蝕みの神器と血の戦記 〜天下を統べる将軍は既に死んでいた。呪われし一族の落とし子は『龍の血』を目醒めさせ、一族の仇を屠る〜

いぬがみとうま

第一話:吹雪の処刑者

第一章:北の凶兆


  


 津軽の海は、冬になると「地獄の産声」を上げる。


 本州の最北端。

 この世の果てとも呼べる海峡には、巨大な注連縄しめなわが渡されていた。

 大蛇ほどもある太い縄が、荒れ狂う潮風に煽られて不気味な音を立てる。


 この注連縄こそが、古来より和の国を守り続けてきた最強の霊的結界。

 死の領域から溢れ出す「穢れ」を食い止める、最後の防衛線だ。


 その内側、凍てつく雪原で一人の男が這いつくばっていた。


「……見たんだ、俺は見たんだ」


 かつては防人さきもりの兵士だった男だ。

 数日前まで関所を守っていたはずの彼は、いまや恐怖に魂を食い散らかされ、ただの抜け殻と化している。


「死んでたんだ……。腹を割かれて、臓物が凍りついたまま、あいつらは歩いてた。目が、氷みたいに青くて……」


 男は自分の指を血が出るまで噛み切り、うわ言を繰り返す。


「冬が来る……王が来る。あの海を、歩いて渡ってくる……」


 その震える背後から、重厚な足音が響いた。

 新雪を踏みしめる音が、冷酷なまでに規則正しく近づいてくる。


「法に従えば、防人の脱走は死罪である」


 低く、地鳴りのような声。

 北条直道ほうじょう・なおみち

 東北を統べる大名であり、この過酷な北の門を守る「守護代」その人だ。

 その背中は、背負った数多の命の重みを体現するように分厚い。


 直道は、背後に控える三人の息子たちを振り返った。


 長男の狼火ろうかは、父と同じ峻烈な瞳で前を見据える。

 次男のふみは、落ち着かない様子で周囲の雪山に視線を走らせていた。


 そして、少し離れた場所に、雪之丞ゆきのじょうが立っていた。


 雪之丞には、他の兄弟のような立派な具足は許されていない。

 身に纏うのは、実戦用の簡素な革鎧だけ。

 父の正室であるかおるからの冷たい視線が、城にいる時と同じように背中に突き刺さる。


 (俺は、ここでは異物なのだ)


 雪之丞は痛いほど自覚していた。

 北条の血を引きながら、決して北条にはなれない「落とし子」の宿命を。


「雪之丞」


 不意に、父に名を呼ばれた。


「……はい」


「よく見ておけ。人を殺める者は、その者の目から逸らしてはならぬ。死を与える重みを、その掌に刻み込め」


 直道が名刀『氷月ひづき』を抜く。

 抜刀の音は、吹き荒れる吹雪の音さえも一瞬だけかき消した。


「命乞いはないか」


 父の問いに、脱走兵が顔を上げた。

 その瞳に映っていたのは、死への恐怖ではない。

 もっと根源的な、この世の終わりを予見した絶望。


「……もう、遅いんだ。北の王が、海を凍らせる」


 男の喉から漏れた最後の言葉は、風の中に溶けた。


 一閃。


 鮮烈な朱色が、純白の雪原に飛び散った。

 落ちた首が雪の中に埋もれていく。

 その瞬間、遥か北の空から、奇妙な音が届いた。


 地響きのようでもあり、巨大な氷が割れる音のようでもある。

 雪之丞の耳には、それが冷酷な「笑い声」に聞こえた。

 背筋に氷柱を叩き込まれたような悪寒が走る。


「……父上」


 長男の狼火が、北の空を見つめて呟く。


「気にするな。ただの風の悪戯だ」


 直道は刀を振って血を払い、鞘に収めた。

 ただ、その手がわずかに震えているのを、雪之丞は見逃さなかった。

 かつて旧王朝を倒し、数多の戦場を潜り抜けてきた「北の巨獅子」が、何かに怯えている。


 その時だ。

 南の空から一羽の伝書鷹が舞い降りてきた。

 足に結ばれた筒には、都からの緊急事態を知らせる「紅い紐」がついている。


 直道は手紙を広げると、その眉間を深く険しく歪めた。


「将軍、危篤。……直ちに参内せよ、との命だ」


 都から届いた不吉の報せ。

 北の境界で流された、罪人の血。


 雪の中に咲いていた名もなき冬の花が、直道の重い軍靴によって無残に踏み砕かれた。


 和の国の均衡が、いま、音を立てて崩れようとしていた。




――

あとがき


 壮大な和風ファンタジー戦記の冒頭でございます。

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