
『——それでいい。それが君だ。僕たちだ』
赤子の体で、視線だけを動かした。
ぼんやりとした視界の中に、一人の男が立っている。
銀髪。鋭い目。冷たく、それでいて満足げな表情。
「よくやった、セレスティア」
男が言った。
その声には、温かみというものが欠片もなかった。
「これで我が家の悲願は成就する」
『あれが父親だ。ヴァルハルト・アルカディス。帝国三大公爵家が一つ、アルカディス家の当主。そして——君を作った男だ』
作った。
生んだ、ではなく。
『そう。作った。君は普通の人間じゃない。千年前に世界を滅ぼしかけた「原初の王」——そのクローンとして作られた存在だ。母の胎内で、人工的に育てられた。そして僕は、本来そこにいるはずだった命。君に吸収されて、君の一部になった』
複雑な話だ。
『今は分からなくていい。いずれ全てを知る時が来る。今はただ——生きろ。息をしろ。そして、成長しろ』
成長して、どうなる。
『強くなる。誰よりも。そのために——喰らえ』
喰らう?
『ああ。お前には特別な力がある。他者の感情を喰らい、己の力にする能力が。それが「空蝕」——お前だけの、禁断の異能だ』
空蝕。
その言葉が、空っぽの心に刻まれた。
父が近づいてくる。
その顔を、赤子の目で見上げた。
冷たい。無機質。だがその奥に、何かが燃えている。
野心か。欲望か。あるいは——狂気か。
「お前の名は——ゼノン」
父が告げた。
「ゼノン・アルカディス。我が家の未来を背負う者よ。お前は強くなれ。誰よりも。何よりも。そしていずれ——」
父の目が、異様な光を帯びた。
「——帝国を喰らい尽くせ」
返事などできるはずもない。
だが、赤子の目は父を真っ直ぐに見つめていた。
泣きもせず。笑いもせず。ただ、虚ろに。
『いい目だ。それでいい。何も感じなくていい。感情は、喰らえばいいのだから』
内なる兄の声が、温かく響いた。
この声だけが、自分のものだった。
この声だけが、自分を「自分」にしてくれるものだった。
『ようこそ、外の世界へ。僕たちの物語が、今始まる。弟よ——ゼノン』
これが、俺の始まりだった。
感情を持たず、兄を内に宿し、怪物の遺伝子を継いで生まれた——空虚な器。
帝国三大公爵家アルカディスの嫡男。
最狂の一族に生まれた、最凶の異端児。
その名は、ゼノン・アルカディス。
俺の内には、兄と王が棲んでいる。
これは、空っぽの器が満ちていく物語。
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