海浪

奏阪隼光

光と海

 ボクの家に犬が来た。

 ゴールデンレトリバーという種類らしい。

 最初はすこしだけ、こわかった。図かんで見るより大きいし、にこって笑ったかと思えば、歯がギラギラ光ってるし。オリの外から見るだけでいっぱいいっぱいだった。お父さんに今日から新しい兄弟だ、なんて言われても、なんて呼べばいいのかもわからない弟なんて、ただのカイジュウに見える。

 名前は一応あるらしいけど、お父さんが新しい名前を付けて良いよって言ってくれた。だからいっぱい考えたんだ。太郎、次郎、ポチ、ミケ。ボクの大好きなゴウカイレンジャーのゴウカイトウ・ブルーから、ゴウ、ブルゥ。色々考えたけど、どれもこの大きなカイジュウには、にあってない気がした。

 ためしに、ボクの”コータ”って名前からとって、”コウ”って呼んでみたけど、本人(本犬?)もしっくりこないどころか、ボクもイワカンがすごかったからやめた。

 お父さんが、名前はまた今度でも良いよ。遊んでいるうちにいい名前が思いつくかもしれないから。って言うから、名前はまた今度考えることにした。

 犬がうちに来た日、犬はずっとオリの中にいた。ワンワン鳴いて、尻尾を振って出たがっていたけど、ボクがこわいって言ったから、お父さんが出さないでくれた。

 でも、次の日はちがった。お父さんは、ボクが犬に早く仲良くなれるように、って言ってオリから出したんだ。

 犬はワンって大きな声で一回鳴いて、まっすぐにボクのとこに走ってきた。ボクはこわくて動けなかったんだけど、腕の中に入った金色のもふもふした毛とうれしそうに、にこにこしっぽをふっている様子がかわいくてしかたなくなった。

なんだ、こんなにかわいいなら、昨日もオリから出してやればよかったなぁ。もうカイジュウみたいだなんて思えなくなった。むしろ天使だ。でも、なんだろう?その時、なんだかすこし泣きたくなるみたいにむねがキュウッってした。

 前にお母さんがボクの赤ちゃんの時の写真を見て、泣きたくなるくらい幸せだった、って言ってた。もしかしたら、それと同じなのかなぁ。

 その日からボクは犬のおせわをいっぱいした。お父さんとお話しして、ボクがエサをあげる当番とおさんぽをする当番になった。お父さんは、毎日お仕事に行かなくちゃいけないから、かわりにボクがいっぱいおせわするんだ。

 犬はいっぱいごはんを食べた。体が大きいからいっぱい食べるらしい。おいしそうにごはんを食べる犬がかわいくて、ついおやつもちょっと多めにあげちゃったりもする。

 おさんぽも体が大きいからすこし大変だ。まだ家のまわりの景色とかにおいになれていないのか、リードをぐいぐい引っ張って色んなところに進もうとする。草がいっぱい生えている所に入って行こうとしたり、鳴いているセミに向かってワンワンほえたり。でも、こっちだよってすこし引っ張るとちゃんと着いて来るから、犬はすごくかしこいんだと思う。

 ボクは、これに気づいた時、学校の友だちに言いたくてたまらなくなった。だってまだ、犬が来たことすら言ってない!なんで忘れてたんだろう。

 その日の夜、夜ごはんを食べながらボクはお父さんに言った。

「お父さん、ボク明日学校行く。さとるくんとか、さなちゃんに犬が来たこと言いたいの!あ、あとなつか先生にも!」

 みんなのことを思い出したら、いますぐ会いたくなってきた。そういえば最近、学校に行ってない。みんなに早く会いたいし、算数のかけ算の続きも習わなきゃいけない。、あれ?かけ算ってどこまで覚えたっけ?う〜ん。

 お父さんに聞いてみようと思ってふと顔を上げたら、お父さんはハッとした顔をして、ボクにダメだと言った。どうやらボクが忘れていただけで今は夏休みだったらしい。学校が始まるまでは犬のことはボクとお父さんだけのヒミツだな。って。

 本当はみんなと会いたくて、せめてさとるくんの家に遊びに行きたいって言おうとしたけど、ボクが顔を上げた時、ちょっとだけ見えたお父さんの顔がおこったみたいな、さみしい、かなしいみたいな顔だったからやめた。 なんだか聞いたらいけないような気がして。

 その代わり、今週の日曜日にお父さんが、ボクと犬をいっしょに海に連れて行ってくれる約束をした。お母さんは行かないの?と聞いたら、お母さんはおばあちゃん家にしばらくいるんだって言っただろ?と言われた。たしかにそうだった。最近、お母さんにも会ってない。でも、おばあちゃんのお手伝いに行ってるならしかたがない。少しさみしいけど、犬と海にいけるんだ!日曜日が楽しみだ。早くこないかな。

 それから毎日、犬と遊んで日曜日を待った。そろそろちゃんと名前をつけなくちゃと思ったけど、やっぱりしっくりくる名前はなくて、またあきらめた。けどそのかわり、前よりもっともっと仲良くなった。犬はボクのことが大好きみたいだったし、ボクは犬を本当の弟みたいにかわいがった。

 日曜日。お昼ごはんを家で食べて、すこしごろごろしてから僕たちは車に乗って海まで行った。ボクはなぜだか車がこわくて、ずっと犬をハグしていた。いや、しがみついていた、の方が合ってるかも。前はこわくなかったし、なんなら車は好きだったんだけど…。ひさしぶりに乗ったからかな、?

 ボクだけじゃなくて、お父さんもすこしキンチョウしてるみたいだ。お父さんも、お仕事にはいつもバスで行くから、ひさしぶりでキンチョウしているのかな?

 ボクたちのキンチョウに犬は気づいたみたいで、犬もすこしキリッとした顔になった。ボクはそれがすごくおもしろくて、わらっちゃった。

 海に着いてすぐ、犬がボクの足に頭を付けてぐいぐいしてきた。遊びたいの合図だ。ふと、また泣きそうな気持ちになった。どうしてだか、犬といっしょにいると時々こんな気持ちになる。でもすぐに忘れるし、本当には泣かないからお父さんには言ってない。

 お父さんに、遊んでくると声をかけてからボクたちは砂浜に駆けた。

 世界の向こう側までキラキラとまぶしく光る海。アツアツの砂はまと、たまに光って見える宝物みたいな貝がら。そのきれいな世界で、犬は金色に輝くもふもふの毛をふるいながら、ボクのむねに飛びこんでくる。大好きなボクの弟。でも、なんだかむねが苦しくなる。

 それから、犬とお父さんといっぱい遊んだ。走りまわって、水でっぽうをして、お父さんがアイスを買ってきてくれたから二人と一匹でならんで食べた。犬はアイスじゃなくておやつだったけど。

 夕方になってちょっと暗くなってくると、お父さんがボクたちに「そろそろ帰るぞ。」って声をかけた。

 ボクたちはフリスビーで遊んでいた。

 でも犬がボクにワンって鳴いて、次をせがむみたいにしたから、もう一回だけ、と言ってフリスビーを投げる。犬は一直線にフリスビーに向かって、また戻って来る。でも今度は、戻って来る途中でフリスビーを落としちゃった。

「あーあ、落としちゃってるよー、」

 でも、犬は拾わずにそのまま、しゃがんでいたボクの元にモーダッシュでトツゲキしてくる。湿った鼻をぐいっと押し付けて、そしてそのままボクの頬を舐めた。

 犬と目が合う。キラキラとした瞳が、吸い込まれそうなほどまっすぐに僕を見ていた。きっと次の遊びを期待しているのだろう。

 対して、僕は、泣いていた。目の前の犬によく似た、優しく輝く眼差しをした犬を、僕は知っていた。しばらく気づかなかったのだが、遅いぞ、と心配して近くまで来てくれたお父さんの「どうしたっ?」と言う声で泣いていることに気がついた。


 少し頭痛がして、そして理解した。どうして学校に行かないのか。どうして犬といると時々泣きたくなるのか。どうしてお母さんがいないのか。どうして車がこわいのか。

 僕は、前もこんな風に、犬と遊んだことがあった。

 その犬はラブラドールレトリバーで、名前は、”コータ”という。コータは僕が10才の時にうちに来た犬で、それは僕が犬が飼いたい。ちゃんとお世話するから。と、よくあるおねだりをしたからだった。

 でも最初は自分で頼んだくせにちょっと怖かった。でも、初めてうちに来た日、コータはヴァウッて吠えて、僕にじゃれついてきた。鳴き声がちょっと変で笑ってしまう。初めて嗅ぐ犬の匂いに、人とは違う温もり。そして、優しさの詰まった眼差し。それらは、僕の心を溶かすのに十分だった。

 そんな僕達を、お父さんとお母さんは、いつも笑顔で見守ってくれていた。

 コータと僕は一緒に育った。どこへ行くにも一緒で…。そうだ、餌をやるのも、散歩も僕の役割だった。いっぱいご飯をあげて、気が済むまで散歩した。おかげで僕は健康診断に引っかかったことがない。コータのおかげだ。

 この海だって何度も一緒に来た。2人して目をキラキラさせながら、水を蹴って、砂の上を駆け回った。小さい頃は陽が沈むまで遊んで、2人して疲れて帰りの車の中はぐっすりだったのを覚えている。

 でも、もう僕は就職して、仕事や日々の生活に忙しく、コータに構える時間がなくなっていった。コータもすっかりおじいちゃになり、駆け回る元気もなさそうだと母から聞いていた。

 どうして忘れていたのか、忘れていた自分が信じられなかった。

 そうだ、この間だって一緒にいたじゃないか。母と僕とコータで車に乗った。

 それで、…。どこに行こうとしたんだっけ、?

 あっ、そうだ、コータを病院に連れていく途中だったんだ。

 前に行った時、医者には歳にしては健康すぎて長寿になるね、なんて言われたんだけど、でもやっぱり少し心配で、些細なことでも医者に見てもらおうって話になっていたから。

 だから、母さんとコータを病院に連れて行こうと車に乗って…。

 車に、乗って、…。

 くるま、に、…。

 それで、…、それで、…、。

 だから…、。

「大丈夫か?どうしたんだ?こけたのか?」

「…。お父さん…。」

「ん?どうした?」

 お父さんと犬が僕の顔を覗き込んでくる。二人とも心配そうな顔をしていた。

 そりゃそうだ。今の今まで、フリスビーで遊んで大笑いしていたのに、いきなり泣いたりするから。

 ふたりの心配そうな表情とは裏腹に、僕の心は、さっきまでよりも随分スッキリしていた。

 でも、涙は止まらない。

 犬が心配そうに近づいて、僕の涙を舐めてくれた。

 1粒、2粒…。温かかった。僕はやっと少しだけだけれど、あの時以降、心から安心できた気がした。

 だけれど、まだ涙は止まらなかった。止まらない涙を見て、犬が今度はすごく困った顔をした。

 僕はそれがおかしくて、つい笑ってしまう。

 そしたら今度は、お父さんまで困った顔をした。お父さんの表情は、犬とそっくりだった。まるで本当の親子みたいだ。僕はまたそれがおかしくて笑ってしまう。

 だけど、まだ涙が止まらない。

 ひとしきり笑って、涙も少し枯れた頃、僕はようやくお父さんを見た。

 目があった瞬間、お父さんは気がついたみたいだった。さっきまでの僕と違うことに。

「お父さん、」

「うん?なんだ?」

 お父さんも泣いていた。それでも涙を拭って、一生懸命目を開いて、僕のことを見ようとしてくれていた。

「お父さん。お母さんとコータは、もう、いないんだね。」

 お父さんは苦しそうな顔をした。だけど、ちゃんと僕の方を向いて、頷いた。

「お母さんもコータも、ちゃんと逝ったよ。ちょうど来月で三回忌だ。ちゃんと、墓参りに行こう。おかえり、光太郎。」

「ただいま、お父さん。」

 犬の方を見た。犬は僕達の雰囲気を察したのか、微笑んでいるように僕達を見ていた。本当に賢いやつだ。

「ありがとう。」

 僕は犬を抱いて、顔をうずめて言った。お父さんもそこに覆いかぶさった。二人して犬を抱いたまま泣いた。しばらくして体を離して見ると、犬はよく分からないという顔をしたが、すぐ嬉しそうに、にこにこして尻尾を振りだした。

 もうあたりは真っ暗で、月と星が見えていた。今夜は雲も少し出ている。

 海は空の光を忠実に、だけどゆらめきながら空を映し出す。それはとても幻想的な光景だった。夜の海は、遥か彼方の水平線の向こうまで、どこまでも広く、美しい。

 帰る準備をして、二人と一匹で車に乗った。やっぱり車は少し怖かったけど、当時乗っていた助手席ではなく後部座席に犬と乗ったからか、少しだけ怖さは和らいでいた。

 車に乗る前に、お父さんが病院に連絡すると、すぐに来るよう言われたらしく、詳しい説明と検査のためにそのまま病院に向かうことになった。

 先生から、今までの症状と生活のことを聞き、簡単な検査を受けてから、その日の夜中に帰宅した。

 三年前、僕はとある会社に就職したが、そこは世にいうブラック企業だったらしく、精神的にも体力的にもつらくなり辞職した。実家には、療養のために戻っていた。

 ある日、母と一緒にコータを病院へ連れて行こうとした。コータの食欲が少し落ちているような気がしたから。

 だけど、その道中、居眠り運転をしていた対向車線のトラックと僕達の車が正面衝突して、母とコータは亡くなった。即死だったらしい。

 助手席にいた僕は奇跡的に助かったけど、母とコータを亡くしたショックが、元々弱っていた精神に過度な負担をかけて、記憶障害を起こした。

 それから僕は、自分を小学三年生の『コータ』だと思い込み、3年もの間、お父さんと二人で生活していた。お父さんはこれ以上、僕に負担をかけたくなくて、僕の記憶に合わせ続けてくれていた。そして先日、たまたま通りかかった譲渡会で犬と出会い、お父さんや僕の癒しになればと願い、連れ帰って来てくれたらしい。

 次の日、お父さんとこれからのことについて話した。

 とりあえず、しばらくはお父さんと犬と一緒に暮らして、少しずつバイトをしながら社会復帰していくことに決めた。

「そういえば、犬の名前は決まったか?流石にそろそろ決めてやらないとだろ。」

 お父さんに言われた時、僕は、今までで一番いい名前を思いついていた。

 ちょっと待ってて、と言って、小学生の時に使っていた書道セットを持ってくる。

 命名式か、と言いながら、お父さんは犬を近くに呼んで座らせてくれた。

 墨をつけて、しっかりと書く。お父さんが僕の手元を見て、「海か、」と呟く。半紙を裏返して二人に見せながら宣言した。

「今日から、君の名前は『カイ』だよ。遅くなってごめんね。」

 本当は全部思い出した時からもう決めていた。水面のようにキラキラと輝く毛並み。夜の星空が映った海のような美しい瞳。あの日見た海のように、どこまでも広大で、どこまでも深く、僕達を受け入れてくれるような、そんな心のこの子には、この名前がぴったりだと思ったのだ。

 カイ、と呼ぶと犬は嬉しそうにワンッと吠える。尻尾を振って座っている僕の膝に前足を置いてくる。そしてまた、幸せそうに、にこにこと笑いかけてくれた。

 幸せなのは、僕も同じだった。カイのおかげでコータのことを思い出せた。小さい頃からずっと一緒にいたかけがえのない家族であり、弟であり、親友であった。あの日も、コータは咄嗟に僕を守ろうと後部座席から前に飛びこんできてくれたのも思い出した。そうか、コータがいてくれたから、僕は生きているのか。そんなのいいから生きていてほしかった、と思う。だけれど。

 考え込む僕の顔を、カイが覗き込む。

「そうだね。コータが僕を生かしてくれた。それにきっと、コータが僕をカイと出会わせてくれたんだ。そして、カイが僕にコータのことを思い出させてくれた。カイが、また僕とコータを出会わせてくれたんだ。ちゃんと、生きるよ。しっかり生きる。」

 カイが、ワンッと鳴く。コータの鳴き声もそれに重なって聞こえた気がした。

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海浪 奏阪隼光 @namakeru_ringo

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