[試し読み] 剥がれ落ちて、なお残る
七雪 凛音|文フリ京都10 き-08
一
従姉の亜実が写真を吐くようになったのは、小学五年生の夏だった。
夕日が差し込んで橙色に染まる亜実の部屋で、その日の宿題を終わらせた私たちは二人して漫画を読みふけていた。何も言わず部屋を出ていった亜実は、胃液と唾液でべちゃべちゃになった写真を片手につまんで戻ってきて、唖然とした顔で、ただ「吐いた」とだけ言った。
私が叔母さんに言うと、叔母さんは私が遊びに来ていることも忘れ、泣きそうな声で「どうしてそんな気持ち悪い嘘をつくの」と亜実を叱りつけた。私はどうすればいいかわからなくて、叔母さんの怒鳴り声と亜実の泣き声が入り混じる中、汗をかいた麦茶のグラスをじっと見つめていた。
亜実が持っていた写真には、担任の横顔が映っていた。教室のような場所、黒板をバックにした写真。
翌日、亜実は担任のことを忘れていた。
名前も、顔も、性格も、全て。
朝のホームルームで担任が教室に入ってきた時、知らない人が来たと思った亜実は、友達に「新しい先生?」と聞いたらしい。ふざけていると勘違いした友達は大笑いして、その笑い声で先生に亜実の発言がバレた。厳しいことで有名だった先生はからかわれていると思い込み、皆の前で亜実を立たせて怒鳴り散らかしたらしい。
一番混乱していたのは本人だった。家が近く、毎日のように会っていた私に、亜実は真っ先にすがってきた。誰にも信じてもらえない。でも、なぜか胃の中から写真が出てくる。そして、写真に映っていることは何も覚えていない、忘れてしまう、と。
亜実がウソをつくなんてありえない。だから、私は正直にそう伝えた。
「お姉ちゃんがウソつくなんて思ってないよ」
私がそう言うと、亜実は号泣しながら私を強く抱きしめた。
ほどなくして、亜実は私の目の前で写真を吐いた。人が吐くのを直接見るのは初めてだった。亜実の家のトイレで、便器の中に突っ込んだ頭の後ろ、亜実がえづく度にさらさらの綺麗な髪が揺れていた。便器の中には吐瀉物と一枚の写真が沈んでいて、亜実は涙を流しながら「お水持ってきて」と言った。
不思議と「気持ち悪い」とは思わなくて、むしろ亜実がウソをついていなかったことに安心したことを覚えている。その写真には、いたずら好きで亜実の容姿をよくからかう同級生の男子が写っていた。亜実は、その男子のことも忘れてしまった。
その後、叔母さんの前でも吐いたらしく、亜実は病院へ連れて行かれた。
診断は解離性健忘症の一種。写真を吐く原因は不明。大学病院で精密検査を受けても、体のどこにも異常がない。何かをきっかけに胃の中に写真が生えてきて、消化できずに嘔吐と同じ生理反応で吐き出してしまう。そして、吐き出した写真のことは記憶から失われる。これの繰り返し。頻度もわからなければ、何がトリガーなのかもわからない。
叔母さんは亜実を他の病院に連れて行こうとしたものの、亜実はそれを嫌がった。
中学生になる頃、亜実は面倒を避けるために、写真のことを誰にも言わなくなった。叔母さんにも「最近は吐かなくなった」と嘘をついた。
それでも、亜実は写真を吐いていた。
ずっと、何度も。
それは、しばらく私たち二人だけの秘密になった。
学校でも、放課後も、休みの日も、私はできるだけ亜実のそばにいた。私の役割は、亜実が吐いた写真を洗って、乾かして、誰にも見つからない場所でファイルに入れておくこと。そして、亜実に水を飲ませて、落ち着くまでそばにいること。亜実が落ち込んだ時は励まして、話を聞いて、力になること。
高校生になって、大学生になって、私たちが一緒に居る時間が長くなるほど、写真を入れたファイルは分厚くなっていった。
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