六月の四年二組

富士子ふみよ

六月の四年二組

 六月のある日の朝だった。僕はリビングで六枚切りのトーストを片手に一時間目にある分数のテストを考えていた。ちょうど三度目のため息が漏れると、つけっぱなしのテレビからニュースが聞こえてきた。

「続いてのニュースです。昨日、岐阜県東白川村でツチノコの生捕りに成功しました」

 それまでスーツ姿で静かにコーヒーを飲んでいた、向かいの席のパパがコーヒーを吹き出した。すぐに口元をティッシュで拭うと、台所のママに叫んだ。

「おい、大変だ。ツチノコが見つかったらしいぞ」

「朝からうるさいわね。そんなことよりも早くご飯を食べてちょうだい。会社に遅れるわよ」

 カウンターキッチンから顔を覗かせたママは、口を尖らせている。

「でもなぁ……」

 何かを呟くパパを無視して、僕はソファに置かれたランドセルを掴むと、家を飛び出した。


 いつも通り、八時二十五分ぴったりに僕は四年二組の教室に着いた。相変わらず、授業前の教室は騒がしい。

 席に座ると、隣の席の佐知子ちゃんが挨拶してきた。

「おはよ、須藤君」

「うん、おはよう」

 僕はランドセルを開き、教科書だとかノートを取り出すと、机の中にしまいこんだ。

「ねぇ、今日の学級会だけど、何になるかなぁ」

 そう言って彼女は僕を覗き込んだ。

「何の話だっけ」

 そのとき、僕はもう一度、約分のルールを頭の中で繰り返していた。

「クラスで飼う生き物の話よ」

「えっと、そんな話あったかな」

「今日、学級会で決めることになっていたじゃない。あたし、小さな動物だと嬉しいわ」

「ハムスターとかかな」

「そうね、ラットでもモルモットでもいいよね」

 僕はちっともよくなかった。テストの難しい文章問題の方が気になる。

 そんなことを考えていると、予鈴が鳴り、牛島先生がやって来た。先生は苗字が牛なのに、馬みたいな長い顔をした小柄なデブだ。だから、先生はみんなから、こっそりポニー先生と呼ばれている。

「はい、席に着きなさい。出席をとるわ」

 その言葉と共に今日の一日が始まった。


 二時限目の開始のチャイムが鳴った。算数のテストは終わったのに、僕はテスト結果で頭がいっぱいのまま、二時限目の学級会に参加していた。

「さぁ、クラスで飼う生き物の候補を出して。意見のある人は手を上げて教えてね」

 そのポニー先生の言葉に、真下君が手を上げた。

「金魚がいいと思います」

 先生は彼の言葉通り、黒板にチョークで金魚と書いた。それをきっかけに、いくつもの要望が飛び出した。

「アメリカザリガニ」

「文鳥がいいです」

 佐知子ちゃんも手を上げ、「ハムスターです」と言った。

「蛙を飼ってみたい」

「ツチノコです」

「カブト虫にしようよ」

「兎にしてほしいです」

 クラスメイトが一斉に意見を言い合い、収拾がつかなくなり始めたとき、先生は両手を叩いた。

「ほら、みんな静かに。こんなところかしら。では、多数決で決めるわよ」

 金魚から順番に挙手を繰り返し、「ツチノコ」と先生が読み上げたところで、クラスの半数以上が手を上げた。

 先生は小首を傾げながら、呟いた。

「予想外の結果ね。まぁ、決まったことだから仕方ないわ。先生頑張ってツチノコを手に入れてくるわね」

 そう言って先生は鼻息荒く、ガッツポーズをした。

「何でツチノコなのよ。あたしハムスターがいいのに……」

 佐知子ちゃんが暗い顔をして呟いたが、僕は聞こえない振りをした。僕の頭には、テストの結果を見て、鬼のような顔をしたママしか浮かばなかったのだから。


 学級会から一週間が経った。僕は相変わらずママに叱られてばかりだし、太陽は東から登り西へと沈んで行く。そんな風に毎日は変わり映えせず、ただ過ぎて行く。

 その日も朝の八時二十五分に教室に行くと、級友たちが騒ぎ声を上げていた。その光景に僕は目頭を指で抑えた。テストが返却され、昨日帰宅してからずっとママと分数の勉強だった。お陰で夢の中にまで計算式が出てきてたほどだ。本当、うるさいのは勘弁してほしい。

 そう思いながら席に着くと、隣にはすでに佐知子ちゃんが座っていた。

「おはよう。ねぇ、ツチノコだけど先生見つけてきたみたいよ」

「ツチノコって何だっけ」

 僕の言葉に、佐知子ちゃんは大きく目を見開いた。

「こないだの学級会で決まったじゃん。忘れちゃったの」

 ツチノコ、どこかで聞いた単語だけど、同じ四文字なら、ヤクブンとかブンスウが気になる。

「ごめん、わからないや」

「まぁ、呆れたわ。学級会で決まったでしょ、クラスみんなでツチノコを飼育するって」

「そうだっけ。まぁ、決まったことなら仕方ないよね」

「もう、あたしは嫌。今からハムスターに変えてほしい」

 そう会話を重ねていると、チャイムが鳴った。すぐにポニー先生はやって来た。なぜか、側面に津軽りんごと書かれた木箱を抱えている。それを教卓に置くと、先生は僕らに顔を向けた。

「はい、みんな席について。おはようございます」

 そう挨拶した先生は、声を弾ませた。

「出席をとる前に、君たちに報告があります。クラスの飼育動物のツチノコだけど、先生頑張っちゃいました。はい、ここで拍手」

 教室には、まばらな拍手が鳴り響いた。

「ひどいわね。本来なら、週末の先生は婚活で忙しいのよ。花の輝きは短いんですから。それなのに、探したのはダーリンの代わりにツチノコなんて」

 僕には何の話か分からないが、隣の佐知子ちゃんに倣って、拍手をしておいた。

「まぁいいわ。これが正真正銘のツチノコよ」

 そう言って先生は木箱を指差すと、ウィンクをした。りんごの箱を見て、僕は思う。先生はりんごが大好きなのかな。そう考えていたら、クラスから歓声が上がった。

「そうでしょう、大変だったんだから」

「せんせー、早くツチノコ見せてよ」

「そうだよ、ツチノコ見たい」

 周りから次々に声が上がる。

「駄目よ、いきなり大勢で覗き込んだら、ツチノコはきっとびっくりしちゃうわ」

 先生は顎に手をやって、しばらく何かぶつぶつと唱えたかと思うと、僕らに顔を向けた。

「そうだわ、飼育当番なら見てもいいわね。出席番号順に当番が毎日順番変わるようにしましょう」

「えー」

「えー、じゃないわ。あなたたちも将来、子供の世話をしなきゃいけないわよ。ツチノコはその練習に最適じゃない」

「ツチノコと子供は違うと思います」

「先生、そもそも子供いないじゃん」

 その誰かの言葉にクラスは笑い声で包まれる。先生だけが下を向いて小さく肩を震わせると、いきなり黒板に手のひらを叩きつけた。すごい音がして、教室はすぐに静まり返った。

「私はまだ出会っていないだけ」

 そのときの先生の顔は、パパに説教するときのママにそっくりだった。

「では、今日から当番制の開始よ。出席番号一番は青山君ね」

「えー、僕はツチノコの飼い方なんか知りません」

 背が低く、眼鏡姿の青山君は青い顔をして手を上げた。

「先生だって知らないわよ。素晴らしいじゃない。これから知ればいいんだから」

 先生は優しい目をしつつ大きく頷くと、言葉を繋いだ。そのとき、チャイムの高い音が聞こえてきた。

「ツチノコの話は一旦おしまいよ。授業を始めるわ」

 そう言って先生は国語の教科書を開いた。


 午後になっても、教室の窓から差し込む日差しは変わらず強かった。

「先生、さようなら」

 そう声を上げて、級友たちは一斉にクラスを飛び出してゆく。僕もランドセルを背負おうと振り返れば、席に一人座る、暗い顔をした青山君が見えた。そして青山君の後ろの教室の隅っこには、無人の机の上にりんごの木箱が置かれている。

 ランドセルを背負い終えたときだった。視界の隅で木箱が微かに揺れた。青山君は変わらず下を向いて座っている。ふと見た時計の針が午後の四時を指している。

「あ、塾に遅れちゃう。早く帰らなくっちゃ」

 ママから大目玉はごめんだ。僕は急いで教室を後にした。


 次の日も教室はいつもと同じ風景だった。ただ違うのはいつも一人の青山君の周りに人だかりが出来ていることだった。

「ツチノコは、どんなよ」

「草がいっぱいでよく見えなかったよ。でも何か銀色の鱗がチラッと見えた気がする」

「て言うか、今日の給食グリーンピースご飯だぜ」

「なぁ、グリーンピースだけ残してさ。昼休み投げ合おうよ」

「お、いいね。グリーンピース爆弾で戦争ごっこしようぜ」

 こんなこと言い出すのは、木島君と山下君だろう。彼らは変わらないな、と思う。だって以前、ポニー先生が床に散らばる大量のグリーンピースに大激怒して、二人に原稿用紙十枚の反省文を書かせてたのに。

 僕は席に座ると、窓を見た。朝の太陽に照らされた校庭の緑はグリーンピースよりも色鮮やかだった。


 それからまた一週間が過ぎた。クラスではずっとツチノコが話題になっている。

「草に隠れていたけど、何か変な音出してなかった?りーりーって鳴いてた」

「鳴き声なんか出してなかったよ。それより臭くなかったか。オナラみたいな臭い」

「木島、オナラしたんだろ。ツチノコのせいにしてらぁ」

「してねーよ。いつ俺がオナラしたか、証拠だせよ」

 耳に入ってくるクラスメイトたちのやり取りに僕はうんざりしながら、静かに席に座る。するとすぐに、佐知子ちゃんが話しかけてきた。

「おはよ、いよいよね」

 その言葉に僕は頭にハテナマークが浮かぶ。

「何の話かな」

「飼育当番の話よ。今日の当番、須藤君じゃん」

「え、今日はカルバペネムマンがあるから早く帰りたいんだけどなぁ」

「何よ、そのカルパネマンって」

「カルバペネムマン、だよ。知らないの。テレビだよ」

「知らないわよ、そんなの。それに、そんな理由、駄目に決まってるわ。クラスの決まりだもの」

「じゃぁ、先週バクテリア軍団の策略でピンチになったカルバペネムマンはどうなるんだよ」

「カルバペネムマン分かんないし」

 カルバペネムマンは番組終わりにいつも言っていた。「スポンサー離れが著しい今、君たちの視聴率だけが頼りだ。ぜひ、番組を見て僕らに力を貸してくれ」って。細かいことは分からないけど、僕はカルバペネムマンが大好きだ。それなのに、今日は彼の力になれないなんて。そう思うと、僕は予鈴の音がバクテリア軍団の高笑いに聞こえた。


 その日の三時限目の体育授業は体育館で跳び箱だった。木島君たちは軽々と六段を跳んでたけど、僕はたまにしか跳べない。はしゃぐ彼らは少しだけ、眩しく見えた。

 そんなことを考えながら、微かな疲労感を感じつつ、みんなで教室に戻ると、唐突に事件は起きていた。

 静かな教室に、悲鳴が上がった。最初に教室に入った山下さんが、指差した先にはりんごの木箱が床でひっくり返っているのが見えた。その周りには大量の干し草が散乱している。

「あー、ツチノコいないじゃん」

 誰かが叫んだ。その声を聞いたポニー先生が声を荒げた。

「急いで教室を探すのよ」

 僕らはすぐに教室中を探し回った。けれど、机の上にも、教卓の下にも、掃除ロッカーの中にも、ツチノコは見当たらない。

「大変、こうしちゃいられないわ」

 先生が血相を変え、教室を出ていった。走るその後ろ姿は、以前テレビで見たポニーにそっくりで僕は吹き出しかけた。


 先生が走り去ってから、クラスは少し早い昼休みのような有り様だった。

「痛えな、山下。お返しだ」と大声を出して、木島君たちは消しゴムを千切っては投げ合っている。

「最近、真奈美ちゃん可愛くなったよね」

「うん、本当だよね。あたしも真奈美ちゃんみたいに可愛くなりたいわ」

 隣の佐知子ちゃんと高橋さんのお喋りが聞こえてくる中、僕は静かに席に座り、十二時近くになった時計を眺めている。

 なぜなら、今日の給食は大好きな鯖の味噌煮だ。ママが作ったやつ、缶詰と比べて、同じ料理とは思えないほど美味しい。ママにその理由を聞いたら、同じ調理方法でも料理は一度に沢山作った方が美味しくできるそうだ。あの甘辛の黄金色した鯖の切り身を浮かべると、僕のお腹が鳴った。

 と同時に教室の扉が開いた。真っ青な顔をしたポニー先生である。先生ははしゃぐみんなを席に座らせると、教壇に両手をついて、口を開いた。

「今、緊急会議で今日の授業は中止になりました。ただちに帰る方向が一緒の人たちでグループを作り、帰りなさい。明日以降のことは、連絡網で伝えます」

 それだけ言うと、先生はまた教室を飛び出して行った。

「やったぜ」

 急な帰宅命令に山下君が歓声を上げランドセルを背負い始めた。僕は動けなかった。給食を食べ損なったショックで目の前が真っ暗だったからだ。

 みんなに促され、僕もクラスメイトの列と共に教室を出る。学校の正門前に着くと、そこには数台のパトカーと黒い車が停まっていた。その周りには、警察官がウロウロしている。

 僕は立ち止まり、ニュースで見る事件現場のようなその光景をぼんやりと眺める。すると黒い車からスーツ姿の中年男性が数人降りてきた。彼らは一人の警察官に先導され、すぐに校舎の中へと姿を消した。

「さぁ、早く帰りましょう」

 後ろから佐知子ちゃんの声がした。僕は振り返ると、帰り道が一緒の友だちたちと歩きはじめた。

「ねぇ、須藤君。カルバペネムマンが見れるね」

「うん。それはいいんだけど、給食を食べてから帰りたかったよ」

 僕は少々口を尖らせ、隣を歩く佐知子ちゃんに返事した。

「もう、須藤君たら。笑わせないで」

「はぁ、次はいつ食べられるかなぁ」

 ため息と共に吐き出された僕の台詞。それは見上げた曇り空に消えた。


 緊急帰宅になった次の日、学校は休みになった。思いがけない休日を楽しむことなく、僕はママから出された算数のプリントを前に頭を悩ませていた。本当なら、リビングで醤油煎餅を齧りながら、昨日見たカルバペネムマンの動画をもう一度ゆっくりと見たいのに。でも、カルバペネムマンは最高だった。セフェムレディも敵わないESBLモンスターすら倒したのだ。僕が鉛筆片手にニヤニヤしていると、背後から声がした。

「早くプリントを片付けてしまいなさい。お昼は鯖の味噌煮にしてあげるから」

 ママの声に僕は慌てて問四の立方体の面積問題に取りかかる。でもママは分かっていない。僕は給食の鯖の味噌煮が食べたいことを。

 

 その翌日は学校が再開された。僕はいつものように登校すると、教室もいつも通りだった。

「昨日、ママに可愛いリップ買ってもらったんだ」

「えー、見せて。どんな色」

 そんな声を聞きながら、僕はランドセルを椅子の背もたれに引っ掛けていると、教室の後ろが見えた。そこでは、木島君と山下君がプリントを丸めたボールでキャッチボールをしているだけで、津軽りんごの木箱はなかった。

 僕が正面に向き直ると、すぐにチャイムが鳴ってポニー先生やって来た。先生はなぜか、酷く疲れた顔をしている。

「はい、おはよう。まず、みんなに話をしなきゃいけないわね」

 そう先生が口を開くと、教室は静まり返った。

「まず、ツチノコのことだけど。ちゃんと校内で見つかって引き取られていったわ。色々検査もされて、安全性も確認されたから、今日から安心して勉強してちょうだい」

「えー、ツチノコはもう飼えないの」

 誰かの質問に、先生は首を横に振った。

「もう無理よ。だって国内希少野生動植物種に制定されちゃったから、仕方ないじゃない」

「何それ。つまんねーの」

 ブーイングの声が上がるが、先生は両手を一回叩いた。

「話は終わり。さぁ、理科の授業を始めるわ」

 みんなも仕方なく教科書を開き、先生の話に耳を傾けはじめる。ふと前を見れば、教科書を覗き込む先生が見えた。その瞳は図鑑で見た、馬の目にそっくりだった。

(了)

 


 

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