小麦が紡ぐ物語

日比野きみ

初恋はパン屋さん

奏の初恋はパン屋さんのお兄さん。

自営業を営む両親は忙しく、「お昼を買っておいで」と週末は、通り向かいのパン屋さんに送り出された。


そのパン屋さんは地域に密着していて、メロンパン120円、サンドイッチが250円、食パンは1斤が200円。

500円玉ひとつでこどものお腹はいっぱいになる量が買えた。

奏はパンの香りが大好きだった。

それ以上に、パン屋のお兄さんがもっと好きだった。


「奏ちゃん、いらっしゃい。今日は何にする?」

お兄さんは、メロンパンが好きな奏のために、カメさん型にしたメロンパンを良く作り置きしてくれていた。

「メロンパン!」

奏が言うと、店頭に並ばないそれは、店の奥の秘密の扉から運ばれてくる。

それも奏がこのお店が好きな理由の一つだった。

ハード系のパンも好きで、こどもながらにフランスパンを買って、お家でカスクートを作って食べたりもした。


お兄さんが焼くパンはどれも美味しかった。


ある日、奏は家で母親に言った。

「おかーさん、私、大きくなったらパン屋さんになる」

「そうなの?奏はパンが好きだもんねぇ」

「だから、お兄さんのお嫁さんになるんだ!」

母は驚いた顔をしていた。

奏のパン屋さん通いは続いた。なんなら、

「おかーさん、お金ちょうだい。お昼パンがいい!」

とまで言ってた。


ある日、お店に行くと、カウンターの中に綺麗なお姉さんがいた。

「いらっしゃいませ」

と奏に向かって言った。

――誰?

と思いながら

「こんにちは」

と返事をすると、秘密の扉からお兄さんが出てきた。

「こんにちは奏ちゃん、いらっしゃい」

そして、お姉さんに声をかける。

「この子が話してた斜め向かいのお嬢さんで奏ちゃん。ウチのお得意様だよ」

そして奏に向き直ると、

「この人、佳苗さんって言うんだ。僕のお嫁さん、奏ちゃんと一字違いだね」

お兄さんがはにかんで紹介する姿は憎らしかった

奏がお兄さんのお嫁さんになるはずだったのに。

それでもお腹は減る。

「これと、これとメロンパン」

「はい」

お姉さんはテキパキとパンを袋に詰めた。そして、奏に向かって

「すこし待って貰えるかな?」

と言うと、奏が入ったことのない秘密の扉に消えていった。

お兄さんはいつも通り、学校のことや昨日のアニメの話を奏に聞いてくる。

上の空で返事をしていたら、お姉さんが秘密の扉から出てきた。

「あの、奏ちゃん。これよかったらどうぞ」

お姉さんが差し出したのはイチゴの飾りが付いた髪留めだった。

「え?いいの?」

「私ね、お嫁に来るまで雑貨屋さんで働いてたの。他にも色々あるから、今度お家に遊びに来てね」

そう言われて、髪留めとパンを受け取ると家に戻る。


「おかーさん、パン屋さんにお嫁さんが来たよ。佳苗さんって言うんだって。これくれた」

パンを食べるのも忘れて髪留めを見せると、早速付けて鏡の前でポーズを取る。

「似合うわよ。よかったわね」

母は、ほっとしたような表情で

「今度、お礼に行かなくちゃ」

と呟いていた。


それから、パン屋さんに行くたびに、佳苗さんは可愛い小物や見たことのない外国のお菓子をくれた。

奏はいつの間にかお兄さんのお嫁さんになることを忘れ、佳苗さんと過ごすためにお店に通うようになっていた。

佳苗さんが妊娠し、女の子が生まれたとき、妹ができたような気持ちになって、奏は何時間もだっこしたり、おんぶしたりして可愛がった。


奏の初恋はいつの間にか終わりを告げた。

けれどパンの香りは、初恋の記憶と同じように、いつまでも心に残っていた。



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小麦が紡ぐ物語 日比野きみ @syasyarin

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