第2話 決意は、放課後に
翌日の朝、教室の扉を押すと、ひんやりした空気と紙の擦れる音、椅子のきしむ音が混ざって耳に届いた。
少し早めに寝たせいか、目覚めは悪くない。窓から差し込む秋の光が斜めに伸び、床の黒ずんだ木目をやわらかく浮かび上がらせていた。
隣の席には、すでに栞が座っていた。
黒髪が肩にかかり、ノートに向かってペンを走らせている。
朝の光のせいか、横顔がいつもよりはっきり見えて、思わず視線を逸らした。
「お、今日はちゃんと起きてる顔だな」
後ろから一輝の声が飛んでくる。
「余計なお世話だ」
「いやいや、これは褒め言葉だろ」
「信用ならん」
一輝は楽しそうに肩をすくめる。
その軽さに、朝の緊張が少しだけほどけた。
そのとき、短い声が上がる。
「わっ……」
栞のノートが机の端から滑り落ちた。
反射的に手を伸ばし、蒼太はそれを拾い上げる。
前かがみになった拍子に、シャツの下で腹が机に触れたのが分かった。
一瞬、意識がそこに集中してしまう。
──もう少し、痩せてたら。
そんな考えが頭をよぎったが、すぐに打ち消された。
「ありがとう」
栞は少し照れたように笑った。その表情を見た瞬間、教室のざわめきが遠のく。風に揺れるカーテンも、誰かの笑い声も、ただの背景に変わった。
「あ……うん」
視線を合わせるのが気恥ずかしくて、蒼太はノートに目を落とす。
胸の奥が落ち着かないのに、不思議と嫌じゃなかった。
「はいはい、青春してんな」
一輝の小声に、蒼太は肘で軽く突く。
机の上を整え、シャーペンを握る。
隣では栞も同じように前を向いている。
肘一つ分の距離。
近いのに、触れられない。
その曖昧さが、昨日より少しだけ柔らいで感じられた。
◇
午前中の授業が終わり、昼休みのチャイムが鳴る。
窓からの光は高さを変え、教室全体を温かく包んでいた。
弁当を広げる音や笑い声が行き交う中で、蒼太は自然と隣を意識する。
「昨日の数学、ちょっといい?」
声をかけると、栞は顔を上げてうなずいた。
「いいよ」
ノートを寄せ合うと、距離がぐっと縮まる。
シャーペンの先が近づくだけで、心臓が忙しくなるのが分かる。
説明を聞きながら、蒼太は思う。
この距離で、堂々としていたい。
体型のことを気にせず、普通に話せる自分でいたい。
「ここは、こう考えると分かりやすいよ」
指先が動くのを追いながら、蒼太は頷いた。
「なるほど……」
集中しているつもりなのに、意識はどうしても彼女に引っ張られる。
「中村くん?」
声をかけられて、はっと顔を上げた。
「ごめん、ちゃんと聞いてた」
「ふふ、それならいいけど」
後ろから小さな咳払いと小馬鹿にしたようないつもの声が聞こえてきた。
「顔、赤いぞ。勉強熱心だな」
「黙れ」
本当にいつも一輝は、なんでも分かっているかのような事を言ってくる。
昼休みは、あっという間に終わった。
それでも、確かに何かが前に進んだ気がしていた。
午後の授業は、穏やかに流れていった。
鉛筆の音、板書の音、時折聞こえる外の風の音。
栞の存在を感じながらも、不思議と落ち着いていらる。
放課後、教室を出ると、校舎の影が長く伸びていた。
帰り道を歩きながら、蒼太は今日一日を振り返る。
気まずさよりも、少しの手応えが残っている。
「ただいまー」
家に帰り、すぐ制服を脱いで鏡の前に立つ。
肩や胸は前よりも締まって見える。
でも腹まわりは、まだ頼りない。
「……よし」
声に出すと、決意が形になる気がした。
トレーニングマットを敷き、軽く体を動かす。
スクワットを数回。
呼吸が乱れ、汗がにじむ。
けれど、不思議と気分は悪くなかった。
「変わるなら、今だよな」
鏡に映る自分はまだ途中だ。
でも、昨日よりは一歩前にいる。
夕飯は、野菜とタンパク質中心の簡単な鍋にした。特別じゃない。
でも「選んだ」という感覚があった。
布団に倒れ込むと、体は重いのに、心は少し軽い。
明日も、続けよう。
栞の隣にいる自分を、少しだけ好きでいられるように。
重くても好きになっていいですか? 藤宮望 @lee13
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