交渉勇者
茶電子素
最終話
魔王城の前に立った瞬間、胃の奥がひっくり返るような感覚に襲われた。
緊張というより、もはや病気に近い。
ここに来るまでの一週間、俺は毎晩、胃薬を噛み砕くように飲んでいた。
名前はリオネル。一応『勇者』だ。
だが、戦闘力は“勇者としてはハズレ”。
魔族の四天王と同程度――
つまり、魔王目線で『ギリギリ強者扱いされるかどうか』のライン。
魔族社会は強者至上主義。
弱者の言葉は、風の音と同じ扱いだ。
だからまずは、強者のフリをしなければならない。
他にも、ブラフ、交換条件、虚実交えて全部使ってやろうと思っている。
それが人類代表としての、俺の武器だから。
……でも、本来の性格は、真面目で寡黙で、アドリブが壊滅的に苦手なんだけどな。
◆
魔王城の大扉を押し開けると、空気が変わった。
黒い大理石の床、赤い絨毯、左右に並ぶ魔族たちの視線。
奥には玉座。そして、その脇に四つの影。
魔王ゼルガドスと四天王だ。
俺は震えそうになる足を押さえつけながら、玉座へ歩み寄る。
魔王の真紅の瞳が、こちらを射抜いた。
その瞬間、肺が縮むような圧がかかる。
「人間か」
低く、淡々とした声。
暴君のような怒号ではない。
むしろ、静かすぎて底が見えない。
俺は、練習した通りの口調で返す。
「ああ。人類代表の勇者リオネルだ。魔王ゼルガドスとの会談を求めて来させてもらった」
敬語ではない。
だが、無礼でもない。
“対等の強者として話す”ための、ぎりぎりのライン。
魔王は片肘をつき、興味があるのかないのかわからない目で俺を見た。
「強さを示せ。話を聞くかどうかは、それからだ」
その言葉に、四天王がざわめく。
左から順に、鎧騎士ガルド、魔術師リュシエル、双剣のエイラ、獣人バルゴ。
全員が四天王として申し分ない怪物だ。
俺は、事前に読み込んだ資料を頭の中でめくる。
癖、戦闘記録、弱点。
その中で、唯一「まだマシ」と判断したのが――鎧騎士ガルド。
理由は単純。
真っ向勝負を好むタイプで、動きが読みやすい。
……読みやすいだけで、勝てるとは言っていない。
「四天王の中から選べ」
こっちに選ばせてくれるとはツイてる。
俺は一歩前に出ると、ガルドを指した。
「……鎧のあんたと戦わせてもらおうか」
ガルドの兜の奥が、わずかに動いた。
「ほう。人間が我を選ぶか」
「他の三人より、あんたの方が“話が通じそう”だったんでな」
挑発と敬意を混ぜた、絶妙な言い回し。
話し方だって、鏡の前で何度も練習した。
ガルドは金属が擦れるような笑い声を漏らした。
「面白い。受けて立とう」
◆
闘技場に移動すると、魔族たちの歓声が響いた。
俺は剣を握り直し、汗で滑りそうになる手のひらを押さえる。
ガルドが大剣を構え、低く言う。
「名を名乗れ、人間」
「リオネルだ。あんたを倒して、魔王との席に着かせてもらう」
自分で言っていて、胃が痛くなるほどの虚勢だ。
◆
――ガルドが踏み込んだ瞬間、視界から姿が消えた。
――速い。
突進。
読み通りだが、資料より速い。
俺は横へ一歩だけ踏み出し、最小限の動きで避ける。
直後、地面が砕けた。
さっきまで俺がいた場所が、深く抉れている。
喉が鳴る。
心臓が暴れる。
だが、表情は崩さない。
「その程度かよ」
言った瞬間、心臓が止まりそうになるほどの圧を感じた。
ガルドの殺気が、闘技場を満たす。
「貴様……!」
次の攻撃は横薙ぎ。
踏み込みが深い。
が、狙いは読みやすい。
俺は懐に潜り込み、鎧の隙間へ剣を突き立てる。
だが、あと少し届かない。
ガルドの大剣の柄が脇腹に叩き込まれ、肺の空気が全部抜けた。
視界が白く弾け、身体が転がる。
痛みで意識が飛びそうになるが、何事もなかったかのように立ち上がる。
「……悪くないな。ちょっとワクワクしたよ」
ワクワクどころではない。
本当はガクブルだ。
肋骨も悲鳴を上げている。
ガルドは腹の傷を無視し、再び突撃してくる。
だが、怒りで動きは雑になっている。
俺は紙一重で避け続ける。
足が震え、膝が笑い、呼吸が乱れる。
それでも、口だけは止めない。
「おいおい、どうした。さっきより踏み込みが甘いぞ」
ガルドの怒りが爆発する。
観客席からも野次が飛ぶ。
俺に向けられているのは、ほぼ憎悪と嘲笑だ。
……問題ない。
嫌われるのも嗤われるのも構わない。
とにかく生き残れば勝ちだ。
ガルドの呼吸が荒くなる。
無駄な力が入り、動きが鈍る。
――今だ。
「やっぱり四天王って大したことないな」
ガルドが咆哮し、全力で踏み込んでくる。
「おお、やればできるじゃん」
俺はわざと足をもつれさせた。
ガルドの目に「勝った」という油断が浮かぶ。
その瞬間、攻撃の軌道が甘くなる。
俺は身体を捻り、ぎりぎりで大剣を避け、腕を掠めさせる。
肉が裂ける痛みを無視し、足首へ斬撃を叩き込む。
ガルドの巨体が揺らぎ、膝が折れた。
観客席がざわめく。
俺は涼しい顔を装いながら、落ち着いた声で言う。
「……もうやめとけ。これ以上続けてもアンタじゃ勝てねえって」
(いや、もう無理。ギリギリにもほどがある。続けようとか言われたら、その瞬間詰む!)
ガルドはしばらく沈黙し、やがて大剣を地面に突き刺した。
「……認めよう。貴様の実力、そして胆力。確かに我らを凌駕するやもしれん」
俺は、倒れそうになる身体を必死に支えていた。
虚勢は、戦いが終わっても続けなければならない。
◆
玉座の間に戻ると、魔王ゼルガドスがわずかに身を乗り出した。
「見事だ、リオネル」
その声は淡々としているが、先ほどより興味が混じっている。
俺は傷を最低限だけ治し、痛みを抱えたまま前に出る。
「それで、目的はなんだ」
魔王の問いに、俺は深く息を吸う。
「ああ。人類の存続条件について、話をつけにな」
玉座の間がざわつく。
魔王は表情を変えない。
「存続条件、か。随分と現実的だな」
「俺みたいのが、あと5人もいれば戦うって手もあるんだけどな。(ほんとはあと5人程度じゃどうにもならんけど……)
まあ、そっちの理もあるだろう。無条件で見逃してくれとは言わない。互いに利益がある形を探したいんだ」
「具体的には?」
来た。
ここからが本番だ。
「人間の領域の一部を、魔族側の支配下に置く。その代わり、残りの領域と住民の生命を保障してほしい。資源や労働力は、定期的に上納する」
魔王はしばらく沈黙し、やがて口元をわずかに歪めた。
「……人間にしては、随分と冷静だな。勇者ならもっと綺麗事を言うものだと思っていたが」
「綺麗事で見逃してくれるほど、アンタは甘くないだろ?」
魔王の瞳に、わずかな愉悦が宿る。
「いいだろう。話を聞く価値はある」
胸の奥で、何かが崩れ落ちるような感覚がした。
生き残った。
とりあえず、入口だけはこじ開けた。
「ただし、勘違いするな。我が話を聞くのは、貴様が“弱者ではなかった”からだ」
「わかってるって」
(自分でも驚くほど落ち着いている……
恐怖で麻痺した心が功を奏しているのか?)
「では話せ。人類の命運を賭けた勇者よ。貴様の舌が、どこまで我を退屈させずに済むのか」
俺は一瞬だけ目を閉じると、脇腹の痛みを押し殺した。
「まずは……これまでの戦いの損失から整理させてもらう」
長い交渉の、最初の一歩。
魔王が静かに頷いた瞬間、安心するとともに再び恐怖心が湧いた。
――まだ死ねない。この舌だけは、最後まで使い切る。
そう思いながら、俺は次の言葉を紡いだ。
交渉勇者 茶電子素 @unitarte
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