稚作を読んで下さる貴方は神様です。お礼に貴方の嫌いな人を小説で殺します~文学の悪魔サイフォンの執筆代行録~

@cross-kei

第01話:『ゴッド・アイ』の批評と削除

 深夜二時。安普請のアパートの自室は、カーテンの隙間から漏れる街灯の光と、スマートフォンのブルーライトだけが光源だった。


 評道健は、脂ぎった親指で画面を激しくタップしていた。爪の先には、コンビニ弁当の鶏肉のカスが挟まっている。


「……また設定矛盾かよ。これだから素人は」


 彼は鼻で笑い、勢いよく『送信』ボタンを押した。


 画面には、彼が投稿したばかりのコメントが表示される。


『一章で「魔法は詠唱必須」と書いてあるのに、三章で無詠唱で発動してますよね? ご都合主義もいい加減にしてください。設定資料集からやり直すことをお勧めします』


 アカウント名は『ゴッド・アイ』。

 フォロワー数は三桁にも満たないが、彼のプロフィール欄には「辛口評論家。真の傑作しか認めない」と書かれている。


 健は三十代半ばの派遣社員だ。昼間は倉庫で段ボールを仕分ける単純作業に従事し、上司からは名前すらまともに呼ばれない。

 だが、この六インチの画面の中だけでは違う。彼は神の視点を持つ審判者であり、未熟な作家たちを断罪する処刑人になれるのだ。


「次、次だ」


 彼は獲物を探す獣の目で、Web小説投稿サイトのランキングをスクロールした。

 どいつもこいつも、似たり寄ったりのタイトルばかりだ。異世界、転生、追放、ざまぁ……。

 流行りに乗っかっただけの粗製乱造。吐き気がする。俺ならもっとうまく書ける。書かないだけだ。まだ本気を出していないだけだ。


 その時だった。

 スクロールする指が、奇妙なバナー広告で止まった。


 極めてシンプルな、黒地に白文字だけのバナー。

 派手なイラストも、煽情的なキャッチコピーもない。ただ、明朝体でこう書かれていた。


『一生懸命書きました。アナタの人生「あなた」の幸せがココに詰まっています。』


 健は眉をひそめた。

 Web広告のセオリーを無視したデザインだ。クリック率など端から考えていないような、不気味なほどの素朴さ。

 だが、その「一生懸命」という言葉が、妙に神経を逆撫でした。

 一生懸命なら評価されるとでも? 甘えるな。結果が全てだ。


「……見てやるよ。どんな稚作か」


 彼は嘲笑を浮かべ、バナーをタップした。

 画面が遷移する。

 サイト名は『カタルシス』。聞いたことのない投稿サイトだ。

 掲載作品は一つだけ。


『【完結保証】アナタの人生「あなた」が主人公の物語』

 作者名:サイフォン


 あらすじも簡素だった。

『アナタの人生「あなた」が主人公の物語です。もし、お気に召したら★5をお願いします。』


「なんだこれ。ナメてんのか」


 健は毒づきながらも、第一話を読み始めた。

 冒頭の描写からして、稚拙だった。

 主人公の名前は「ケン」。

 年齢は三十四歳。倉庫作業員。趣味はネットサーフィン。

 描写されるアパートの間取りも、散らかった部屋の様子も、まるで健の今の状況を盗撮したかのように酷似している。


「……ハッ、俺をモデルにしたつもりか? リアリティだけはあるな」


 偶然の一致にしては出来すぎているが、健の興味は「作品の粗探し」に向いていたため、その異常性を「作者の悪趣味なリサーチ」程度にしか捉えなかった。

 読み進めると、物語は急展開を迎える。

 主人公のケンが、通勤途中に異世界へと召喚されるのだ。ここまではよくある展開だ。

 だが、そこからが違った。


 異世界の人々は、ケンの「批評眼」を絶賛したのだ。

 彼が魔法体系の矛盾を指摘すると、王宮魔導士長が土下座して教えを乞うた。

 彼が騎士団の作戦の甘さを嘲笑すると、王女が「貴方こそ真の軍師」と抱きついてきた。

 彼が酒場の飯の味を批判すると、店主が涙を流して感謝し、最高級の料理をタダで振る舞った。


「…………は?」


 健の口から、乾いた声が漏れた。

 なんだ、この小説は。

 ご都合主義どころの話ではない。作者の妄想を垂れ流しただけの、文字通りのゴミだ。

 文章力は皆無。構成も破綻している。カタルシスの積み上げもなく、ただ主人公が全肯定されるだけの安っぽいポルノ。


 つまらない。

 つまらないはずだった。


 なのに、指が止まらない。

 スクロールするたびに、画面の中の「ケン」は称賛され、富と名声を手に入れていく。

 現実の健が、倉庫の片隅で誰にも認められずに腐らせていた「俺は正しい」という自尊心を、物語の中の世界は全力で肯定してくれる。


(馬鹿馬鹿しい。こんなの、俺が書いたほうがマシだ)


 思考とは裏腹に、健の心拍数は上がっていた。

 悔しかった。

 こんな稚拙な文章の主人公が、なぜこんなに幸せなんだ。

 俺は今、コンビニ弁当の残骸に囲まれて、誰からも必要とされていないのに。

 この「ケン」は俺だ。俺と同じスペックだ。なら、どうして俺は今、王女に抱きしめられていない?


 最終話まで一気に読了していた。

 物語の最後、ケンは「審美眼の英雄」として銅像を建てられ、ハーレムに囲まれて余生を過ごす。

 画面の最下部には、評価システムが表示されていた。


『面白かったら★5評価をお願いします』


 星は五段階。現在は評価ゼロ。

 健は震える指を画面にかざした。


「……駄作だ。プロットもキャラも崩壊してる。0点でもいいくらいだ」


 口ではそう呟いた。

 だが、胸の奥底でドス黒い感情が渦巻いていた。

 羨ましい。

 妬ましい。

 このふざけた物語が、もし俺の現実だったら。


(……★5をつけてやるよ。憐れみだ。こんなクソ小説、俺以外に誰も評価しねぇだろうからな)


 それは言い訳だった。

 本当は、認めたかったのだ。この都合の良い世界を。

 たったワンクリックで、この「肯定感」と繋がっていたかった。

 健の指先が、一番右の星に触れた。


 カチリ、と音がした気がした。


 その瞬間。

 スマートフォンの画面が、砂嵐のようなノイズに覆われた。


「うわっ!?」


 健は慌ててスマホを取り落とした。

 画面が激しく明滅する。ウイルスか? 変なサイトを踏んだせいか?

 バチバチという異音と共に、液晶画面から黒い液体のようなものが滲み出してきた。

 インクだ。

 黒いインクが、重力に逆らって立ち上がり、人の形を成していく。

 シルクハット。モノクル。仕立ての良い燕尾服。

 六インチの画面から這い出してきたのは、奇妙な紳士だった。


「ひ、ひぃ……ッ!?」


 健は腰を抜かし、背中で床を擦って後ずさった。

 幻覚だ。疲れすぎているんだ。

 紳士は空中に浮遊したまま、慇懃無礼な笑みを浮かべて健を見下ろした。


「おやおや、そんなに驚かないでくださいよ」


 紳士の声は、耳ではなく脳に直接響くようだった。


「今時、幽霊だってモニターから出てくる時代じゃないですか。なら、悪魔が出てきたって何の不思議もありませんよ……くっくっく」


「あ、悪魔……?」


「左様。わたくし、小説家のサイフォンと申します。以後、お見知り置きを」


 サイフォンと名乗った怪異は、優雅に一礼した。

 健は呼吸を忘れて彼を凝視する。恐怖で歯の根が合わない。


「稚作を読んで下さる貴方は神様です。……して、先ほどの評価、誠にありがとうございました。★5つ、しかと頂戴いたしました」


「あ、あれは、間違いで……! 手が滑っただけで……!」


 健は必死に弁解した。こんな化け物に目をつけられたくない。

 だが、サイフォンは聞く耳を持たず、嬉しそうに続ける。


「お礼に、貴方の嫌いな人を小説で殺して差し上げましょう。さあ、誰が憎いですか? 職場の上司ですか? 貴方のコメントに反論してきた作家ですか?」


 殺す。

 物騒な単語に、健の思考が停止する。

 だが、サイフォンは健の顔を覗き込み、大げさに首を傾げた。


「おや? 殺したい相手がいないとおっしゃる?」


「い、いない! 俺は誰も殺したくなんて……!」


「嘘はいけませんねぇ。評論家なら、ご自分の心をもっと客観的に分析なさい」


 サイフォンのモノクルが怪しく光った。


「安心してください。そんな時は、『嫌いな現実』を生きるアナタ自身を殺してしまえばいいのですよ」


「……は?」


「貴方は憎んでいるはずだ。才能がないと決めつけられ、誰にも認められず、暗い部屋で他人を叩くことしかできない、この『評道健』という男を。違いますか?」


 図星だった。

 健が誰よりも軽蔑し、直視したくないもの。それは鏡に映る自分自身だ。


「推敲しましょう。今の人生を、物語の人生で上書きするのです。貴方が★5をつけた、あの素晴らしい物語の通りにね」


 サイフォンが指を鳴らした。

 世界が反転した。


 腐った弁当の臭いが消えた。

 薄汚れた壁紙が、白亜の壁に変わる。

 硬いフローリングの感触が、ふかふかの絨毯に変わる。

 健が着ていたヨレヨレのトレーナーは、いつの間にか豪奢なローブになっていた。


「こ、これは……」


 窓の外を見ると、見慣れた電信柱ではなく、中世ファンタジー風の城下町が広がっていた。

 部屋の扉が開く。

 美しい金髪の女性が入ってきた。あの小説に出てきた王女だ。


「ケン様! ああん、探しましたわ!」


 王女は健に駆け寄り、その腕に抱きついた。

 温かい。柔らかい。甘い香りがする。

 夢じゃない。

 現実だ。俺は、あの小説の主人公になったんだ。


「あ、あ……」


 健の目から涙が溢れた。

 これだ。俺が求めていたのはこれだ。

 倉庫での単純作業も、ネットでの罵り合いも、すべては悪夢だったんだ。

 俺は選ばれたんだ。俺の審美眼が、正当に評価される世界に来たんだ。


 サイフォンの姿はもうどこにもなかった。

 悪魔との契約なんてどうでもいい。

 健は王女を抱きしめ返し、歓喜の声を上げた。

 幸せだ。最高だ。この物語は傑作だ!


 ――それから、どれくらいの時間が経っただろうか。


 健はこの世界を謳歌していた。

 何気ない一言が称賛され、指図するだけで国が動く。

 苦労も努力もいらない。ただ「そこにいる」だけで、彼は英雄だった。


 至福の絶頂。

 王宮のバルコニーで、民衆の歓声を浴びていた時だ。


『ピロン』


 聞き慣れた電子音が響いた。

 空を見上げる。

 青空に、巨大な半透明のウィンドウが浮かんでいた。


『今の演説、キャラブレてない? 一人称が「私」から「俺」になってるんだけど』


 コメントだった。

 Web小説の感想欄のような文字列が、空に焼き付いている。


「な、なんだこれは……?」


 健が狼狽えていると、さらに通知音が重なる。

 ピロン、ピロン、ピロン。


『英雄なのにオドオドしすぎ。見ててイライラする』

『ご都合主義乙。なんで民衆はこんな奴支持してんの?』

『作者の願望垂れ流しでキモい』


 無数のコメントが、雨のように降り注ぐ。

 その内容は、かつて健が新人作家たちに投げつけた罵倒そのものだった。

 民衆たちの顔が変わっていく。

 称賛の笑顔ではない。冷ややかな、値踏みするような目。

 彼らの口が、コメントと同じ言葉を紡ぎ出す。


「設定が甘いですね」

「矛盾してますよ」

「やり直したらどうですか?」


「や、やめろ! 俺は英雄だ! ゴッド・アイだぞ!」


 健は耳を塞いで叫んだ。だが、声は空からのコメントにかき消される。


『発狂展開とか寒い。もっとマシなリアクションできないの?』

『ハイ、ここで評価下げまーす』

『★1』『★1』『★1』


 空間に亀裂が入る。

 バルコニーの隅に、あの紳士が立っていた。

 サイフォンは、手元の分厚い原稿用紙に、赤いペンで無慈悲にバツ印をつけていた。


「おやおや、読者様の反応が芳しくありませんねぇ」


「た、助けてくれ! これは何だ! 約束が違う!」


 健はサイフォンに縋り付こうとした。

 だが、体が動かない。指先から徐々に、黒い文字の羅列に変わっていく。


「約束? 私は『物語の人生で上書きする』と申し上げました。

 貴方のような『評論家気取りの主人公』が、どういう結末を迎えるのが一番エンターテイメントとして面白いか……。

 推敲を重ねた結果、こうなりました」


 サイフォンは冷酷な編集者の目で、健を見下ろした。


「貴方はこれから永遠に、この世界で『クソリプ』を浴び続けてください。

 それが、貴方という登場人物に相応しい役割(ロール)です」


「いやだ! やめろ! 消さないでくれぇぇ!!」


 健の絶叫は、文字に変換されて空に吸い込まれた。

 体も、意識も、すべてがテキストデータに分解されていく。


「さて、これにて第一話『審美眼の英雄』は完結です。

 ……読者の皆様、お気に召しましたら、チャンネル登録と★5評価をお願いしますね」


 サイフォンは画面の向こう側の「あなた」に向かってウィンクを投げると、プツンと映像を切るように暗転させた。


 後には、ただ無機質なエラーメッセージだけが残された。


『404 Not Found 指定されたユーザーは削除されました』

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2026年1月11日 19:05
2026年1月12日 19:05

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