腹が減ると、異世界に繋がる

銀河星二号(GalaxyStar2)

第1話 空腹でドアを開けたら、だいたい異世界だった

 腹が減っていると、人は判断力を失う。


 少なくとも俺はそうだ。


 その日、仕事がひと区切りついたのは午後二時を回った頃だった。昼飯を食い損ねたままパソコンに張り付いていたせいで、腹の奥が妙に静かで、たまに思い出したように主張してくる。


 外に出ると、商店街は中途半端な時間帯らしく、人もまばらだった。昼のピークは過ぎ、夜にはまだ早い。店のシャッターも半分ほど閉まっている。


「……何か食えるとこ」


 考えるのが面倒で、足の向くまま歩いた。


 正直、味にこだわりはなかった。座れて、温かいものが出てくればそれでいい。そういう基準で生きている三十代男にとって、外食はだいたい運任せだ。


 だから、その店に違和感を覚えたのは、ドアの前に立ってからだった。


 こんな場所に、こんな店あったっけ。


 商店街の端、空き店舗が多い区画の一角。木製のドアに、色あせた看板。店名はあるような、ないような。ガラス越しに中は見えない。


 まあいいか。


 腹が減っているとき、人はだいたいろくな判断をしない。


 ドアノブに手をかけた瞬間、ふと前日のことが頭をよぎった。


 壊れかけの電飾看板をどかそうとして、思い切り感電した件だ。指先が痺れて、変な声が出た。近くに誰もいなくて助かった。


 ——まあ、関係ないだろう。


 俺はドアを開けた。


 ……。


 最初に思ったのは、広い、だった。


 外から見た印象より、明らかに奥行きがある。天井も高い。木のテーブルが等間隔に並び、客席はほぼ埋まっていた。


 そして、客層がおかしい。


 入口から三歩も進まないうちに、俺は足を止めた。


 視界の左、全身を金属で覆った男が、ゴツい腕でスープを啜っている。右奥では、フードを目深にかぶった集団が、小声で何かを話している。……角、見えた気がするんだが。


「……コスプレ喫茶?」


 そんなジャンルがあるのかは知らないが、全員やたら完成度が高い。というか、生活感がある。衣装というより、普段着だ。


 誰も俺を見ていない。


 それが逆に怖い。


 引き返すか?


 いや、でも——腹が減っている。


 俺は深く考えないことにした。腹が減っているとき、人はだいたい現実逃避をする。


「一名だな」


 カウンターの奥から、低い声がした。


 店主らしき人物が、ちらりとこちらを見る。年齢も性別もよく分からない。表情が薄い。


「え、あ、はい」


 促されるまま席に座る。周囲の視線は、相変わらず俺をスルーしている。まるで、俺が最初からここにいたみたいだ。


 メニューを見る。


 拍子抜けするほど普通だった。


 日替わり定食、カレー、パスタ。値段も常識的。通貨表記は……円?


「日替わりで」


 無難を選ぶのが人生だ。


 待っている間、周囲の会話が耳に入ってきた。


「……魔王軍が南に動いたらしい」 「昨日のダンジョン、また崩れたぞ」 「補給が足りん」


 聞かなかったことにしよう。


 料理はすぐに出てきた。湯気の立つ定食。見た目は完全に和食だ。箸を取って、一口食べる。


「……うま」


 普通にうまい。


 妙に腹に染みる味だった。


 黙々と食べていると、隣の席で小さな騒ぎが起きた。


 鱗のある腕の客が、皿を前に固まっている。


「これ……辛すぎる」


「だから言っただろ、香辛草は三倍だって」


 困っている様子に、つい口が出た。


「あー……水、飲みます?」


 自分でも驚くくらい自然に言葉が出た。


 相手も普通にこちらを見る。


「助かる」


 水を渡すと、場はすぐ収まった。誰も感謝しない。店主も何も言わない。


 俺は最後の一口を飲み込み、箸を置いた。


「ごちそうさまでした」


「三百円だ」


 安すぎないか。


 会計を済ませて立ち上がる。


 店を出るとき、ふと振り返った。


 さっきまであったはずの店は、そこにはなかった。


 代わりに、シャッターの下りた空き店舗がある。


 俺は自分の手を見た。


 さっきまで、確かにドアを開けていた手だ。


「……まあ」


 腹は満たされている。


「うまかったし」


 そう呟いて、俺は帰路についた。


——翌日、また腹が減った。

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