第8話 致命的な綻び

 魔獣が学園の空に現れた、その日の夕暮れ。生徒の姿が消えた校庭を、雨の音だけが満たしていた。


コンスタンシアは、静まり返った廊下を歩く。

最後に見た彼の背中を思い出していた。


あの後、まだ彼には会えていない。もし次に会ったら――どんな顔をして会えばいいのだろう。そもそも、自分はどんな顔ができるのだろう。


考えながら、廊下の角を曲がる。

その空気が、異様に張り詰めていた。


少し先に、壁際にうずくまる人影と、それを離れた場所から見ている数人の生徒。


うずくまっているのは――細い背中と、少し長い黒髪。

ギルバートだ。


コンスタンシアは足を止めかけた。けれど、身体は勝手に彼のもとへと走り出した。


「ギルバート!」


濡れた髪から、水滴が滴り落ちていた。雨水に混じって、かすかに血の臭いがする。


「……怪我してるの?」


彼は俯いたまま答えない。濡れた制服の袖に、血が滲んでいた。

コンスタンシアの呼吸が浅くなる。


「どうしよう、血が……! 先生、先生を呼んでくる!」


彼女は慌てて立ち上がった。

その瞬間、ギルバートは追い縋ろうとして、崩れ落ちた。


「呼ばないでくれ」

「でも……!」

「頼む……」


コンスタンシアは、静かに息を整えた。再び彼のそばに膝をつく。

着ていたカーディガンを脱ぎ、彼の背にそっと掛けた。血と泥に濡れた肩を覆うように、布地が柔らかく落ちる。

周囲の生徒たちが、小さく息を呑む気配があった。


「あっち、行ってください。……見ないで」


声は震えていた。コンスタンシアは、自分の爪先に視線を落としたまま、顔を上げることができなかった。


生徒たちが立ち去る気配がして、やっと彼に目を向けた。

彼は震える指でカーディガンの裾をぎゅっと握り締めたまま、顔を伏せていた。

彼のこんな姿は、きっと見るべきじゃなかった。


「……立てますか?」


コンスタンシアは、優しく声を掛けた。今は、立てないならそばにいようと思った。

彼は顔を隠したまま小さくうなずく。けれど、彼は立ち上がれなかった。


「……ごめん。行っていいよ」


掠れた声が落ちる。


「……行ったほうがいい?」


コンスタンシアは小さな声で聞き返した。

彼の返事はない。雨音だけが、二人の間を満たした。


ギルバートは、もう一度深く息を整えながら、震える膝を立てた。

それを見て、コンスタンシアはすぐに彼の肩に手を添えた。熱かった。普通の熱ではなくて――有り余る魔力が、彼の体を内側から焼くような熱さだった。


雨の中。誰もいない廊下で、二人だけの世界が静かに呼吸していた。


◇◆◇


 その夜。ギルバートは寮の戸を鳴らされ、叩き起こされた。


「ヴィーが戻ってこないの」


扉を開け、少し視線を下げる。不安げな顔をしたレイが立っていた。

ヴぃーがいない――その言葉を聞いたギルバートは、自分でも驚くほど冷静だった。カルダの警戒、温室に向かうヴィーの様子、魔獣の襲撃。それらが、彼の中でひとつの最悪な筋書きとして繋がっていく。

体は重い。だが、行かないわけにはいかなかった。


「詳しく聞かせてくれ」


 談話室には、アトラもいた。彼はヴィーの同室だから、戻らないことに気づいたのも彼、ということなのだろう。

アトラは魔剣を手にそわそわしていたが、レイとギルバートを見るなり、跳ねるように立ち上がった。


「あんた、ヴィーがどこにいるか知らないか」


ギルバートは首を横に振った。


「まさか、魔獣に連れていかれたんじゃないよな? 昼間のやつらに」


アトラの声には、不安が滲んでいた。いつもは元気に吊り上がっている眉も、この夜ばかりは八の字に下がっている。


「まずは何があったか教えてくれ」


ギルバートが問う。

レイとアトラは、互いに補い合うように、断片的な情報を口にした。


「――状況はわかった。あとは俺が引き受ける」


やはり、レイモンド先生が怪しい。

だが、それを二人に告げるわけにもいかず、ギルバートは一人立ち上がった。


「引き受けるって、どうするんだ? 捜しに行くなら、俺も」

「私も!」


 そのとき、談話室の扉が突然開いた。カルダだった。


「ギルバート、来い」


短く、それだけ。ギルバートはすべてを察する。

カルダはレイとアトラにもちらりと視線を向けたが、何も言わなかった。


「はい」


ギルバートは二人に背を向け、カルダに続いて部屋を出ようとした。


「先輩」


レイの声だ。


「私も、行かせてください」


一瞬、背が強張った。けれど、振り返ることはしなかった。

ギルバートは、そのままカルダの後を追って部屋を出た。

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“つゆ払い役”の天才魔導士が役目を終えて退場、なんて許さない!《Freaks!》 sue @tanukichi_zzz

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