瞳に天気雨

真野魚尾

まともな人

 今どき珍しい個人経営の古本屋で、俺はたった一人のバイト店員をしていた。

 店長は人が好いだけが取り柄の小太りおじさんだ。


「辻本君、ちょっとこれ見てくんない?」


 呼ばれて行ってみると、入荷した本のおすすめポップのデザインを相談された。


「何だかしっくりこなくてねえ。違和感テオティワカン、みたいな」


 店長の発言は後半スルー推奨だ。俺はエプロンのポケットからメモ紙を取り出し、マーカーで見本を描いてみせた。


「配色がマズいんだと思います。ここを補色関係にすると引き立ちますよ」

「おっ、流石だねえ。サスガニスタン! なんちって」

「…………」


 この人はいちいちダジャレを言わないと気が済まないんだろうか。二連発はちょっと俺もイラついてきた。


「店長、少しは真面目にやらないと売れる本も売れなくなりますよ」

「僕はいつも真面目だよ~。まあ、仮に売れなくても家賃収入があるしねえ」


 親から引き継いだ不動産があるこの人にとって、古本屋は道楽のようなものなんだろうけど。


「俺が困るんですって。生活がかかってるんですから」

「君が心配することはないよ。給料はちゃんと払うからさ」

「店が潰れてもですか?」

「そのときは……僕が養ってあげよう!」


 この人は一体どこまで本気なんだか。

 いい加減でおちゃらけてるけど、気さくでおおらかな人柄に、ともすると俺は甘えてしまいそうになる。


 一年前の雨の日、路頭に迷う俺を嫌な顔一つせず雇ってくれた、あのときのように。


「あれ、雨降ってきたんじゃない?」


 店長の声で俺は今に引き戻される。


「ほんとだ」

「季節の変わり目は天気も不安定だからねえ」


 そう言って傘立てを運び出そうとする店長を、俺は引き止めた。


「俺がやりますって。バイトなんですから、もっとこき使ってくださいよ」

「そうかい? 悪いねえ」


 俺は傘立てを持って表へ出る。




 小雨がしとしととアスファルトを濡らしていた。道行く人たちが早足で通り過ぎていく。

 そんな中、折りたたみ傘を差した男性が不意にこちらを見て声をかけてきた。


「おっ、辻本じゃん。久しぶり」


 俺は記憶をたどった。彼は確か、高校時代の同級生だ。

 清潔感があって、嫌味のないスーツの着こなし。見るからに遣り手の営業マンといった佇まいをしていた。


「うん。七年ぶり……ぐらいかな」

「辻本はここで何してんの?」

「今はこの店でバイトしてる」


 今は、だなんて見栄を張る自分が情けなかった。


「そっか。オレは新卒で入った会社で頑張ってる最中でさ」


 いい大学を出て、まっしぐらに出世街道を歩み、婚約者とは来年の結婚を見据えている。そんな彼の話はまぶしすぎて。


「そうなんだ。よかったね」


 俺には相づちを打つのがやっとだった。


 高校の時の俺は勉強を捨てて、ひたすらに夢を追いかけてた。必死に絵に打ち込んで、美術学校に入れたまではよかった。

 周りは俺よりもはるかに絵の上手い連中ばかりで、早くに心が折れてしまった。


 人付き合いが苦手で、要領も悪い俺のような奴は、最初から素直に勉強だけしていればよかったんだ。分不相応な夢を抱いたばっかりに、自分から未来をドブに捨ててしまった。


 俺は大馬鹿者だ。改めて思い知った気がしたんだけど。


「辻本も早くまともな仕事就けるといいな」


 別れ際のあいつの言葉が、どうしても心に引っかかってならなかった。




 まともな仕事って何だよ。

 山積みの本を一冊ずつ綺麗に拭いて、日焼けした小口を紙やすりで磨いて、お客が見つけやすいよう棚に並べて。


 押し黙ったまま作業を続けている俺に、店長が声をかけてきた。


「さっき話してた子、辻本君の知り合い?」

「……まあ……知り合いですね」

「だよねえ。友だちって感じじゃなかったよね」


 店長は人をよく見てる。それに話もよく聞いていたようで。


「焦るな、だなんて言わないけど、あまり思い詰めることはないよ。昨日より今日、今日より明日、一歩でも前に進めたら人生は上出来なんだからね」

「そんなもんですかね」

「そんなもんだよ。ほら、僕だって今日は君から新しいことを教わったじゃない?」


 さっき俺がポップを描くのを手伝ったことを言っているのだろうか。


「あれぐらい別に大したことじゃ……」

「謙遜するのはいいけど、卑屈になっちゃダメだよ」


 図星を突かれた気がした。

 そうか。さっき同級生の話が自慢に聞こえたのは、あいつが偉そうだからじゃない。俺が卑屈だったからだ。


「自分で選んで歩いた人生なんだし、誇ってもいいんじゃないかな。まあ、これは僕がそう思いたいだけなのかもしれないけど――」


 店長も家賃収入に頼らず生きようと、いくつもの国家試験に挑戦したこともあったそうだ。

 けれど、思うようにはいかなかった。月日だけが過ぎ、年齢だけを重ねて、何もかも無駄にしたと思った時、夢を見つけた。


「振り返ってみたんだよ、自分の歩んできた道をね。それまでに勉強した法律とか、息抜きに読んだ本の中とかにヒントはあったんだ」


 自分の好きな本だけを扱う古書店。店長の、そして今の俺の居場所。


「結果は得られなかったけど、過程で得られたものもたくさんある。君にとっての絵だってそうなんじゃないのかな」


 俺は答えられなかった。この場でそう簡単に割り切れるようなものじゃない。

 でも、うつむいている場合じゃないことだけはわかった。


 顔を上げると外の景色が見えた。折からの雨が止んで、晴れ間が覗いている。


「いやあ、外はいい天気。僕は能天気! なんちゃって!」


 店長は頭を掻きながら作業へ戻っていく。ガラにもない自分語りが照れくさかったんだろうけど、今の俺にはそれを茶化す気にはなれなかった。


「ははっ……」

「え? 今のシャレ、泣くほど面白かった?」

「たまたまツボに入っただけです」


 どんなにみっともなくても、前だけは向こうと決めた。しっかりと明日への一歩を踏み出すために。




〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

瞳に天気雨 真野魚尾 @mano_uwowo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画