賢王エリオットシリーズ ―ディートリヒ王宮物語―

かきのたね

第1話 婚約破棄を突きつけたら、全やらかしを「わたくしですわね」と即答された件

 史上最高の繁栄を築いた賢王エリオット。その栄光に満ちた治世の裏には、歴史から抹消された「最初で最後の危機」があった。


「アメリア・ローズ公爵令嬢。君との婚約を白紙にさせてもらう! 君のその、人道を隠れ蓑にした底知れぬ悪意が怖いんだ!」


 王宮のサロンに、エリオット王子の悲痛な叫びが響いた。対するアメリアは、完璧な所作で紅茶を置き、悲しげに瞳を伏せた。


「まあ殿下、おひどい。わたくし、常に平和と慈愛を重んじて行動しておりますのに。人の心がないと、そうおっしゃるのですか?」


「ああ、その通りだ! 先月の軍事大国バルカンの件はどう説明する! あの国が内乱で火の海になった際、幼い王女を救出するよう軍に指示したのは君だ。確かに民衆は君の慈悲に涙したが……」


 アメリアは、慈悲深い顔でエリオット王子をまっすぐ見つめた。


「ええ、その通りですわね。それのどこに問題がございまして?」


「そもそも、あの国が内部崩壊するように、数年前から経済を操作し、反乱軍に資金を流して誘導したのは誰だ!?」


 アメリアは、春の陽だまりのような微笑みを浮かべ、さらりと言った。


「わたくしですわね。」


「やっぱりお前かよ!!」


「あら、放置すれば我が国に侵攻してきたであろう火種を、わたくしが管理・・できる規模で爆発させ、次期政権王女に恩を売ったのです。これほど人道的な防衛策が他にありますか?」


「それを世間では『侵略』と呼ぶんだよ! 次だ! 王都で流行した奇病! 君が全私産を投じて特効薬を配り、聖女とまで崇められたが……」


「ええ、そうでございますわね。あの時は、王からもお褒めの言葉をいただきましたわ」


「では、あの病の初期サンプルを培養して、散布していたのは!?」


「わたくしですわね。 おかげで国民の衛生管理への意識が劇的に向上し、公衆浴場の普及も早まりましたわ」


「自分で火をつけたものを消しただけだろうが! さらに、昨日の夜会のことだ! 私に色目を使っていた隣国の令嬢が、突然『私は今日から土として生きます』と宣言して庭に埋まりに行ったのは!?」


「もちろん、わたくしですわね。彼女に自然との調和が大切だと、少しばかり助言を差し上げましたの」


 その声音はどこまでも穏やかで、まるで今朝の天気を語るかのような無機質な響きがあった。


 エリオットは、ガタガタと震えながら一歩後退した。


「……もう無理だ。君は確かにこの国をいい方向に動かしている。一分いちぶんの隙もない、完璧な救済だ。だが、君の手のひらの上で、世界が書き換えられていく恐怖に私は耐えられない! 破棄だ! 私は自由になりたいんだ!」


 アメリアは、ゆっくりと、本当にゆっくりと瞬きをした。 次の瞬間、彼女の瞳から感情の光が一切消え、底知れぬ深淵のような闇が覗いた。


「……そうですか。……本当に、破棄してよろしいのですか? 殿下。わたくしが、自由に行動できるようになりますわよ?」


 エリオットの脊髄に、電流のような戦慄が走った。本能で理解する。


(あ、ダメだ。この国どころか、人類が、終わる。)


「…………ち、ちくしょう!!」


 エリオットは、プライドも何もかも投げ捨てて、アメリアのドレスの裾に縋り付いた。


「婚約破棄を、破棄する!! 撤回だ! 取り消しだ!!」


「あら? 自由にならなくてよろしいのですか? わたくし、自由になったらまずこの国で、今まではできなかった事を、色々と試そうと検討しておりましたのよ?」


「やめてくれ! 頼むから……私が悪かったから、どうかそれだけはやめてくれ……!」


 アメリアは満足そうに微笑み、項垂れる王子の頭を優しく抱きしめた。


「ふふ……賢明なご判断ですわ、殿下。……愛しております。さあ、今すぐにでも婚約なんて状態から抜け出して、早く婚姻関係を結びましょう!」



___________________________________________



 後世の歴史家は語る……。

「エリオット王の時代、世界はかつてない静寂と繁栄に包まれていた」と。


 しかし、王は後の世にこう言葉を残していた。


「王というものは、国家の生贄である」


 王はその生涯を終えるまで、美しい王妃と仲睦まじい姿を見せ続けていたと伝えられている……。

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