記憶を売る世界で、僕だけが空っぽだった

@Mrv1xdz

第1話 空の

この世界では、記憶が売られている。


比喩でもなければ、詩的な誇張でもない。


文字通りだ。


人々は店に入り、白い椅子に座り、契約書にサインし、人生で最も幸せだった日を思い出すことなく店を出る。あるいは、最も辛かった日を。時にはその両方。その代わりに、彼らは金や地位、あるいは単にもう少し長く生きるチャンスを手に入れる。


私は一度もそうすることができなかった。


なぜなら、私は空っぽの状態で生まれたからだ。


私の名前は布山明。16歳。システムが有効とみなす記憶は一つもない。


何も覚えていないわけではない。歩き方、話し方、毎朝学校へ行く方法さえ覚えている。しかし、それらの記憶は価値がない。感情的な重みがない。抽出しても、保管しても、売っても役に立たない。


アイデンティティ・インデックスによれば、私は無関係なのだ。


「次。」機械的な声が私の考えを中断させる。目の前で、私と同い年くらいの少女が抽出椅子から立ち上がる。潤んだ瞳と震える笑み。胸に黒いカードを握りしめている。支払いの証だ。


彼女が何を売ったのかは分からない。初恋の相手かもしれない。幼い頃、彼女を抱きしめてくれた母親の顔かもしれない。ここでは誰も質問しない。

私は中に入る。


部屋はいつも同じだ。白い壁、冷たい照明、中央に椅子がある。私は座り、金属製の背もたれに頭を預ける。技師が私のこめかみに装置を合わせる。


「名前。」


「冬山明。」


「年齢。」


「16歳。」


「抽出の理由。」


「特にありません。」と私は答える。


技師はため息をつく。怒っているのではなく、疲れたように。彼は眼鏡越しに私を見る。


「またあなたか。」私は頷く。私たちは既に知り合いだった。


「アイデンティティ指数:0.02」と画面に表示されている。「断片化システムと互換性がありません。交換可能な記憶はありません。」装置が鋭いビープ音を発する。私は断る。


「申し訳ありません」と彼女は言ったが、誠実な口調ではなかった。「私たちにできることは何もありません。」

彼らは決してできないのだ。

私は立ち上がり、部屋を出る。廊下で、先ほどの少女が私を見つめている。彼女の目は、もうそこにない何かを探しているようだった。


「うまくいった?」と彼女は尋ねる。

何と言えばいいのか分からなかった。結局、私は真実を話す。


「何も売るものがないんです。」

彼女は瞬きをする。そして、憐れみと羨望が入り混じった笑みを浮かべる。


「それなら、あなたは幸運ですね。」

私はそうではない。

私は外に出る。街はいつも通り機能している。記憶の価格を宣伝するスクリーン、まるで宝石のように断片を売買する人々、学校でどの感情が最も価値があるかを学んでいる子供たち。

幼い頃から、私たちは記憶の扱い方を教えられる。

執着しすぎないこと。

苦しみすぎないこと。

あらゆるものが通貨に変わる。


私は何も通貨にできない。


だからこそ、私は誰もやりたがらない場所で働いている。

損傷した記憶修復センターは街の下町にある。ここには、断片的な記憶が流れ込んでくる。うまく抽出されていない記憶、不完全な感情、文脈のない光景。私の仕事は、それらを観察し、分類することだ。


触れるのではなく。

感じるのではなく。ただ見るだけだ。


「遅すぎます」と監督官は顔を上げずに言う。


「3分です」と私は答える。


「3分は遅いです」私は手袋をはめて、ビューアーの前に座る。最初の断片が目の前に映し出される。雨の中を走り回り、笑っている子供の姿だ。映像が突然途切れる。読み込みエラー。ファイルを不安定としてマークする。


時々、自分がこんな風に感じたらどんなだろうと考える。笑い声。雨。あらゆる感​​情。


でも、何も感じない。


そして、この世界では、それが問題なのだ。


「アキラ」私は顔を上げる。部屋の向こう側に少女が立っている。黒髪、明るい瞳。私とは違う制服を着ている。


「はい?」


「私を助けてくれるのはあなただけだと言われたのに」私は眉をひそめる。


「あなたは間違っていた」彼女は首を横に振り、近づいてくる。


「いいえ。私は子供の頃の思い出を売ったの。全部。でも、消えないものがあるの」彼女はポケットから小さな青い破片を取り出す。それはひび割れている。


「雪を見ると…泣いてしまう。なぜかはわからない」久しぶりに、好奇心のようなものを感じた。


「私の名前はアオモリユキです」と彼女は言う。「そして、あなたは私がもう覚えていないものを見ていると思います」私は破片を受け取る。


その時、世界が砕け散った。


何も見えない。

音も聞こえない。ただ感じる。

柔らかな寒気。小さな手。私ではない笑い声。白い空の下で交わされた約束。

私は膝をついた。


「アキラ!」誰かが叫ぶ。


破片は暗くなる。痛みが消える。

私は息を荒くする。

こんなことは起こるはずがなかった。

そんなことは決してなかった。


「何を…したの?」ユキが青ざめて尋ねる。


私は彼女を見る。私の手は震えている。


「わからない」と私は答える。「でも、私ではない何かを思い出したような気がする。」


そして、生まれて初めて、私は恐怖に襲われた。

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