ルザーハウル

沖田ノボル

プロローグ

”ミスティアへ

君がこれを読んでいる時、私はすでにこの世にいないか、あるいは病床に伏せているかもしれない。もしかしたら奇跡的に病が治り、レーヌ湾の畔で昼間からワインを楽しむような、優雅な生活を送っているかもしれない。

どちらにせよ、君には話しておかねばならないことがある。きっと、これが私の見聞きしたことを君に伝えられる最後の機会になるのは間違いないからだ。

君がフォルクス女学院に入学した事は耳に入っていた。まずはお祝いを言っておきたい。本当によくがんばったね。おめでとう。

それと祝辞が遅れてすまなかった。君のお母さん…サラも誇りに思っていることだろう。

さて、あの格式高い名門校に入学を認められるほどの、聡明な頭脳を持つ君のことだから、私たち獣人と君たち人間の正史について、すでに深い知識を持っていることと思う。けれども、私のような老獪は君も知らないことを、若い世代に伝える使命がある。

知っての通り、人間と獣人は半世紀以上も前から争い続け、先の獣人大戦で竜人ナーガ煌星アスタリスクを破壊することで、人間は戦争に勝利した。獣人はずっと屈辱と隷属の歴史を歩んできたというわけだ。既知の事実を語るようで申し訳ないが、本で読むのと経験をすることには埋められない差というものがある。

当時は私も、虐げられてきた獣人の一人だった。今では幸せに生きていると信じているが、あの頃はそんな幸せを願う発想がないくらい、ひどい時代ではあったよ。

もちろん、自分たちの境遇を変えようと行動した獣人は確かに存在した。ある者は人間との対話、そして非暴力非服従を信条とし、ある者は武器と恐怖で革命を成し遂げようと画策した。

結局彼らは、その活動の内容がどうであれ、「テロリスト」とか「アナーキスト」と一纏めに呼ばれた。

詰まるところ、どれほど強い信念と並外れたカリスマ性を持っていても、簡単に世界の在り方は覆らないということだ。これだけ言ってしまうと、夢も希望もないのだけれど、事実、彼らだけでは世界を変える事はできなかった。なぜならどんな天才であっても、決して独りの力では世界を変えることはできないから。それだけ世界は圧倒的に広くて、力強くて、たくさんの価値観を持つ人々が住んでいる。そんな世界で、私はある人物と出会った。

彼の名前と存在は、公にはされてない。

なぜなら彼は決して革命家でも崇高な理念を持った人物でもなく、それどころか盗人だった。世界の変革にはとんと興味などなかったし、極悪人と言えるほどの悪行を重ねていた訳ではないが、善人とも言い難い。

史実に名を連ねるには、あまりにも中途半端で、美談を語るには不適切と言われても仕方がない。それが彼だった。

けれど、そんなたった一人の小悪党、しかも獣人である彼は、世界の危機を救い、長年の獣人の悲願を達成する助力となった。

彼は特別な存在だったのだろうか?当時の改革者や権力者よりも、知恵と勇気に溢れ、強い気概と冷酷さを持ち合わせていたのか?それとも、全て偶然の産物だったのか?

その全てが正解とは言えない。だが私を含め、彼を知る者たちは知っている。

彼は世界を変えることよりも、自分らしく生きることを重んじたんだ。


ウィリアム・スウィフト

晩年の手紙より抜粋



―星歴1849年8月1日―


竜人ナーガ領ケツァル朝 首都モクテスマ―


その日、竜人ナーガの現王、マティカ4世はコルテス神殿へと足を運んでいた。

その神殿は、首都で最も神聖な場所であり、その最上部の神託の間には、竜人ナーガの煌星の最底部が天井から伸びている。

かつて黒い天からこの世界に降り立った7つの巨大な光の柱。そのうちの3つは人類の住む大陸に降り立ち、残りの4つは獣人の住む大陸に降りてきて、人間と獣人に知恵を授けた。

やがて知恵を授かった人間と獣人は、この巨大な光を神と崇めるようになり、煌星アスタリスクと呼ぶようになった。

そこまでの伝承は、人間文明も獣人文明も共通している。ここも然り、煌星アスタリスクが鎮座する地を中心に国が興り、神殿が建てられた。

もはや神の存在が形骸化してきているこの時代においても、煌星アスタリスクはその発光原理も物体構造も未知の存在であり、全高1200メルテルのこの物体が浮遊している原理も未だにわかっていないことから、辛うじて信仰の対象としての地位を保っている。

だが、この煌星アスタリスクは、それが放つ神々しい輝きと巨大な構造物が原理不明で浮遊しているという事実そのものより、それがもたらす恩恵の方に人々は感心を持っていた。

神託の間で、マティカ4世は自国の煌星アスタリスクが放つ黄金色の輝きをじっと見つめたのち、床に膝をついて、額を地に擦り付けながら祈り始めた。

崇めるように両手を上げ、何度も起き上がっては平伏す行為を繰り返す。竜人ナーガに古くから伝わる伝統的な礼拝方法だった。

だが、しんと静まり返っていた神託も間も、やがてくぐもった砲音と共に地鳴りがして、建物が何度も揺れだした。

「申し訳ございません。ただ今、陛下は礼拝中でして・・・」

「緊急事態だ。開けてくれ」

しばらくして神託の間を隔てる門の外から、衛兵らのやり取りが聞こえてくる。

しばらく悶着があったのち、門が開かれた。

二人の若い竜人ナーガの男女が、部屋で礼拝をする王を見つけ、足早に近づき、まずは御神体である煌星アスタリスクに深々と一礼をした。

「・・・陛下、御礼拝のところ、どうかお許しください」

「ラグダ。それにタリカ」

マティカ4世は、黄金色に輝く目を彼らに向ける。彼の息子である王子、ラグダは神妙な面持ちで父王に言った。

「先程、伝令からの報告で、自軍および友軍の奮闘虚しく、敵軍がすでに街の南門を突破したと」

息子のラグダからそう伝えられた後、マティカ4世は深呼吸をしてから立ち上がる。自身の尾を法衣にしまい込み、二人に向き直った。

「・・・そうか。尖牙隊は壊滅したか」

「はい。死力を尽くしたようですが」

目を閉じながら深呼吸をする冷静な物腰の父王と違い、ラグダは悔しそうに顔を歪める。

「私が戦場にいれば、彼らは・・・」

「息子よ」

ラグダが皆まで言う前に、マティカ4世は彼の肩にそっと手を乗せた。

「お前は確かに強い。されども、万能ではない」

「ですが・・・」

言わんとしていることは理解できるが、やはり納得ができない。ラグダは次期王として、誰よりも強く賢くあろうとしてきた。この戦においても、幾度となく部隊を率いて先陣を切り、人類連合軍を翻弄してきた自負がある。なのに、戦局は悪化の一途を辿り、もはや首都を包囲されている。

悔しい気持ちは父王を充分理解してくれているだろう。むしろ、多くの民草を人間に蹂躙され、国土を汚された憤りと無念は、己の悔しさの非でないだろうと思っている。

「街の状況は?」

冷静な声色で尋ねながら、マティカ4世は一歩を歩き出し、神託の間の門へと向かった。

「御指示通り、我が民は城内に全員避難させております。現在、我が方と獣人セイラム王国軍の残存兵力が南門の奪還に向かいました」

「・・・退却だ」

「は?」

ラグダ、そして彼の妹でマティカ4世の娘であるタリカも、目を見開いた。

「軍を退却させろ。王国軍は地下道を使って退避させ、民と我が兵はできる限り城内に集めるのだ」

「しかし、それでは・・・」

「あれが、今日動く」

父王の言葉の重みに、ラグダもタリカも全てを理解した。

「・・・まさか、彼らは使うつもりで?」

「ああ。予想よりも早かったが」

マティカ4世は至って冷静であったが、むしろ全てを受け入れ、諦めた様子だった。一方のラグダもタリカも、自分たちの知る限りの事実に、戦慄して血の気が引いた。

「兄様?どこへ・・・」

だが、すぐにラグダがその場から速足に立ち去ろうとする。

「今すぐ奴らの愚行を止めなければ!」

そして門の前にいる衛兵に、強い口調で指示を飛ばす。

「できる限り、すぐに動ける兵を集めよ!今から奴らに奇襲を掛ける!」

「そんな、無茶です!兄様!」

「止めてくれるな!」

頭に血が上ったように、ラグダは妹に怒鳴った。

「ここで止めなければ、奴らは我らだけでなく、同盟国全てを滅ぼしてしまう!」

あまりの鬼気迫る表情と焦燥感で歪んだ顔に、タリカはそれ以上何も言えなかった。だが、そんなラグダの肩に、マティカ4世はそっと緑の光沢を放つ鱗だらけの手を乗せた。

「ラグダ。それにタリカ。今からお前たちにしか頼めぬことを話す」

そして門を守っていた衛兵が敬礼をする中、神託の間を出たマティカ4世は、子供たちを手招きした。

「これは、父としても、そしてお前たちにとっても、過酷な命令になる。だが、わかってくれ」

普段の父王は、寡黙だが善良で穏やかな人柄であった。しかし、今の父王は、今まで見たことがないほどの険しい表情と、鈍い瞳の輝きを放っていた。

ただならぬ父王の表情と視線に、ラグダは背中に針金が刺さったように背筋を伸ばし、タリカも生唾を飲み込んだ。


帝国軍の第37旅団の司令部は、オズロ平原を一望できるグディエン高地に置かれた。この高地は砲撃地点として非常に適した重要戦略地域となっており、人間連合軍も大規模な軍団が集められ、1週間で味方の2個大隊を失ってやっと掌握された。

この高原は、敵の重要拠点の一つでもあり、竜人ナーガの首都モクテスマも一望の下に収めることができる。3日前から砲撃によって首都周辺の防衛陣地を壊滅させたが、未だに塹壕に籠った敵の残党によって、歩兵大隊が足止めされていた。

情報によれば、首都周辺に掘られた塹壕は、地下にもつながっており、その地下の塹壕は入り組んでいて、下手をすれば帝国の首都近郊に位置する町ほどの長大さを持つらしい。偵察部隊に侵入口などを調べていたが、その全容はまだ明らかになっていない。

第42砲兵師団の司令官、ミハイル大佐でさえも、情報が定かかわからずとも、おおよその広さは見積もっていた。おそらく、今まで見た戦場でも、一番広大で且つ深く掘られた塹壕であろう。

獣人を毛嫌いしている司令部は、この苦言に耳を貸さなかった。だが「敵を侮るなかれ」という、かつての上官の言葉を、ミハイルはここで思い出していた。

双眼鏡を覗き、指揮所から戦場の様子を見渡しながら、ミハイルは今日で三度目になるため息を吐いた。

「大佐」

そこに副官がコーヒーの入ったマグカップを持ってくる。

「ああ、ありがとう」

素直に受け取り、苦みだけが勝ったそれを一口含んだ。

「前線からの報告です。南門を一時制圧。しかし、想定以上の激しい反撃に遭っているとのことです」

「だろうな。喉元にナイフを突き付けられたようなものだ。敵も必死になるだろう」

部下からの報告を片手間に聞きながら、ミハイルは双眼鏡を覗きつつ、再びコーヒーを飲んだ。

「伝令!」

そこに赤い軍服の一人の帝国兵士が駆けつけ、ミハイルに敬礼したのちに声を張った。

「第3大隊より、南門の敵勢力が一斉に後退を始めました!」

「何?」

それを聞いたミハイルは伝令に振り向き、すぐさま机上の地図に向かった。

「・・・妙だな」

ミハイルは首を傾げた。

敵の兵力は確実に消耗しているものの、決して不利というわけではない。ミハイルの予想では、あと最低でも3日は敵も粘ると踏んでいた。敵としても竜人ナーガの首都を奪われまいと必死に守備を固めるはずだ。敵の増援もない状態で、撤退というのは考えにくい。

「罠かもしれん。前線には深追いせず、引き続き戦線の確保に勤めよと伝えろ」

「はっ」

命令を受けた伝令が指揮所から出たタイミングで、遠くから機械の駆動音が近づいてくるのが聞こえた。その直後に別の下士官が指揮所に入ってくる。

「大佐。ラーゲン将軍がお見えです」

ミハイルは副官と顔を見合わせ、溜息を吐きながら、帽子を被りなおした。

「わかった。すぐに行く」

指揮所を出ると、外には馬車に似た機械仕掛けの乗り物があった。

前の屋根が取り外された馬車には馬が引かれておらず、代わりに後方の荷台部分に奇妙な機械が取り付けられていて、周囲には油とガスの籠った匂いが立ち込めていた。

最近、軍が実戦投入した自動車と呼ばれる機械だ。ミハイルは帝国での万博の時に一度見ているが、この機械は煌星アスタリスクの副産物である煌液アスタリウムを動力源として移動できる新時代の乗り物として注目されていた。当初は非常に緩慢な動きであり、人が歩いた方が遥かに早かったが、ここにあるのは改良された新式の自動車だろう。そして、こんな機械に乗ることができるのは、位の高い将校の中でも一部だけだった。

案の定、ミハイルの上官である旅団総司令官のラーゲン小将が自動車から降りてきた。しかし、横にいるのはミハイル達のような赤の軍服ではなく、上等な青の軍服に身を包んだ共和国軍人であった。黒い肌と両頬を覆いつくすほどの白い髭を蓄えており、堂々とした態度とのっそりとした動きは熊のようでもあった。眼光は鋭く、周囲の人間全てを射抜くような目つきをしていた。

周りの将兵もその異様さに、緊張を隠せていなかった。厚顔無恥なラーゲンでさえ、顔が強張っている。

ラーゲンがその共和国軍将校に耳打ちすると、彼はミハイルに照準を合わせたようにその顔を向けた。そしてのそのそと歩いてくる。よく見ると、青服の肩章に四つの星が輝いている。胸元の略式の勲章の数も多かった。

ミハイルはすぐさま敬礼をした。ラーゲンも共和国軍将校もミハイルの前に立って毅然とした敬礼を返す。

「ミハイル大佐。こちらはハミルトン閣下だ。共和国陸軍参謀長をしておられる」

敬礼後に、ラーゲンが紹介をすると、ハミルトンはミハイルに握手を求めた。ミハイルはその名を聞いて思い出した。

「もしや、ソロノフ会戦で騎兵部隊を直接率いていらっしゃった?」

「おお、あの戦を知っておったか。あなたほどの優秀な将校の耳に入っているとは、まさに恐悦至極」

「いや、私など」

ハミルトンは物腰柔らかく、謙遜だった。だが目の前の共和国軍人は参謀長であり、各国に名が知られている名将である。柔和さの中に、確かな威厳と鋭さがあった。

「それにしても、あの自動車というのは、どうにも油臭くて叶わん。おまけに椅子も硬くて揺れるたびに尻と背が痛むわ」

そう言いながらハミルトンは背中を抑え、うんと背伸びをする。後ろでラーゲンが咳込んだ後、ミハイルに堂々とした態度で言った。

「今から、ハミルトン閣下は、ここで観戦をなさる。ある実験のために」

「実験?」

ミハイルがそう訊き返すと「伝令!」という声と共に、帝国兵が駆け付けた。

「北東の第5大隊からです!方位2・6・5の地点に砲撃要請です!」

「すぐに当該地点に砲撃を開始しろ。それと第5大隊の支援に第4大隊から部隊を引き抜け」

「あー、その必要はない。大佐、今の命令を取り下げたまえ」

報告を聞いたミハイルが指示を飛ばした矢先、ハミルトンはそれを制止した。

「ですが・・・」

「ミハイル。参謀長閣下のご命令だ。従え」

ラーゲンはそう言ってミハイルを睨んだ。意図があるのは間違いないが、このまま味方の損害のことを考えれば、砲撃支援は必須だった。しかし上官、それも参謀長からの命令とあれば従わざるを得ない。ミハイルは仕方なく、話を聞いていた伝令に向き直る。

「・・・砲撃はなしだ。各自、その場を死守するように伝えろ」

「はっ」

伝令は敬礼し、その場を去った。

「幸運だったな、大佐」

ミハイルの背後で、ハミルトンは不敵な笑みを浮かべていた。

「何せ、この戦争に終止符を打つ歴史的瞬間を共に見れるのだから。さあ、来たまえ」

そして、ハミルトンに付き添う形で、ミハイルはラーゲンと指揮所から少し離れた小高い監視所へと向かった。

監視所にはすでに、他の帝国軍将校と、ハミルトンに共に付き添っていたのであろう、共和国軍将校が数名おり、雑談を交わしていた。

「一体何が・・・」

「まあ、見ればわかる」

胸騒ぎをするミハイルの横で、ハミルトンは余裕な表情を浮かべるだけだった。

共和国軍の一人の若い下士官が、手に持っていた懐中時計を見ながら言った。

「発射まで、残り15秒」

「さあ、新時代の始まりだ。我々は新たな戦争のあり方の目撃者となる」

「残り10秒。9、8、7、6・・・」


その頃、北東の高原地帯で帝国軍の第5大隊は、竜人ナーガ軍の支援に来た獣人セイラム王国軍と激しい戦闘を繰り広げていた。

突撃してくる獣人セイラム兵たちを、塹壕から機関銃による一斉射撃で次々と薙ぎ倒し、獣人セイラム軍もまた、帝国軍の塹壕に向けて砲撃を行っていた。

この猛攻撃で、第5大隊は大きな損耗を強いられていた。

「中尉!」

塹壕内の指揮所にいた第5大隊の小隊長に通信兵が駆け寄った。

「本部からです!砲撃による支援はないとのことです!」

「何だと!」

小隊長は司令部は何を考えているのだと、心の中で悪態を付くのと同時に、全滅という単語が頭の中を過った。

獣人セイラム軍の猛獣種によって構成されたエリート部隊である、尖爪部隊の猛攻を辛うじて防いでいるが、砲撃支援がなければ、もう持ちこたえられない。

所詮、兵士は歯車、消耗品だとは考えてきたが、その概念がより現実味を増してくる。

さらに近くに敵の砲火が降り注ぎ、指揮所が大きく揺れた。激しい衝撃による砂埃で、小隊長と指揮所にいた将兵は咳き込む。

「くそ!撤退準備をしろ!殿は俺が勤める!」

せめて今生き残っている部下の命はなんとか助けなければならない。そう決断したとき、通信兵が再び通信を受信した。

「司令部より通達です!代わりの支援があるとのことです!」

「なんだと?」

「小隊長殿!」

通信兵の報告の後、差し合わせたかのように指揮所に下士官が慌てた様子で入ってきた。

「今すぐ外をご覧ください!」

「あーもう!さっきからなんなんだ!」

砲撃中止の命令といい、部下の混乱ぶりといい、前線の状況といい、いい加減に苛立ちを露わにしていた小隊長だったが、下士官の様子に異常を感じたのか、苛立ちながらも指揮所の外に出た。

「その、あれは一体・・・」

下士官が困惑した様子で空を指さすので、小隊長も塹壕内から頭上を見上げる。すると、遥か真上の天上に、細く鋭い光の線が、まっすぐ黄金色の煌星アスタリスクへと照射されていた。

「なんだ?あれは・・・」

その異変に獣人セイラム軍側も気づいたらしく、攻撃がしばしの間止んだ。中には人間の兵士達と同じく、天上の光を見つめる者たちもいた。

光の線はしばらくして消えた。だが異様な静けさに包まれた戦場に今度はキーンと鋭い金属音が響く。

次の瞬間、空気が震えだし、天上に先程とは比べ物にならないほどの巨大な淡い藍色の光線が、一直線に煌星アスタリスク目掛けて照射された。

小隊長は思わず塹壕の梯子を上り、空と地上の様子を交互に確認した。

地上では、獣人セイラム兵たちが揃って耳を塞ぎ、のたうち回っているのを目撃した。その時、報告書に書かれていたことを思い出した。獣人、特に猛獣種の中には人間には聞き取れない音も聞き分けられるほど、聴力の発達した種族もいると。

だが小隊長はその異様な光景の中で、さらに異様な光景を目撃した。敵軍の中にいた竜人ナーガの兵士が目を閉じて膝まずいて、祈りを捧げるように煌星アスタリスクに向かって手を組んでいた。

しばらくして、天上の光線が消えた。

「おい!あれ!」

「なんてことだ・・・」

帝国兵たちは、今度は竜人ナーガ煌星アスタリスクの方を指さした。先程まで黄金色の輝きを放っていたはずの煌星アスタリスクがその輝きを失っていた。

その直後、煌星アスタリスクから不穏な破壊音が響き、次々と表面に罅割れが起き始める。罅は徐々に大きくなり、まるで氷の塊を破るかのような激しい音を立てて崩壊し始めた。

「まさか、そんな」

隊長は思わず口に出して言った。煌星アスタリスクは世界で最も硬い物質だと言われている。そう思っていたが、目の前でまさに亀裂が生じ、次々と巨大な破片となって崩れ始めていた。やがて煌星アスタリスクはとてつもない轟音を立てて、一気に瓦解しながら地表に落ちていった。

「全員伏せろ!」

隊長は我に帰り、大声を上げた。

崩れた煌星アスタリスクは敵の首都モンテスマの真上に落ちて、とてつもない衝撃波が街を飲み込んだ。そして火砕流のように激しい砂塵が嵐のように周辺を包み込んでいく。獣人の兵が次々と衝撃波に巻き込まれていく中、隊長の声で生き残った帝国兵たちは、塹壕の中で衝撃波をやり過ごした。


衝撃の余波は高地の監視所にまで飛んできた。ミハイルは飛んでいってしまった自分の軍帽のことなど気にならなかった。

何せ今目の前で、一つの煌星アスタリスクが、まるで老朽化した建物が崩れ落ちるように破壊されたのだから。

直後に小さな拍手が起きた。ハミルトンが一人で嬉しそうに手を叩いている。それに合わせてラーゲンも笑って手を叩いていた。近くの兵士も合わせて拍手をすると、それが伝播していき、いつしかミハイルも合わせて拍手をしていた。

先程の衝撃が思考を止めてしまい、何が起こったのかを理解できないでいた。煌星アスタリスクは、人間にとっても信仰の対象としている者は多い。ミハイルは軍人になってからそこまで信仰心を持たなくなくなったが、それでもあの宙に浮く巨大な塊が呆気なく破壊されたことが意味するところはわかっていた。

しばらくして拍手は止み、ハミルトンがミハイルの肩を軽く叩き、嬉しそうに言った。

「驚くのも無理はない。我々はついに神を穿つ力を手に入れたのだ。さあ、これで戦争も我らの勝利で終わるだろう。ここにいる諸君は、歴史的瞬間に立ち会うことができたのだ」

いつの間にか、監視所のテーブルにワインとグラスが置かれていた。

ハミルトンと他の将校は、各々満足そうにグラスにワインを注いでいく。

「では、この歴史的な勝利に日に。そして新たな栄光の時代に」

ハミルトンが音頭を取り、全員が杯を掲げた。

気づけばミハイルも、その場でワイングラスを持っていた。頭では何が起きたのかを全て理解できない。だが、彼の中では確実にある事実を理解していた。

これで戦争が終わる。そして国にいる家族の下に帰れる。

今はその事実だけで充分だった。それ以上のことを考えてしまえば、これまでの当たり前だった何かが崩壊するような気がした。


竜人ナーガ煌星アスタリスクが崩壊してから2週間後の、星歴1869年8月15日。

人類連合と獣人同盟による、獣人大戦は終戦を迎えた。

アルフォート計画の下で共和国軍が開発した秘密兵器により、竜人ナーガ煌星アスタリスクが失われたことで、各地にいた竜人ナーガは一人残らず、原因不明のまま消失してしまった。文字通りの意味で、彼らのいたはずの場所には、彼らが身に着けていた衣服や装飾品だけを残し、彼らの肉体そのものが消えてしまったのである。

この事実を知った他の獣人同盟の3国は、自国が次の標的になることを恐れ、次々と人類連合に降伏。大戦は人類連合の勝利に終わった。

この大戦で投入された人類連合軍の兵力は約3000万人、そのうちの戦死者だけで600万人。一方の獣人同盟の兵力は1400万人、戦死者は800万人であり、民間人の戦争関連死は500万人とされている。

まさに世界は初めて総力戦を経験し、これからの戦争と世界秩序の常識は大きく覆されることになった。


―星歴1849年8月18日―

―共和国 首都メガロポリス郊外―


獣人との2年に渡る戦争が終戦を迎えてから3日後。メガロポリスの高級住宅街を陸軍諜報部の馬車が3台走り抜けていた。

真ん中の馬車に乗っていたグラール大佐は、リボルバー拳銃に弾を込めていた助手席の部下に強い口調で言った。

「いいな。まずは私が話をする。その間は待機だ」

「抵抗された際は?」

「随時撃て」

部下の問いにグラールは即答した。

しばらくして車両はロマール建築の豪勢な屋敷の前で停車する。

その邸宅の主、アンドリュー・アークライトは今や時の人となっていた。今から20年前、かつては有害物質として嫌悪されていた煌液アスタリウムを、工業用機械の動力として活用する方法を発見し、現在の煌液機関の基礎を築いた人物であった。

まさに人類の繁栄に貢献し、科学史に大きな名を残した彼に今、国家反逆罪の疑いが掛かっている。

馬車からライフル銃を手にした諜報部員と憲兵が降りてくる。グラールも自動馬車から降りると、部下たちと共に屋敷の門をくぐった。


アンドリュー・アークライトは使い慣れたペンを置き、サン・カシューの20年物ワインをグラスに注いだ。グラス一杯分の豊潤な香りを楽しみ、ゆっくりと口を付けた。

「旦那様」

開いていた扉の手前で、執事がノックをすると、アークライトはワインを机に置き、引き出しを開け始める。

「なんだ?」

「失礼致します。たった今、陸軍諜報部の方々と憲兵隊がいらしています」

アークライトは引き出しから黒く光る小口径の拳銃を取り出すと、それを上着で隠すようにズボンの間にしまい込んだ。

「入れてやれ」

「かしこまりました」

そう言って執事はドアを閉めようとしたが、あることに気づいた。

「旦那様。暖炉の火が強うございますが、よろしいのですか?」

 部屋を照らすのは暖炉の明かりだけだが、その火は腰の高さほどの背丈にもなっていた。

「ああ、先ほど不要な書類の整理をしていた。ちょうど火にくべたところだ」

アークライトは先ほどから執事に背を向けたまま応えている。その姿に執事は心を痛めた。

終戦を迎えてからというもの、アークライトの顔色は優れず、常に心ここにあらずという様子だった。

「・・・失礼致しました」

執事は心配しながらもドアを閉めた。

アークライトはもう一度ワインを口に含み、グラスを持って立ち上がると、暖炉へと近づいて中で煌々と燃える炎を見つめた。彼の眼鏡に反射する暖色の光が反射して、彼の瞳を覆っていた。

次に書斎の扉が開くと、グラールがゆっくりと部屋に入ってくる。扉をゆっくりと締め、被っていたフェドーラ帽を脱いでコート掛けに置いた。

「来るとは思っていたが、早かったな」

アークライトは背を向けたままグラールに語り掛ける。

「君の好きなワインだろう?特別に出しておいた」

グラールは彼の机に置かれていたワインボトルを徐に持ち上げ、ラベルを確認する。そしてボトルの口から僅かに匂いを嗅いでから、また元に戻した。

「・・・あなたに逮捕状が出ている」

 グラールはゆっくりと歩み寄りながら言った。

「なぜ?アルフォート計画の資料を勝手に持ち出したのですか?」

 アークライトはワイングラスをゆらゆらと揺らしながら言った。

「君は神を殺すことができると思うかね?」

そしてグラールの問いに答えず、さらに質問を重ねた。抽象的な表現であったが、グラールは煌星アスタリスクのことを指していると思い、仕方なく付き合うように静かに答えた。

「ええ。現にあなたの開発した兵器はそれを成しえた」

だが、そんなグラールの答えに、アークライトは肩を揺らして笑った。

「それは違うな。あの兵器は神を打ち倒したのではない。宙に浮く巨大な結晶を砕いたにすぎん」

アークライトはワイングラスを暖炉の上に置き、手を後ろに組んでグラールに向き直った。

「確かに、煌星アスタリスクは神の如く扱われ、奉られてきた。だが煌星アスタリスクが歴史上誰にも砕けない、世界で一番硬い物質だとしても、あれは神ではないのだ」

「では神はどこにいると?」

「そもそも神などは存在せんよ。存在するのは人であり、人を裁くのも人だ」

グラールはアークライトの動向に気を配りながら話を聞いていた。扉は唯一の出入り口だが、すでに部下が張り付いている。

窓の外から飛び降りたとしても、ここは3階だ。無事に着地できるわけもないし、その可能性を考えて窓の外の真下に憲兵らを配置させている。様子からして逃げる気はなさそうに見えるが、油断はできない。

「研究資料はどこですか?」

意味のないやり取りを終わらせて本題に入ると、アークライトは再び暖炉に向き直った。

「あれは人の手に負える代物ではないよ、大佐。我々の罪を神が裁かぬからこそ、我々でけじめをつけなければならない」

グラールは何のことかと思ったが、アークライトが見つめる暖炉の火が強いことに気が付いた。

まさかと思い、グラールは血相を変えて、部屋の隅にあった花瓶に駆け寄り、指してあった花を乱暴に抜き取って、中の水を暖炉に勢いよく浴びせた。

しかし火の勢いはほんのわずかしか収まらず、その一瞬の隙にグラールはまだ燃えかけの紙切れを暖炉から引っ張り出した。

アークライトが燃やしていた資料の上部に、焦げ跡から僅かに陸軍諜報部の印章と‟最高機密”の押印が見てとれた。すでに重要な部分は焼け焦げて燃え尽きており、もはや解読はできなかった。

「あなたはなんてことを・・・」

怒りに体を震わせるグラールを余所に、アークライトは満足そうに佇んでいる。その態度に思わず頭に血が上ったグラールは、ホルスターからリボルバー拳銃を抜き取った。

「あれは抑止力ではない。新たな争いを生む火種だ。いやそれどころか文明の終焉をもたらしかねん」

「・・・あなたを逮捕する」

グラールは片方の手で懐から手錠を探り、アークライトに歩み寄ったが、アークライトは腰に隠していた拳銃を取り出したため、ついに銃を構えた。

「銃を捨てろ!何を考えている!」

グラールの声が響き渡り、部屋の外にいた部下も銃を構えながらドアを蹴破って入ってきた。

「後は私だけだ」

アークライトはそう呟いた直後、拳銃を自分の顎の下に素早く構え、引き金を引いた。発砲音の後、アークライトは後ろへとのけぞって倒れ、床には大量の血が飛散し、血だまりを作った。



『ポリタン・タイムズ』 8月20日

‟アンドリュー・アークライト卿 捜査中に自殺”

19日の共和国陸軍の発表により、陸軍兵器開発局主任研究員だったアンドリュー・アークライト卿に、機密情報漏洩の嫌疑が掛けられていたことがわかった。

なお18日未明、陸軍情報部と憲兵隊が被疑者確保のためにアークライト卿の邸宅を訪れたところ、卿は邸宅内で自殺したことが発表された。

アークライト卿は我々の文明社会に欠かせない煌液機関の開発者であり、戦時中は様々な新兵器を開発することで、連合軍を勝利に導いた功労者だった。

本事件によって、共和国発明協会や学会各界隈に衝撃が走っており、彼の死によって人類の文明的発展は大きな停滞を迎えるだろうと共同声明が出されている。

また当局はアークライト卿の容疑を断定した理由について、捜査上の観点からコメントを差し控えている。


『ポリタン・タイムズ』8月22日

‟兵器保管基地爆破 獣人残党軍のテロか?”

21日未明に起きた共和国陸軍のエンプレス砦の爆発事故について、陸軍参謀本部から発表があった。エンプレス砦は兵器の保管施設として使用されており、そこには戦争を勝利へ導いた、新型兵器「ウィザード」も保管されていた。

軍当局は「ウィザード」の被害について、全く無傷であったとコメントし、今回の爆発は事故ではなく、調査の結果、獣人同盟軍の残党によるテロ行為であったと発表した。

砦自体の被害は軽微であり、政府は終戦直後とあって、降伏を受け入れた獣人同盟諸国との関係については穏便な対応を行いつつも、テロリズムに関しては平和を脅かす行為として断固認められず、徹底的な報復措置を行うとの声明を発表した。


「・・・うまくやったな。報道操作はお手の物というわけか」

新聞を読みながら陸軍参謀長のハミルトンは嘆息した。

グラールは終始、緊張した面持ちで直立している。

「今回の失態、弁解の余地などございません。申し訳ございませんでした」

グラールは頭を垂れた。

「秘密は墓場まで、か」

新聞を置き、ハミルトンは執務室の椅子に腰かけ、手を交差させた。

「アークライトが死んだ今、ウィザードの再建が可能な人材はいない。研究資料が焼かれた今、新たに開発しなおすことは不可能だ」

グラールは頭を垂れたまま、冷や汗を流した。そんなグラールを一瞥し、ハミルトンは続けた。

「別に君に処分を言い渡すつもりはない。むしろ、君たちにはさらに働いてもらわねば困る。今こうしてマスコミへの手回しはできた。あとは今後も、世界中に対して、ウィザードがまだ健在していると信じ込ませる必要がある。でなければまた戦時下に逆戻りだ」

ハミルトンは立ち上がり、グラールの肩に手を置いた。

「手段は問わない。あらゆる手を尽くして、ウィザードの存在がまだあると信じ込ませろ。特に不穏分子どもに対してな」

「はっ」

ハミルトンは力強く言った。

21日に起きた獣人同盟の残党によるエンプレス基地襲撃で、新兵器ウィザードは破壊された。このウィザードは、獣人領のケツァル朝にあった煌星を破壊し、ケツァル朝にいた竜族を滅ぼした。

この新兵器の存在があったからこそ、獣人は降伏し、戦争を終わらせることができた。その新兵器が破壊され、その開発に携わっていたアークライトと、開発資料が消えた今、抑止力の存在が無くなったことで、戦争が再び勃発する危機があった。

そのためにも情報操作と報道規制を駆使し、真実を捻じ曲げなければならなかった。

グラールにとってやるべきことは山積みだった。

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2026年1月24日 17:00

ルザーハウル 沖田ノボル @Jones0216

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