ネフェルラントの迷宮(仮)

マルモティウスの胃袋

第1話

静寂の中、薪がはぜる音が不規則に響く。


俺は周囲を警戒しつつ、焚き火の向こう側に座る魔術師の少女を横目で見た。

エルマと名乗った彼女は、膝を抱えてじっと炎を見つめている。

均整な顔立ちと儚げな表情を、揺らめく光が鮮やかな琥珀色に照らし出す。

空色の、艶やかな長い髪だけがかすかに風で揺れていた。


耳を澄ますと近くを流れる川のせせらぎが聞こえ、

空を見上げると無数の星々が瞬いている。


穏やかで美しい光景だ。


だが今日の出来事を思うと、この静けさと美しさに、

どこか居心地の悪さすら感じてしまう。


――彼女と出会ったのは数時間前。

太陽が炎のように赤く染まり、その向かい側、

東の空に月が薄っすらと顔を出し始めた頃だった。


冒険者として生きていくことを決意した俺は、

なけなしの貯金をはたいて馬を買い、

故郷を離れ迷宮都市ネフェルラントへ向かっていた。


その途上、森林沿いの街道で偶然、

1両の馬車がゴブリンの群れに襲われているところに出くわした。

ゴブリンの数は確認できるだけで10匹以上。

さらに質の悪いことに、大型のホブゴブリンが1体混じっていた。


対峙する人間は4人、馬車を背にして睨み合っているようだった。

全員が遠目にもわかる傷を負っていて明らかな劣勢。

3匹までなら同時に相手をした経験もあったが、

この数では真向から援護に向かうのはとても不可能だとすぐに悟った。


それでも俺は剣を抜き、何とかゴブリン共の隙を伺おうと慎重に距離を縮めた。


近付けば巻き込まれて死ぬかもしれないという恐怖はあった。

それでも、何もせず見殺しにすることができなかった。


幸い、ゴブリン達の注意は馬車に集中しており、

俺が接近することに気付けなかったようだ。

間合いを詰めた俺は即座に背後から奇襲をかけた。

詠唱に集中する1匹を馬で轢いた後、

弓を持った別の2匹の胴体を斬り裂く。


そこからは馬車の方を確認する余裕もなく、必死だった。


がむしゃらに剣を振るい、風の魔術で牽制し、

とにかく一匹でも多く数を減らそうと戦った。


数分ほど打ち合ったところで、

一人の少女がこちらへ駆け寄ってきた。

腕には血が滲んでいるが致命傷ではないようだ。


俺は対峙するゴブリンと彼女との間に割り込むように移動しながら叫んだ。


「助けに入るッ、そっちはまだ戦えるのか!?」


「魔術はまだ少し残っているけど、……私以外は全滅した」


返ってきた少女の声は低く、感情が抜け落ちているかのように淡々としていた。


もう少し仕掛けるタイミングが早ければ。

無念さが頭をよぎる。

だが怒り狂う手負いのホブゴブリンが視界に入ると、即座にそれを振り払い、

この少女と自分の命を永らえさせることに専念しようと切り替えた。


彼女はこちらへ走りながら短い詠唱を唱える。

指先から光の矢が放たれ、俺と対峙していたゴブリンが一撃で崩れ落ちた。


「あいつは、一番自信のある魔術でも仕留め切れなかった」


そして背後から迫るホブゴブリンの方へ振り返り、そう呟いた。


「そうか……。その魔術はまだ使えるのか?」


「この状況では使えない。

 足は速くないようだから森の中に逃げ込めば見逃してもらえるかも」


危機的な状況でも取り乱す様子は一切なく、幼く華奢な外見に反し頼もしい。


「わかった、お言葉に甘えてそうさせてもらおう。後ろに乗ってくれ」


迫りくるゴブリン達を注視しつつ、俺は素早く馬首を廻らせた。


「助けに来てくれたことには感謝してる」


少女は俺の手を取り、馬に跨がった。


「……でもあなた、もう少し自分の命を大切にするべき」


「よく言われる。しっかり掴まってろよ」


こうして俺は、エルマと名乗る一人の少女と出会った。



***



「……薪は、足りる?」


不意にエルマが口を開いた。


「ああ」俺は頷いた。


「明日の朝まで持てばいい。夜明けと同時に出発しよう。

 何事もなけりゃ城門が閉まる前にはネフェルラントに着くはずだ」


彼女もネフェルラントへ一人で向かっていたそうだ。

一緒に戦っていた3人はたまたま乗り合わせた冒険者達だったらしい。


「そう」


「本当ならあそこに残された犠牲者を埋葬してあげたいとこだけど。

 血の匂いを嗅ぎつけて魔物が集まってる可能性もある」


「そうね」


会話はそこで途切れた。

近くの木に繋いだ馬が小さくいななき、

夜風に揺れる草木の音が、少し大きく聞こえる。


必要最小限の会話を終えた彼女はただじっと、炎を見つめている。

その姿はなんとなく、どこか心を閉ざしているようにも見える。


「寝ていいぞ」俺は言った。「見張りは俺がやる」


エルマは顔を上げ、こちらを見た。

彼女の髪と同じ色の、美しく大きな瞳に俺の姿が映っている。


「……交代で」


「いや、お前は疲れている。無理はせずに――」


「交代で」


彼女の声には有無を言わさぬ響きがあった。

頑固そうだ、と俺は思った。


「わかった」俺は折れた。

「じゃあ、先に俺が寝る。三時間後には必ず起こしてくれ」


彼女は小さく頷いた。


俺は焚き火から少し離れた場所に荷物を置き、

外套を被って横になった。

地面は固く、背中に小石が食い込む。

快適とは程遠いが、野宿は初めてではない。慣れている。


焚き火の音を子守唄に、俺はすぐに眠りへと落ちていった。

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