第4話
ベルガルド王宮の離宮での生活は、一言で言えば「極楽」だった。
だが、元傭兵団長にとっての極楽は、一般人のそれとは少しばかり意味合いが異なる。
「……耐えられん。もう限界だ」
私は、絹の寝巻きを脱ぎ捨て、クローゼットの隅に見つけた予備の訓練着に袖を通した。
支給されたドレスはどれも美しかったが、今の私には動きを縛る拘束衣にしか見えない。
ズボンを履き、編み上げのブーツを締め直す。これだ。この軽さこそが私の魂に馴染む。
「シエナ様!? どちらへ行かれるのですか! 朝食のお時間が――」
「悪いな、少し鉄の匂いを嗅がないと死にそうだ」
青ざめる侍女たちをひらりとかわし、私は庭園を突っ切り、鼻を突く熱気と金属音を頼りに「騎士団演習場」へと向かった。
---
演習場に足を踏み入れると、そこにはベルガルドが誇る「戦王」の精鋭たちがひしめき合っていた。
野太い掛け声、飛び散る汗。これこそが私の居場所だ。
だが、私が現れた瞬間、その喧騒は霧が晴れるように静まり返った。
訓練着姿とはいえ、その顔はアデルハイド王国から来た「公爵令嬢」のものだ。騎士たちの視線は一様に、困惑と侮蔑を含んだものへと変わる。
「……おいおい。陛下が連れ帰った『国賓』様が、こんなむさ苦しい場所に何の御用だ?」
騎士たちの列を割って出てきたのは、一際ガタイのいい男だった。
ベルガルド騎士団副団長、ガゼル。
その顔には「女に戦場は理解できない」という露骨な優越感が刻まれている。
「陛下を救ったというから、どんな女傑かと思えば……ただのひょろついた令嬢じゃないか。あの一件は、おそらく陛下を庇って運良く魔物の急所を突いただけだろう」
「面白い冗談を言うな、副団長殿。運だけでSSランクの心臓は抜けないぞ」
私が淡々と返すと、周囲から失笑が漏れた。
ガゼルが鼻で笑い、腰の模造剣を軽く叩く。
「令嬢。ここは貴族の茶会じゃない。剣の重さも知らない者が遊びに来る場所ではないんだ。怪我をしないうちに、綺麗な離宮へ帰って刺繍でもしていることだな」
(ああ。この展開、前世で何度も見たな)
ナメた新入りを分からせるための「洗礼」。あるいは、女と侮る愚か者への「教育」。
私は足元に転がっていた、使い古されてボロボロになった訓練用の木剣を一つ、つま先で跳ね上げてキャッチした。
「言葉で説明するのは苦手でね。――あんたたちの実力、この私に『稽古』をつけてもらってもいいか?」
「……何?」
「副団長一人じゃ退屈だ。そこの五人、まとめてかかってこい」
演習場が静まり返り、次の瞬間、爆発的な笑い声に包まれた。
ガゼルは顔を真っ赤にして、苛立たしげに剣を引き抜く。
「いいだろう。怪我をしても、陛下に泣きつくのは無しだぞ!」
---
シエナを取り囲む五人の騎士。その中にはガゼルも含まれている。
騎士たちは「加減してやる」という余裕を見せ、にやにやと笑いながら間合いを詰めてきた。
だが、私には彼らの全てが「隙だらけの素人」に見えていた。
(重心が高い。視線が素直すぎる。足運びが綺麗すぎて、不整地での戦いを知らないな)
「――始めろ」
ガゼルの号令と共に、一人の騎士が踏み込んできた。
正面からの素直な一撃。私は一歩も引かず、首をわずかに傾けてそれをかわす。
すれ違いざま、私は木剣を振るうことさえしなかった。
相手の踏み込んだ脚の膝裏に、自らの足を軽く引っ掛ける。
それだけで、騎士は自分の勢いを制御できず、無様に顔面から地面へ突っ込んだ。
「一人」
「なっ……!?」
次いで左右から襲いかかる二人。
私は木剣の先端で、一人の手首を「点」で打った。神経に直接響く打撃に、騎士が剣を落とす。その反動を利用して身を翻し、もう一人の鳩尾に肘を叩き込んだ。
魔法などは使わない。純粋な解剖学と物理法則の産物だ。
一分も経たぬうちに、ガゼルを残した四人の騎士が砂に塗れ、呻き声を上げている。
「な、何なんだ、貴様……その動き、騎士の剣術じゃない……!」
ガゼルの顔から余裕が消え、冷や汗が流れる。
彼は本能的に察したのだ。目の前の少女が、自分よりも遥かに多くの死線を越えてきた「怪物」であることを。
「ああ、騎士の剣なんて高尚なものじゃない。これは――『殺すための技術』だ」
私の瞳が、戦場モードに切り替わる。
一瞬で間合いを詰めた。
ガゼルが反射的に剣を振るうが、私はそれを受け流さない。木剣の「面」で相手の剣の側面を叩き、軌道を逸らす。
がら空きになった胴体に、容赦のない木剣の連撃が叩き込まれた。
肋骨、鎖骨、そして顎。
最後の一撃は、ガゼルの喉元で寸止めされた。
「……これがベルガルド最強? 笑わせないでよ。アデルハイドの腰抜け王子よりはマシだけど、戦場じゃ三秒持たないわね」
私が吐き捨てると、ガゼルは腰を抜かし、そのまま尻餅をついた。
演習場に集まった数百人の騎士たちが、誰一人として声を上げられないほどの圧倒的な実力差。
「――見事だ」
背後から、低く響く声が届いた。
騎士たちが慌てて膝をつく。現れたのは、戦王アルフレートだった。
彼は私の戦いぶりを、最初から最後まで壁に寄りかかって見ていたらしい。
その瞳は、いつになく熱く燃えていた。
恐怖や不快感ではない。自分と同じ「高み」に立つ存在を見つけた、純粋な歓喜と渇望。
「陛下、申し訳ありません! 国賓の方に無礼を……!」
ガゼルが震えながら謝罪するが、アルフレートは彼を見向きもしなかった。
彼はまっすぐ私に歩み寄り、砂で汚れた私の頬を親指でそっと拭った。
「シエナ。貴様の剣は、俺が考えていたよりもずっと美しく、そして残酷だ」
「……お褒めに預かり光栄だな。報酬に、もっと質のいい木剣を頼むよ」
私が肩をすくめると、アルフレートは不敵に笑い、私の手を取って自らの胸元へと引き寄せた。
「木剣など不要だ。シエナ。――俺の専属騎士にならないか? あるいは、俺の軍の総帥でもいい」
「……は?」
「貴様をただの令嬢として離宮に閉じ込めておくのは、世界の損失だと理解した。俺の側で、俺と共に戦え。望むだけの戦場を、俺が用意しよう」
その言葉は、もはや勧誘という名の「愛の告白」に聞こえた。
騎士たちの驚愕の声が響く中、アルフレートは私の耳元で囁く。
「これからは俺が、貴様の唯一の『雇用主』だ」
(……専属騎士? 総帥? まさかのスカウトか。これ、政治的懐柔策にしては熱が入りすぎじゃないか?)
私は、戦王の瞳に宿る、逃れられないほどの深い執着に、背筋が少しだけ震えるのを感じていた。
次の更新予定
婚約破棄された悪役令嬢(中身は元傭兵)が、隣国の戦王に溺愛されるまで kuni @trainweek005050
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。婚約破棄された悪役令嬢(中身は元傭兵)が、隣国の戦王に溺愛されるまでの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます