天気

沢田和早

天気


 いい天気だ。今朝の予報では降水確率20%だったから雨の心配はないだろう。ただ風が冷たい。小寒を過ぎると強風でなくても北風が身にしみる。厚着をしてきてよかった。

 背中を丸めて山門に通じる石段を登っていると、後ろから棒読みのように無機質な声が聞こえてきた。


「おい、本当に食えるんだろうな。この前みたいな絵に描いた餅はごめんだぞ」

「それはこっちのセリフです。誰のせいであんな目に遭わされたと思っているんですか」

「俺のせいだ。わっはっは」


 悪びれることなく大笑いしているのは僕の先輩だ。

 先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩は一年浪人してしまったからだ。

 同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。


「笑い事じゃないですよまったく。でも今回は僕が入手した情報ですからね。100%大丈夫です」


 数日前、先着10名に餅がもらえるという先輩の言葉を信じて30キロ離れた神社へ行ったのだが、もらえたのは餅の絵が描かれた紙きれ一枚だけ。しかも神社を出たらその紙は朴葉に変わってしまった。

 餅を食い損ねた僕は悔しくて正月の振る舞いイベントをネットで検索。その結果、1月7日の今日、10キロほど離れた寺で七草粥の炊き出しが行われることを突き止めたのだ。

 僕らの他にも数名が参道を歩いているし、境内からは賑やかな声が聞こえてくる。今回は確実に七草粥にありつけそうだ。


「寒いけど天気はいいし来てよかったですね。あれ、あの札は何だろう」


 門前に真新しい木の札が立っていた。「山門不幸」と書かれている。


「つまらんことを気にするな。それよりも急げ。粥はなくなり次第終了なんだ。ここまで来て食えなかったらシャレにならん」


 先輩はまるで頓着せず僕を追い抜いて門をくぐっていく。続いて中に入ると境内は思ったより大勢の人でごった返していた。その多くはお年寄りや女性だ。今日は平日だし学校も始まっているのだから当然と言えば当然か。


「これならたらふく食えそうだな」


 寺務所横の屋内に置かれたテーブルには七草粥の入った発泡どんぶりが所狭しと並べられ、人々が我先にと取っていく。その奥にはもうもうと湯気を立てる大鍋が置かれていて、法被を着た坊主頭の男性がひしゃくを使ってどんぶりに粥をすくい入れている。まるで何かのお祭りのような盛況ぶりだ。


「さあさあ、どんどん召し上がってくださいね」

「僕らもいただきましょう、先輩」

「うむ」


 僕はテーブルに置かれたどんぶりを手に取った。しかし先輩は何も取らずその奥へ突き進んでいく。何をするつもりかと思っていたらリュックから巨大などんぶりを取り出した。そこへ粥を注ぐよう頼んでいる。ひしゃく3杯分の粥を手に入れた先輩は意気揚々と戻ってきた。見ているこっちが恥ずかしくなる。


「まさかマイどんぶりを用意しているなんて。しかもその大きさ、ちょっと欲張りすぎじゃないですか」

「何を言っている。これはエコ活動の一環だ。俺は常に地球の環境を考えているのだ。はふはふ」


 マイ箸を使って七草粥を味わう先輩。本当に言い訳がうまいなあ。そしてこの七草粥もうまい。北風で冷えた体に熱々の七草粥がしみわたっていく。それにこの白米。最近は麺類ばかり食べているので久しぶりの白飯は本当に有難く感じる。


「少し味に飽きたな」


 先輩がリュックから七味唐辛子を取り出して粥にかけた。マイ調味料まで用意していたのか。抜け目ないな。しかし用意していたのはそれだけではなかった。味噌、塩、醤油と次々に取り出し粥にぶち込んでいる。用意周到にもほどがあるだろう。


「よし、お代わりだ」


 空になったマイどんぶりを持って屋内に入っていく先輩。僕ももう一杯もらって食べた。さすがに満腹だ。しかし先輩は食べたりないらしい。


「よし、お代わりだ」

「いくらなんでも3杯目は厚かましすぎるでしょ」

「人が減ってきているのに粥はまだたっぷりある。残すよりはいいだろう」


 そう言って先輩は再び屋内に消えた。食べ終わった容器をゴミ箱に捨てて持参したペットボトルのお茶を飲んでいると、近くにいるご婦人たちの会話が聞こえてきた。


「ご住職さん、本当に良い方ね。奥さんを亡くされたばかりなのに、あんなに明るく振る舞われているんだもの」

「自らひしゃくを取って配られているんですからね。頭が下がります」


 なるほど。法被を着た坊主頭の男性は住職だったのか。


「今日の七草粥会も中止にするはずだったのに、もう準備も済んでいるし奥さんの供養にもなるって開催されたんですって」

「法要やご祈祷も普段通り受け付けるみたい。でも初七日が済むまでは遠慮しちゃうわよねえ」

「少し寒くなってきたわ。そろそろ帰りましょう」


 ご婦人たちが席を立った。境内を見回すと賑わいは落ち着きを見せ始めている。いつの間にか日差しはなくなり風の冷たさが厳しさを増してきた。見上げると空は灰色の雲に覆われている。どうやら天気は下り坂のようだ。


「住職の奥さん、最近亡くなったのか。じゃあ門前に立っていた山門不幸の札ってそういう意味だったのかな」


 体だけでなく心まで冷えていくような気がしたところで先輩が戻ってきた。3杯目の粥は持参した全ての調味料を一気にぶち込んで食べている。


「先輩、雲行きが怪しくなってきましたよ」

「そうだな、はふはふ」

「それを食べたら帰りましょう」

「案ずるな。降水確率は20%なのだ。気象庁を信じろ、はふはふ」

「でも……」

「はふはふ」


 悠然と粥を味わう先輩。頬に冷たいものを感じた。雨だ。境内の人々は一斉に屋内へと移動し始めた。


「言わんこっちゃない、降ってきましたよ。僕らも避難しましょう」

「そうだな、はふはふ」


 屋内はすでに満員だったので寺務所の軒下で雨宿りすることにした。先輩は立ったまま粥を食べている。


「あーあ、確率20%だったのになあ。天気予報、大外れですね」

「いいや外れてはいない。確率20%とは今日が10回来ればそのうち2回は雨が降るという意味である。今日はその2回の今日に当たってしまったというだけで外れてはいない」


 また先輩の屁理屈が始まった。なんにせよ愚痴ったところで雨は止んでくれないのだから、これ以上文句を言うのはやめておこう。そうこうするうちに先輩は3杯目の粥を平らげてしまった。


「うむ、うまい七草粥であった。まだ物足りぬが腹八分目にしておこう。おい、帰るぞ」

「帰るって言っても雨が降っているんですよ。この寒さの中、ずぶ濡れになって10キロも自転車を走らせたら風邪をひいてしまいます」

「雨合羽を着ればいいだろう」

「持ってませんよ。確率20%だったんだから」

「俺は持っている」


 先輩はどんぶりをリュックにしまうと雨合羽と長靴を取り出した。この抜かりのなさは見習うべきだな。


「先輩は持っていても僕は持っていません」

「なら傘を貸してやる」


 先輩はリュックから傘を取り出した。本当に何でも入っているなこのリュック。


「自転車の傘さし運転は道交法違反ですよ」

「だったらおまえは歩いて帰れ」

「傘をさして自転車を押して10キロも歩くなんて真っ平ごめんですよ。僕は雨が止むまでここで待っています」

「ちっ、どこまでもわがままなやつだな」


 雨合羽と長靴で完全武装した先輩は仏頂面をしたまま沈黙してしまった。こちらも言うことはないので黙っている。雨脚は強くなる一方だ。そのまま時が経過すること数分、境内を見回していた先輩の口元に笑みが浮かんだ。


「ほほう、ここには面白いものがあるじゃないか。付いてこい」


 何の説明もなく雨の中へ歩き出す先輩。仕方ないので傘を差してその後に続く。本堂を回り込んで先へ進むと裏参道へ続く裏門があった。その横に大きな石柱が立っている。真ん中には縦長の穴が開いていて、そこには金属の輪がはめ込まれていた。


「あったぞ。あの輪を回せ」

「はあ? いきなり何を言っているんですか」

「雨を止ませたいんだろう。あれを使えば止むぞ」

「あれを使うって、どうやって使うんですか。そもそもあれは何ですか」

「あれは天気輪だ。そんなことも知らんのか」


 それから先輩の説明が始まった。大昔から農耕民族にとって天気は悩みの種だった。日照りが続けば作物が枯れ、大雨が続けば根が腐る。雨乞い、晴れ乞いは重要な儀式であり、そのために作られたのが天気輪なのだそうだ。天への願いを込めて一心に輪を回せば天気すらも変えられる、ということらしい。


「つまり晴れますようにと祈りながら柱の輪を回せば雨は止むってことですか」

「そうだ。やれ」


 とても信じられないがものは試しだ。晴れますように晴れますようにとつぶやきながら輪を回してみた。何回も回してみた。ちょっと手のひらが痛くなるくらい回してみた。天気は一向に回復しない。


「全然止まないじゃないですか」

「おまえの願いが浅いのだ。もっと真剣に願いを込めて回せ」


 再び挑戦する。同じだ。雨は降り続いている。そもそも輪を回しただけで天気が回復するなら天気予報なんて不要じゃないか。だんだん馬鹿らしくなってきた。


「こんなのただの迷信ですよ。僕はもうやめます」

「やれやれ。やはりおまえのような凡人ではこの天気輪は扱えぬか」

「先輩なら扱えるんですか」

「無論だ」

「だったら先輩が回してくださいよ」

「俺は雨が降り続いても構わない。雨合羽があるからな。それにどうして俺が天に願い事をせねばならんのだ。願い事をするのは俺ではなくむしろ天の方であろう。俺に願ってくれと天が頼むなら願ってやらんでもない」


 何という自尊心。自分は天より偉大だと思っているのだろうか。これ以上ここにいても無駄だ。先輩を置いて立ち去ろうとすると声を掛けられた。


「そんな所で何をしておるのかね」


 傘を差した坊主頭の老人だ。見覚えがある。ひしゃくで粥をすくっていた人、つまりこの寺の住職だ。これはまずいな。寺の石柱をぞんざいに扱っていたと知れたら叱られるのは確実だ。先に謝っておこう。


「すみません。どうしても雨を止ませたくて天気輪を回していたんです。無断で触ってしまって本当にごめんなさい」

「おや、天気輪をご存じなのかね。お若いのに物知りですな。確かにその場所には天気輪があったと言い伝わっております。江戸時代の中頃にはもうなくなっていたそうですが」

「えっ?」


 住職は何を言っているのだろう。天気輪は今もここに立っているじゃないか。いや待てよ。僕は今先輩と一緒にいる。そして先輩の近くにいると見えないモノが見えたりする。サムソンの骨然り。雪娘のユキちゃん然り。だったらこの天気輪も。


「先輩、そこから動かないでくださいね」


 僕は少しずつ天気輪から遠ざかった。10歩ほど離れた場所で天気輪は見えなくなった。間違いない。この天気輪はこの世ならざる物。つまり天へ願いを届けられる本物の遺物なのだ。


「ふっ、ようやく気づいたようだなこの愚か者め。天気輪の実体は失われたが天へ通じる気脈はまだこの場所に残っている。いわば受信料を払うのが嫌でテレビは捨てたがアンテナが残っているのと同じ状況だ。おまえのためにわざわざ俺の力で天気輪の虚像を現出させてやったというのに、疑いの心を捨てきれていなかったのだろう。だから雨が止まないんだ。少しは真剣になれ」

「わ、わかりました」


 再び天気輪に触れゆっくりと回す。先ほどまでの浮ついた気持ちは消え、僕の心は驚くくらい厳粛になっていた。目を閉じて一心に祈る。天よ、お願い申し上げる。何卒雨を止ませ給え。僕らが家に帰りつくまででいいのです。雨を止ませ給え、雨を止ませ給え……。


「おや、小降りになってきましたな」


 住職のつぶやきが聞こえた。見上げれば雲が切れ始めている。やがて雨は完全に上がった。届いた。天は僕の願いを聞き入れてくれたのだ。


「止みましたね、先輩」

「止んだな」

「あなたがたは不思議ですな。まるでそこには本当に天気輪があるように思えてきます。羨ましいことです」


 住職が僕らの横に立った。やはり天気輪は見えていないのだ。返答のしようもなく黙っていると先輩が口を開いた。


「羨ましい?……そうか。おまえが山門不幸の住職なのだな」

「はい。先日妻を亡くしました。もし天気輪があればと思わずにはいられません」

「用途としてはそちらの方が一般的だからな」

「そうですね。天気輪という名称もあまり使われていないようです」


 さっきから何を話しているのかさっぱりわからない。きょとんとしてふたりを眺めていると住職が教えてくれた。


「天気輪によって捧げられる願いは天気だけではありません。死者の冥福を願う時にも使われるのです。それゆえ天気輪は後生塔とも呼ばれています。私の妻は寺住まいのくせに仏ではなく神様を信じておりましてな。亡くなった者の魂は天の川を昇って天に召されるのだといつも話しておりました」


 住職は陽光の差し始めた天を見上げた。その先には亡くしたばかりの奥さんが見えているのかもしれない。なんだか天気輪が見えている自分が申し訳ないような気がしてきた。やがて住職は先輩に視線を移した。


「それにしてもあなたは普通の人間ではありませんな。持参したどんぶりで2回もお代わりをした時からそう思っていました。尋常ならざる気配を感じます」

「ほう、それを感じられるおまえも普通の人間ではないな。ならば見えるかもしれん。俺の頭に触れてみろ」

「えっ、いやしかし人様の頭に触れるなど……」

「いいから触れろ」


 年上の住職に対しても問答無用でタメ口か。人を敬うことを知らないからなあ先輩は。


「それでは失礼して」


 持ち上げられた右手が先輩の頭に触れた途端、住職は声を上げた。


「まさか、これは……見える! 私にも見えます天気輪が」

「そうか、よかったな。ならば好きに使うがいい」


 住職の左手が輪を回し始めた。読経の声が聞こえてくる。僕は空を見上げた。


「ええっ!」


 驚きの声を上げてしまった。周囲が暗闇に包まれたのだ。頭上には無数の星々がきらめく夜空が広がっている。そして南の空には大地から立ち上がるように大銀河が天に伸びていた。


「どうしてこんなことが」

「住職、やはりただ者ではなかったか」


 乳白色の雲のような銀河の中を数両連結の列車が天に向かって走っていく。その窓のひとつに女性の顔が見えた。彼女は僕らに気づくとにっこりと笑い手を振った。経を読み続けていた住職は先輩の頭に触れていた右手を離し手を振った。大きく、力強く、懐かしい思い出に浸るような笑顔を浮かべながら。だがそれも長くは続かなった。気がつくと僕らは元の日中の景色の中にいた。星空も大銀河も列車も、まるで夢の中の出来事のような気がした。


「行くぞ」


 先輩が歩き出した。僕も続く。住職は空を見上げたまま静かに合掌していた。


「先輩、さっきの夜空は何だったんでしょうね」

「住職の願いを天が聞き入れたのだ。天気輪が見えただけでも驚きなのに、亡き者に対してあそこまで深い思いを抱いていたとはな。さぞかし仲の良い夫婦だったのだろう。おまえとは大違いだ」

「僕だって天気輪を回して雨を止ませたじゃないですか」

「あれはおまえの手柄じゃない。単なる偶然だ。何もしなくてもあの時刻になれば雨は止んだのだ。ただの通り雨だったのだろう。おまえ如きが天気輪を扱えるはずがない」


 先輩の言葉を聞いて、わずかに残っていた僕の矜持は一瞬で崩壊してしまった。つまり骨折り損のくたびれ儲けだったってことか。でもいいや。軒下で待っているよりも楽しかったし。


「雨も止んだし、帰るぞ」


 先輩は雨合羽と長靴を脱いでリュックにしまった。僕はもう一度天を仰ぎ見た。広がり始めた青空の向こうに、宝石のような光を放ちながら大銀河を昇っていく小さな列車が見えたような気がした。














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